国王陛下の逃げた花嫁

白金あろは

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 威容(いよう)、といってよかった。
 石造りの堅牢(けんろう)そうな壁はアメリアから見ると空の半ばまで届いているように感じられたし、鉄の(びょう)がいくつも打たれている門の扉だって、身長の何倍もありそうだ。
 この奥にあるはずの、国王が住む城は塔さえもまったく見えない。
 かなり広大な城なのだろう。
 おまけに槍を持って立ちはだかる門番は鎧に身をかため、こちらをぎろりと睨んでくる。
「あの、ええと……」
 アメリアは慌てて隠しから通行証を取り出し、門番に見せた。
「刺繍工房に勤めることになっている、アメリア・ライトマイヤーと申します」
 黒い縮れ毛を兜から覗かせた門番はくいっと顎をしゃくった。
「北西の門だ。ここは表門だから貴族以外は通れん」
「はあ……。この道を行けばいいのですか?」
 アメリアは左手を指し示した。
「まっすぐ壁伝いに歩けば夕暮れまでには着く」
 思わずため息をついて、アメリアは通行証を再び隠しにしまった。
 夜明けと共に街道沿いの安宿を出て街を目指し、ようやく城に辿り着いたと思ったら、まだ歩かないといけないらしい。
 とはいえ日が暮れるまでには工房に到着しないと。
 アメリアはわずかな手荷物を抱え直し、石畳の道を歩き始めた。
 ここヴァレンテ国は、故郷のノイマン国に比べ南方にあるためか、かなり暖かい。
 黒い瞳と黒髪を持ったひとが多く、金髪に青い目のアメリアとは、見た目からして違っていた。
 異国なのだ、と思う。
 半刻も歩くとやがて小振りな門が見えてきた。ここが北西門だろうか。
 アメリアは再び通行証を取り出した。
「ふうん、工房の職人か。ヴァレンテの人間じゃないよな? へえ、ノイマンから来たのか。まあ頑張んなよ」
 こちらの門番は先ほどと違って愛想がよく気楽な雰囲気だ。ちらちらとアメリアを窺っていたもうひとりは、目が合うとバチンとウインクをしてきた。
「俺はマルコ。休みの日にはここに来いよ。一緒に遊びにいこうぜ」
「……」
 驚いていると、もうひとりも笑いながら続けた。
「ヴァレンテの男は手が早いから気をつけな。なにかあったら俺が相談に乗るぜ!」
「……はあ……」
 門番たちはアメリアには理解できない言葉を呟いて大声で笑った。
 卑猥(ひわい)な冗談かもしれない。アメリアは嫌な感じがしてさっと門をくぐった。
「急ぐなよ、案内してやろうか?」
「お嬢さん。つれなくしないで」
「結構です」
 アメリアは早足で城内に入り、そのまま道を進む。
 ヴァレンテ男は女と見ると誘いをかけてくる……故郷を出立するときに散々聞かされた言葉だったが、本当だったようだ。
 気をつけなければ……。
 軽く眉をひそめながら、アメリアはヴァレンテ城に足を踏み入れたのだった。


 アメリアが働くことになっている工房は、城内の北寄りに位置していた。
 そこは城の端に位置しているらしく、ところどころに同じような建物があるが騎士や庶民的な服装をしたひとびとが通り過ぎるのみで、あまり華やかな印象はない。
 案内板があるわけでもないので部外者にはわかりにくく、警備の騎士ふたりに道を聞いてようやく目指す工房に到着したアメリアは、なんの飾りもなくそっけない石造りの長方形の建物に入った。
 ここは王族をはじめ城で働く貴族など、様々なひとの衣服や身の回りの品を製作しているところで、おそらくヴァレンテ国でもっとも感性の磨かれた腕のよい職人が多数働いているはずだ。
 途中まで案内してくれた騎士に礼を言ったアメリアは(もちろん騎士は、今夜食事を共にしないか、と言ってきた)、教えられたとおり階段を上がって南向きの通路を奥に向かって歩いた。
 薄暗い廊下に光が漏れておりそちらに近づいていくと、扉が開いていて女性たちの声が響いている。
「まだ来ないの? まさか、働くのが嫌で逃げ出したんじゃない?」
 部屋の中から聞こえてきた声に、アメリアははっとして足を止める。
「没落した貴族のお姫様なんでしょう? そんなお育ちのいい方に、ここが勤まるのかしらね?」
「貴族なんて落ちぶれたらただのひと。しかもノイマンの田舎者だっていうじゃない。せいぜい可愛がってあげましょうよ!」
 悪意のある笑い声が廊下まで響く。
 間違いなく自分のことだった。
 三年前にヴァレンテに征服されたノイマン国の、しかも没落した貴族の娘。なんの後ろ盾もなく、これから城の奥深くで仕事に精を出し、給金をもらう。
 アメリアは自分の姿を見下ろした。
 流行遅れの粗末な服は旅で汚れ、裾はほつれている。靴はすり減っているし、髪はひとつにまとめて布をかぶっただけで、髪飾りのひとつもつけていない。
 どう見ても貧しい農民だろう……。
「なにをしてるのですか?」
 突然低い声が背後からかかった。アメリアがびくりとして振り向くと同時に、部屋の中も静まりかえる。
 大股で歩いてきたのは背の高い、黒髪の女性だった。緑色の飾りのない服に前掛けをつけ、髪は後ろでひとつにまとめている。
 その女性はまっすぐアメリアに視線を当てて、あら、というように首を傾げた。
「あなた、今日来ることになっていた刺繍師?」
「は、はい。アメリア・ライトマイヤーと申します」
 アメリアは膝を少し曲げて挨拶をした。
「遅かったですね。私は工房で働いているカレンといい、ここの責任者をしています」
「よ、よろしくお願いいたします」
「入りなさい。今日の仕事はもう終わっていますが、まだみんな残っているので、紹介します」
「はい……」
 少し堅苦しい話し方をするその女性、カレンは、乱暴ともいえる手つきで半分開いていた扉を大きく開けると、
「悪口が廊下中に響いてましたよ。片づけは終わったのですか? 今日来た新人を紹介します」
 と言いながらアメリアを部屋の中央に連れていった。
 そこは仕事場なのだろう、部屋は遠くまで見通せるほど広くて天井も高く、左手の壁には窓がたくさん並んでいた。
 中央部分には長机がまっすぐ置かれ、巻かれた布がいくつもあり、そのせいか少々埃っぽい。
 刺繍道具を入れてあるらしい箱もところどころに並べられ、手前にある机ではつい今しがたまで仕事をしていたのだろう、鋏や刺繍糸が散らかったままになっていた。
 アメリアの周りを取り囲むようにして、部屋にいたひとびとが並ぶ。
 みなカレンと同じ服を着て前掛けをし、頭には薄い素材の布をかぶっていた。お仕着せなのだろう。しかし印象はこざっぱりしている。
「刺繍師のアメリア・ライトマイヤーです。ノイマンでは有名らしく、明日からここで働いてもらうことになりました」
「よ、よろしくお願いいたします……」
 カレンと並ばされたアメリアは、自分に向けられる好奇の視線から逃れるように顔を俯けたまま、呟くように挨拶をした。
「そんな小さな声じゃ聞こえませんよ」
 カレンが叱るように言う。
「す、すみません……!」
「まあよろしい、長旅で疲れているのでしょう。部屋に案内するから、荷物を置いたら食事を取ってください。仕事は明日の朝から。みんなも今日はもう解散です!」

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