婚約破棄は蜜愛のはじまり~ワケあり公爵と純真令嬢~

華藤りえ

第一章 婚約者と唇を奪われた夜 (1)


   第一章 婚約者と唇を奪われた夜


 最後のトンネルを通過すると、リズリーは我慢できずに列車の窓を開けた。
 未婚の乙女を守るお目付け役の女性が、隣で眉を寄せても気にしない。
(だって、ついに王都ロンデニアに足を踏み入れるんだもの!)
 いまや世界最大の産業・経済都市として栄える女王陛下のお膝元。
 学術と芸術の中心地とされ、海峡を越えた先に存在する、大陸諸国からも注目を集める輝きの都。
 両親が生きていた頃にも二、三度訪れていたが、子どもの身では街へ出してもらえず、親戚の邸宅で留守番ばかりだった。
 けれど、今回は違う。
 結婚前の令嬢として、百貨店にドレスを買いにいったり、舞踏会や晩餐会(ばんさんかい)に呼ばれたり、観劇にも連れて行ってもらえる。期待は際限なく膨らむ。
 婚約者となる幼なじみの青年カラムが、正面の席で(あき)れ、肩をすくめているのを見ないふりして、リズリーは窓から顔を出す。
 王都を囲む丘陵地帯の、瑞々(みずみず)しい草の香りに出迎えられ、つい顔がほころんでしまう。
 帽子を飾るシルクのリボンが、風に吹かれて躍るのすら楽しい。
 リズリーが生まれ育ってきたギア男爵領は、王都から遠く、馬車と列車を組み合わせても三日はかかる。
 農作物や林業が領地収入の糧である貧乏貴族の財政では、遊びで遠出するなど一生に一度あるかどうか。
 楽しみと言えば、王都から三日遅れで届く新聞や、半年前の演劇雑誌などを買って読むことで、女王陛下の宮殿や舞踏会は夢想するだけのもの。
 だから、幼なじみであるカラムとの婚約に際し、王都を訪れ、親戚たちに挨拶回りをすることになったときから、リズリーはこの日が楽しみで仕方がなかった。
 蒸気機関車が力強く丘を登り切り、低地にある王都の全貌が見えだす。
 森のように濃い緑の瞳を輝かせ、リズリーは近づいてくる景色を見つめる。
 王都を守る円形状の防壁。それを二分しながら流れる大きな河。
 河の上流には貴族の邸宅らしき美麗な館や乗馬公園が、下流に行くに従って市場や住宅街が増えていた。
 港には航海から戻ってきた帆船がいくつも並び、少し離れた河口付近は、異国からの積荷を街中へ配送する小舟が漂っている。
 女王陛下が住まわれる宮殿は別格で、広大な敷地と複数の建物からなっており、その背後に、経済の中心とされる、王立取引場の白い建物が垣間見(かいまみ)える。
 一際圧巻なのは、ブリトン王国の宗教的象徴であるミンスター国教会堂だ。
 朝日を受ける尖塔(せんとう)は黄金のようで、色硝子(いろがらす)で作られた巨大な薔薇(ばら)窓が鮮やかにきらめく。
 列車が進むに従って、明確になる王都の姿にいちいち感動する。
 胸の鼓動が高まるのを止められない。
(ついに、私――王都に来たのだわ!)
 心の中で歓声を上げながら、リズリーは十八歳の娘にふさわしい無邪気さで、これから始まる王都での楽しみと、花嫁になる幸せな未来へ思いを()せていた。


