宗匠と熱愛中~お点前頂戴いたします!?~

園原未久

第一章 (3)

 片岡は自宅を一部、茶道教室に開放しているが、稽古をしているときはまだいい。皆、真剣だからだ。問題は稽古が終わったあと、なにか思い詰めて物言いたげにしている生徒や、片岡の顔を見つめている生徒、見学にだけ来ておいて、いきなり個人的な連絡先を聞いてくる入門志望者などがあとを絶たないのである。教室も特に宣伝しているわけではないのに、日増しに入門者数が増え、仕方なく教室を開く頻度を増やした。それだけ茶道が現代の人々に求められていると思えば嬉しいが、果たして本質はどうだろう。そこまで考えて、ふと天を仰いだ。今にも一雨降り出しそうな曇天である。
 路地笠と路地下駄の用意も必要か……。
 心中でそう(つぶや)くと、片岡は茶室へ続く飛び石を歩いて行った。

* * *
 片岡が藍鉄色(あいてついろ)に染めた一つ紋付きの江戸小紋に、朽葉色(くちばいろ)の絽袴を合わせて表に出ると、縁側には既に先客が居た。
 白いブラウスに、裾がフレアになった膝下丈のスカートを合わせた女性が、円座の上に腰掛けて、うつらうつらと船を漕いでいる。膝の上に菓子折りらしき風呂敷包みがあるところを見ると、新しい入門者だろうか。その顔は、まだ二十代にさしかかったばかりのようで、あどけない。染めていない髪を後ろで一つに束ねているが、まとめきれず襟足から零れた後れ毛が、ふわふわと風に揺れていた。
 ふと彼女の右手を見ると、自邸の庭で育てている麒麟草(きりんそう)が握られていた。今にも咲き出しそうな黄色い蕾が、彼女の呼吸にあわせて上下する。庭の花に許可なく手をつけられたことに憤慨する気持ちは不思議と湧いてこず、花が咲き初めるときの、一番生命力にあふれる瞬間を的確に(すく)い出していることにむしろ感嘆を覚えた。
 茶室に映えそうな枝ぶりだな……。
 ふと悪戯心が湧いて、微睡(まどろ)んでいる彼女の隣に円座を置いて、自らも腰掛けた。これで目を覚ました彼女は、さぞ驚くことだろう。そんな風に考えて、ひとりほくそ笑んだとき、空から一つ二つと雨粒が地面を叩く音がした。二人が腰掛けている縁側は屋根が張り出しているから濡れる心配はないが、思いがけず早く雨が降り出したことに、心の中で軽く舌打ちした。そんなときだった。路地の向こうから知人が顔を出した。右手を傘代わりにかざして足早に歩いてくる細長い人影は、清水という大手版元に勤める青年だ。
「片岡さん、お久しぶりです。すみません、お忙しいところお時間を頂戴して。今、電話で席を外していたものですから……」
 清水は両足を揃えて恵一に丁寧に礼をすると、彼の傍らで眠ったままの女性に目を向けた。
「……すみません。眠っちゃいましたね、秋津さん。いや、待たせておいた私が悪いんですが……。あとでよく言って聞かせておきますから」
「……というと? 彼女が今回の仕事の?」
 片岡が問うと、清水は申し訳なさそうに再び腰を折った。
「ええ、担当者です。彼女には片岡さんと校了まで二人三脚で頑張ってもらおうと思っていたんですが……、起こしましょうか?」
「ああ、そのままで構いませんよ。無理に起こすのも可哀想でしょう。お話でしたらどうぞ、中で伺います」
 片岡は清水に路地笠を手渡すと、穂波の右手から麒麟草を抜き取り、飛び石の上を歩いていった。清水が後ろ髪引かれるように、それに続く。
「本当に寝かしたままでいいんですか?」
 清水が問うと、片岡は鷹揚(おうよう)に頷いた。
「昼寝の場所代はもういただいていますから……」
 路地笠を持つのと反対の手で麒麟草をかざすと、恵一は茶室に清水を案内した。
「どうぞ。一服お点てしましょう」
 片岡はそう言って清水を躙戸(にじりど)に誘った。辺りでは相変わらずぽつぽつと、庭木に雨が当たる音が響いていた。

