新婚以上 恋人未満~まずは結婚から始めます~

橘志摩

1 突拍子もない解決方法 (3)

 ただでさえ、向こうの社内では一番のできる人として有名なまひるのことだ。それこそ引く手あまたなんだろう、恐らく。今までこういう話がなかったことの方が不思議なのだ。
 お互いに気持ちを落ち着かせるかのように小さく息を吐き出して、グラスに入っていた酒を一気に飲み干した。

『……結婚しようか』

 同時に口に乗せた言葉に、二人ではなく、カウンターの中に立っていた顔なじみのバーテンダーが一瞬驚いたように視線を上げた。
 何気なくメニューに手を伸ばして、すでに平静を装っているバーテンダーに次に何を飲もうかと悩んでる素振りをする。
 お互いに口にした言葉の現実味の無さに(あき)れて、同じことを考えているとわかっていたはずなのに、全く同じ言葉が出て驚いた。
「……いやいや」
「……いやいや、なぁ? そんな安直なっつー……」
「そうそう、安直すぎるって、ねえ?」
 乾いた笑いとともに、二人でそう口にする。口寂(くちさび)しさに耐えかねて、飛鳥がワインを頼むと、まひるも同じものを頼んだ。
「お待たせいたしました」と差し出されたワイングラスを、くるくると回す。回すのをやめてから視線を上げると、まひるは飛鳥をじっと見つめていた。
「……でも、手っ取り早い方法はそれだよな」
「……それだけ、だよね……」
 思考がまともに働いていない。それはわかる。二人ともそれが一番の解決方法だと思ってしまっている。
 決まった相手はいない。好きな人も同じくいない。おまけに飛鳥はこの人なら、結婚して同じ名字になってもいいかもしれないなんて、思っている。
 口内に溜まった(つば)を飲み込んで、恐る恐る口を開いた。
「…………本気?」
「……飛鳥こそ」
 もうその提案を口に出してしまった以上、ここで言葉遊びみたいなことをしていても仕方ない。
 腹を(くく)ったのは、まひるの方が早かった。
「……俺は、お前だったらいいかって思ってる」
「……な、なんで?」
「飛鳥なら気心しれてるし、それなりにお互い尊重して生活できるだろうってのも、なんとなくだけどうまくやっていけんじゃねぇかなってのもわかる」
「……それは……」
「もし本気で好きなやつができたら別れる。飛鳥に手を出すつもりはまったくないし、その辺は安心してくれていい。……だけど、お前が嫌ならこの話はここで忘れる。せっかくできた女友達無くしたくもねぇし」
「……崎山さん」
「戸籍に傷つくのが嫌だっていうのも断る理由だし、正直に言ってくれ。俺の方はなんとかするし、しなくちゃどうにもなんねぇし」
 まひるはそう言って、新しいお酒に口をつけている。
 戸籍云々(うんぬん)は置いておいて、この先自分に、心から好きになって結婚したいと思えるような相手ができるかどうか考えて、そんな予感がまったくしないことに不安を覚えた。
 それならこの人の戸籍に入れてもらって、この苦境から逃れた方がいいんじゃないか。両親だってもう高齢で、娘の花嫁姿を見たがっていることも知っている。
 普通の結婚ではないから孫は叶えてあげられそうにないが、ここで親孝行するのも一種の手かもしれない。
 結婚するいきさつは両親の望むものではないだろうが、言わなければ両親が知ることなどないだろう。それならいっそ、気の合う男友達と共同生活を送る契約として、婚姻を結んでも問題は無いように思える。
 何よりお互いに困っているお見合い話から、確実に逃げられる。
 好きでもない、どんな人間かもわからない相手と引き合わされるより、彼とその方向で話し合いを進めた方が、よっぽど有意義なような気がした。
「……い、いいんすか、私で」
「……さすがになぁ、お前じゃなかったらこんな提案してねぇなぁ、俺」
「デスヨネー」
 話に乗るべきか否か。考えている時間はそれほどあるわけじゃない。
 部長からのお見合い攻撃は日々その激しさを増しているし、まひるの方もそう猶予(ゆうよ)があるわけではない。だからこうして頭を抱えていたのだろう。
 二の足を踏むならやめるべきだ。そう思う心と、ここで踏み出さなかったら、この苦痛の日々からは逃れられないと冷静に判断している気持ちがある。
 飛鳥は彼を真似(まね)るようにワインを飲んで、小さく息を吐いた。
「……私多分、そんないい奥さんになれませんけど」
「そんな期待してませんけど」
「デスヨネー」
「……それに、そんなこと言ったら俺だって、そんないい旦那になんかなれねぇし」
「そんな期待してねぇし」
「デスヨネー」
 そんな言葉遊びを繰り返して、少しの間を置いて、またお互いに吹き出した。
「……色々と決めなきゃねー」
「……そうだな。宣言する以上、式は挙げなきゃなんねぇだろうし」
「忙しくなるねぇ」
「だなぁ」
 カウンターに肘をついて、笑いながら思いついたことを口にする。彼も彼で、同じようにカウンターに肘をついて笑っていた。
 この申し出を蹴ったところで、苦しむのは目に見えている。
 それならここで、気の合う友人の彼と、偽装結婚しても悪くはない。もしかしたらそのまま一生、なんてこともあるかもしれない。将来、もし万が一お互いに介護が必要になったりしても、この人だったら安心して任せられるだろう。
 彼も同じことを考えていたのか、手を差し出してきて、少し迷ってから、飛鳥はその手を握り返して堅く握手を交わした。
「んじゃ、ま」
「これからよろしくお願いします」
 まだ決めたばかりだ。やらなきゃいけないこと、決めなきゃいけないことは山ほどある。
 だがそれでも、先の見えない苦痛から逃げ続けるよりは、(はる)かに楽しい出来事のように思えた。

◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「結婚するぅ!?
「はい。……申し訳ありません、今の今まで黙っていて……。その、ちゃんと日程が決まるまではと思ってたんですけど……。部長のお気遣いにだんだん申し訳なくなってしまって……」
 飛鳥がそうしおらしい表情で言うと、部長は気まずそうな、でもどこか嬉しそうな顔をして「いやいや」と続けた。
「いいんだよ、気にしないで。いや本当によかった。お節介かもしれないとは思ってたんだけどな。どうにも栢山はこのまま一生一人でいそうに見えたからな」
「……部長、モラハラって言葉知ってますか」
「えっ」
 確かに、部長の想像は間違っていないだけに、飛鳥もそれ以上は突っ込めない。だが、少しのイヤミくらい言い返しても問題はないだろう。
 飛鳥の言葉に目に見えて焦った部長は、必死で笑みを取り(つくろ)って、何度も「すまん」と口にしている。
「……冗談ですよ。企画部に引き上げてくれた部長には感謝してますから。式の日取りが決まったら是非(ぜひ)、出席していただけると嬉しいんですけど」
「それはもちろん! あんまり心臓に悪いこと言わないでくれよな。最近は敏感なんだから、おじさんも」
「他の部署の方はわからないですけど、部長なら大丈夫だと思いますよ」
「それだといいんだけどなぁ。まぁ詳しいことが決まったら教えてくれな。あ、もちろん仕事は続けるんだよな?」
「あ、はい。辞める予定はないです」
 結婚するといっても本当の意味での結婚ではないし、飛鳥もまひるの稼ぎを当てにして仕事を辞める予定はない。新しく部屋も借りるつもりだし、今時、結婚したから仕事を辞めますと言ってあっさり仕事を辞めなければいけないわけでもない。
 この先、まひると飛鳥がどうなるかは本人達にもわからないし、仕事を辞めるつもりなど一ミリも考えていない。

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