 リズリーが名を記すシャンド家は、ブリトン王国が辺境の島国であった頃から存在し、王妃を出したこともある名門一族だ。
 権勢は現在も衰えず、シャンド一族の長である伯父のジェームズは、国内有数の豊かさを誇るグレヴィル伯爵領地を預かっている。その上、議会にも顔が利くと言う。
 伯父は政治的な活動と社交に重きを置いているため、領地で暮らす弟――リズリーの父親とは違い、王宮近くに構えた邸宅で一年のほとんどを過ごしていた。
 病弱な母を幼い頃に亡くし、つい先年、父も流行病(はやりやまい)で亡くなってから、リズリーは祖母と二人、隣人や領民の支えを頼りに細々と暮らしている。
 父の喪が明けて二ヶ月。カラムの親から、そろそろ息子と家庭を持ってはどうかと打診された。
 話を聞いた昔気質(むかしかたぎ)の祖母が、『一族の長であり、リズリーの法律的な保護者である伯父に無断で結婚するのは、貴族として不作法だ』と言いだし、それにカラムの親が折れる形で、王都への来訪が決まったのだが……。
 グレヴィル伯爵シャンド家の応接間で、ソファに腰掛けたままリズリーは吐息をこぼす。
 前回、ここに訪れたときは伯母が出迎えてくれたが、今日は違う。
 グレヴィル伯爵夫人であった伯母は、出産で里帰りしていた伯爵領地の城で、胎児共々亡くなったのだ。
 葬式もそこで済ませてしまったため、王都にある伯爵家の館に来るのは、実に八年ぶりである。
 十歳だったリズリーに、ジャムとクリームをたっぷり添えたスコーンや、干しぶどう入り焼き菓子を用意し、朗らかな声で迎えてくれた伯母はもういない。
 その後、伯爵家の女主人という地位を継いだのは、リズリーと同じ十八歳の従姉妹――シェリアだ。
 一人娘で、母親を亡くしたという共通点があるのに、どうしてか、リズリーとシェリアは折り合いがよくなかった。
 多忙で子育てにまで手が回せない伯爵夫婦は、娘のシェリアをリズリーの両親へ預けた。
 二人は姉妹同然に育てられ、内緒話をしたり、花を摘んだりといつも一緒だった。
 だが年頃になり、シェリアが王都へ戻り、伯爵令嬢としての淑女教育を受けだしてから、二人の関係は少しずつおかしくなった。
 親戚たちが、なにかとリズリーとシェリアを比較しだしたからだ。
 王都に住む伯爵令嬢と田舎の男爵令嬢では、生活から、必要とされる知識もまるで違うのに、やれ、あちらはダンスが上()い。それに比べてお前は、とか、勉強ばかりで可愛(かわい)げがないリズリーに比べ、シェリアは社交的で好ましいとか。
 気楽な性格と言われるリズリーでも、万事がそんな調子だと嫌になる。
 さらに、生来、負けん気が強いシェリアは、周囲に言われれば言われるほどリズリーに対抗し、顔を合わせるごとに、自分が上だと主張し、威圧するようになっていた。
 気疲れする従姉妹とは距離を置き、できるだけ関わらないようにしていたが、さすがに今日は避けられない。
(結婚の挨拶ぐらいは、喜んでもらいたいけど……考えが甘かったかしら)
 婚約者のカラムと待ちぼうけをくらいながら、リズリーはそっと息を吐く。
(一ヶ月以上前に訪問を手紙で知らせていたのに、肝心の伯父様は留守だなんて)
 紅茶でも出されていれば、うっかりしていたのね。とか、忙しそうだからしょうがないわね。で流せたかもしれない。
 けれど一ヶ月以上前にした約束をおざなりにされ、客扱いもなしでは、身内のリズリーはともかく、一緒に来たカラムに申し訳ない。
 カラムも、伯爵家の馬鹿にした扱いに不機嫌で、黙り込んだまま眉間を寄せている。
 この分では、いつ、へそを曲げて帰ると言いだすことか。
 子どものときから知り合いだから、彼の腹立ちもよくわかる。
 彼は幼なじみで、カラムの父であるバロケット地方伯とリズリーの男爵家は、家族ぐるみの付き合いだ。
 異性との出会いが少ない地方社交界では、物心ついた頃から当然のように、リズリーはカラムと結婚すると思われていた。
 リズリーがギア男爵家に生まれた唯一の子どもで、本来は嫡男しか相続できない「爵位と領地」を、夫や息子に与えられる、特別女相続人であるのも大きい。
 持参金はほとんどないが、ギア男爵位と領地を夫や息子に継がせられる権利は、領地が隣しているカラムの父――つまりバロケット地方伯にとって利点だ。
 それに加え、分家とはいえ名門シャンド家の血を引く娘なのだから、金銭的に多少損をしても、人脈などで見返りは十分に期待できると考えている節がある。
 同居する祖母は、孫のリズリーをカラムに嫁がせ、男爵家の跡継ぎが生まれれば肩の荷が下ろせると、常々口にしていた。
 リズリーにしても、カラムと結婚できれば生まれ育った男爵家の近くに住めて、足腰が弱っている祖母を見舞えるから安心だ。
 経済的にも、カラムの家はそこそこ豊かで安定している。

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