* * *
 穂波が目を覚ました頃には、とうに陽が傾いていた。雨が降ったのか、庭も木々も一様に湿っている。
 いけない! 私ったら、いつから眠っていたんだろう……。
 清水に案内されて蹲踞を使い、縁側に辿り着いたところまでは覚えている。そして清水に電話がかかってきたのだ。
 穂波はこれ幸いとばかりに、庭を見て廻った。幸い片岡家の庭は広く、紫陽花や笹百合、空木(うつぎ)などが見ごろを迎えていた。その中でも特に気に入ったのが、咲き初めの麒麟草である。
 ……綺麗。ちょっとだけなら……。
 そう思ったときにはもう、手が伸びていた。摘み採った黄色い小花は、あとでデスクの上に活けようと思いながら、思わぬ土産ができたことに喜んでいた──はずだった。
 ……ん? なんだろう。
 穂波の右手には、いつの間にか麒麟草の代わりに、(あゆ)の形をした綺麗な干菓子が握られていた。透き通ったその成りをまじまじと見つめながら、どうやら誰かが花の代わりに置いていったのではないか、と推察する。
 どうしよう……これ。……食べちゃっても、いいのかな?
 普段食べ慣れない菓子の扱いを考えあぐねていると、思わぬ方角から声がかかった。
「どうぞ召し上がってください」
 凛とした張りのある声の主は、穂波の左隣に腰掛けていた。そこに座るまで完全に気配を消していたことにも驚くが、いったいいつから自分の醜態(しゅうたい)を見られていたのかと、頬が朱を差したように赤くなった。
「あっ……あの、すみません! この家の方ですよね?」
 穂波は、不意に背筋が寒くなった気がした。
 私ってば! 隣に人がいるのに気がつかないなんて……!
 慌てて言葉を探しながら、(うつむ)いていた顔を上げると、そこにいたのはにこりと微笑む、和服の男性だった。座っていても、穂波よりかなり上背があるようで、少し覗き込むようにして、こちらを見つめている。
 髪の長さは男性としてはやや長い方だろうか、前髪を左右に分けて、襟足はやや短めに整えてある。柔和な表情を浮かべてはいるが、美しく弧を描く口元から鼻筋、やや思案気に曇った眉根まで、実に品よく均整がとれていた。
 うわぁ……、綺麗な人……。
 相手の顔を不躾に見つめることは失礼かもしれないが、穂波はその人から目を逸らすことができなかった。それくらい、その男性の容姿は整っている。いや、ひょっとしたら、姿形だけではないのかもしれない、そもそも身に纏う空気が違う、そんな気がした。
「……そろそろ起きる頃合いかと思って、様子を見に来たらちょうどよかったですね。お迎えに上がりました」
 男性はそう言って立ち上がると、穂波に手を差し伸べた。その手を取るか逡巡したが、いつまでもまごついているのも悪い気がして、思いきって手を差し出した。男性は一つ頷くと、穂波の手を取って歩いていく。
 うわぁ……! 私ってば、こんな綺麗な人と手を繋いでいるなんて……!
 男性の大きな掌はさらりとして温かく、初対面の相手だというのになぜか心地がよかった。
 大きな背中……。
 穂波は、今まで男性とつきあったことがない。幼い頃に父兄と手を繋いだことはあるが、それは数のうちに入らないだろう。こんな風に男性に手を引かれて歩くことそのものが初めての経験だった。
 あれ……? なんだろう。顔が熱い……。
 そわそわと落ち着かない気分になりながら、どうにかそこまで考えた。穂波は、気まずさを隠すように必死に言葉を探す。そういえば、先ほどの問いに答えをもらっていない。
「あ……あの? 先程も伺いましたが、ひょっとしてこの家の方ですか?」

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