人嫌い公爵は若き新妻に恋をする

春日部こみと

プロローグ (1)


   プロローグ


 赤、白、ピンク、黄色、オレンジ──色とりどりの薔薇(ばら)が競い合うようにして咲き誇っている。この迷路園は、全て薔薇の株で作られているのだ。
 その華やかで(かぐわ)しい薔薇の園で、夏の陽射(ひざ)しのような金色の髪を(なび)かせて、美しい人が微笑(ほほえ)んで、手招きをする。
「こっち。おいで、ミネルヴァ」
 ミネルヴァは彼女が微笑むと、(うれ)しくて(たま)らなくなる。
 小さなハート型の顔、すんなりと伸びた、小鹿のような手足。
 肌は白磁のように滑らかで真っ白、そばかすなんて一つも見当たらない。
 スッと通った鼻梁(びりよう)、熟れた木苺(きいちご)のように赤い唇。アーモンド型の目は大きく、瞳はエメラルドみたいに(きら)めいている。縁取る金の睫毛(まつげ)の長いことといったら!
 サラサラと降り注ぐ陽光のような()()ぐな金の髪は、結われることなく背に下ろされている。仕立ての好さそうなシルクのブラウスの光沢ある純白に、金の髪が()()んでしまいそうだ。
(なんてきれいなの……)
 ミネルヴァは、ほう、と溜息(ためいき)を吐いた。
 彼女はあまりにも美しく、初めて会った時にはよくできたお人形さんなのではないかと疑ったほどだ。
 美しいものに出会うと、人は胸を躍らせるものだと、いつか読んだ小説に書いてあった。今、その通りだと実感している。彼女に出会ってから、彼女のことを(おも)う度、ミネルヴァの胸はドキドキと早鐘を打つようになってしまったのだから。
「見て、ミネルヴァ。あの薔薇が咲いたよ」
 ガラスの鈴を鳴らしたかのような澄んだ声で呼ばれ、ミネルヴァは慌てて目を瞬いた。
 見惚(みと)れていたことに気がつかれてしまっただろうか。
 そんなミネルヴァに(あき)れた顔をすることなく、彼女は微笑みを深めて、ホラ、と指した。
 長く細い指が示す方向を見遣(みや)れば、そこには淡い翡翠(ひすい)色の(つぼみ)を持った薔薇の株がある。
 様々な種類の薔薇が植えられたこの薔薇の迷路園の中でも、とりわけこの薔薇は珍しく、緑色の花が咲く株なのだそうだ。
 王宮にあるこの薔薇園(ばらえん)で、ミネルヴァが最初に迷子になってしまった時、泣きじゃくるミネルヴァに、彼女が教えてくれたのだ。
『ねえ、()()んでよ。そんなに泣いていたら、涙できれいな薔薇も見えなくなる。ホラ、この薔薇なんて、緑色の花が咲くんだよ。珍しいでしょう?』
 初めて連れて来られた王宮で父とはぐれ、ひとり迷子になってしまった心細さでいっぱいだったミネルヴァは、彼女の言葉に驚いて顔を上げた。
『緑色の薔薇?』
 薔薇はピンクや赤や黄色なものだと思っていた。緑色の薔薇など、見たことがない。
 ようやく泣き止んだミネルヴァに、彼女はホッとしたように微笑んだ。
『そうだよ。まだ蕾だから見られないけど、薄い翡翠色の花なんだ。赤やピンクと違って大人しいけれど、まるで生まれたての(ちよう)の羽のように、瑞々(みずみず)しく、麗しい薔薇だよ』
 彼女は紡ぐ言葉まで美しかった。本好きのミネルヴァは、物語の語りを読んでいるように、うっとりとその声に聞き入った。
(なんだか、妖精さんとお話しているみたいだわ……)
 美しい女性が美しい声で紡ぐ、美しい言葉。
(もしかしたら、彼女は薔薇の妖精さんなのかもしれない)
 ミネルヴァの大好きな物語には、全ての自然にはそれぞれを(つかさど)る妖精が存在していて、臆病な彼らは、普段は人間に見られないように姿を消しているのだと書いてあった。
 でも、(まれ)に気に入った人間には、こっそりと姿を見せてくれるのだとも。
 こんなにもなにもかもが美しい彼女だから、妖精であってもおかしくない。
(ううん。とびっきりきれいなこの人は、きっと妖精の中の妖精……妖精の女王様なのよ!)
 そう思った時、彼女が言ったのだ。
『ねえ、君。ここで私と会ったことは、誰にも言ってはいけないよ』
 ミネルヴァはハッとして菫色(すみれいろ)の瞳を瞬いた。
(やっぱり、この人は妖精なんだわ!)
 誰にも言ってはいけないと言った。それはつまり、彼女がミネルヴァを気に入って、ミネルヴァだけにこっそりと姿を見せてくれたということだろう。
 少々飛躍し過ぎたものの考え方ではあったが、まだ五歳でしかなかったミネルヴァにとっては、もうそれが真実にしか思えなかったのだ。
『わかりました。絶対に誰にも言いません。お約束いたしますわ!』
 侯爵令嬢であるミネルヴァは、小さくても立派な淑女だ。
 約束の(あかし)として、スッと背筋を伸ばしてドレスの裾を(つま)むと、彼女の前で膝を折った。そして驚いて目を丸くしている彼女の片手をそっと取ると、その甲にキスを落とした。
『わたくし、ミネルヴァ・クリスティーナ・パウレットは、あなた様とのお約束を違えぬことを誓います』
 それは貴族の女性が、身分の高い人に対して親愛や忠誠を誓う時の作法だった。
 まだ幼いミネルヴァが、そんな一人前の礼を取るなんて思わなかったのだろう。彼女は呆気(あつけ)に取られた顔をしていたが、やがてふわりと破顔した。
 あまりに整い過ぎていて、ややもすれば冷たくさえ見えがちだった美しいのかんばせが、その微笑みで一気に華やいだ。
(……まぁ!)
 あまりの艶やかさに、幼いミネルヴァの心までもがキュンと高鳴る。
 この初めての出会いからずっと、ミネルヴァは彼女に夢中だ。
 彼女に案内され、無事に迷路園を抜け出した後も、暇があれば彼女のことを考えている。

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