宗匠と熱愛中~お点前頂戴いたします!?~

園原未久

第一章 (2)

 穂波は短大では、日本文学を専攻した。彼女は自分に、特に文才があるわけではないことを自覚していたが、言葉で何事かを紡ぎ出すことの魅力に(あらが)えず、在学中、何度か物書きの真似事もした。そのまま都心で就職し、実家に帰れないことを告げたとき、両親は消沈したようだったが、厳しくも優しかった祖父が生きていたら、きっと我がことのように喜んでくれていただろう。
 穂波が現在所属しているのは、大手版元の下請けをしている編集プロダクションだ。入社二年目を迎えた彼女は、最近になって、そろそろ自分だけで、一つの仕事をこなしてみたいと思い始めていた。
「版元から今度、茶道の本を作る依頼が来ているんだけど、秋津(あきつ)さんやってみない?」
 その日の午後一番に上司から、そう声をかけられたとき、渡りに船とばかりに二つ返事で了承した。そんなやりとりがあったからかもしれない。茶道という言葉に触発されて、彼女の中にあった記憶の引き出しが、不用意に開け放たれてしまったのだろう。
 今頃になってお茶なんて……。おじいちゃんの悪戯なのかな……。
 穂波は一つ息を吐くと、版元の担当者と連絡を取るべく、メールソフトを開いた。

* * *
 会社の近所の喫茶店で会った版元の担当者は、穂波と同じく、社会人二年目だといって右手を差し出した。交換した名刺には“清水(しみず)”の名字が(つづ)られている。下の名前は“(りょう)”で、字面だけを追うと、梅雨時の蒸し暑さを忘れるような清々しさがある。
「よろしくお願いします」
 穂波が礼儀正しく頭を下げると、清水は嬉しそうに微笑んだ。
「秋津さんは短大のご出身なんですね。私と二歳違いです」
 清水は、はっと惹きつけられるほどの外見ではないが、ひょろりと背が高く、清潔感のあるスーツをこざっぱりと着こなしている。彼には、いかにも女性に可愛がられるような愛嬌があった。年上の相手に失礼かとも思ったが、穂波は、悪い相手ではなさそうだと、とりあえず初顔合わせの印象をそう結論付けて、ほっと胸を撫で下ろした。
「お手柔らかにお願いします」
「こちらこそ。それで、早速今回のお仕事の話なのですが……」
 清水がそう切り出して話した内容は簡単なものだった。
 曰く、茶道の次期家元に、茶道に関する実用書を書いてもらいたいということ。文章がメインの仕事になるので、特にカメラマンや外部の機関に助力を乞う必要はないということ。ただ、編集者側に茶道の知識が全くないのはあまりに不用意なので、仕事と並行して執筆者の主催する教室に入門し、手ほどきを受けるといいということ。清水が端的に話した内容は、以上の三点だった。
「それで、入門手続きとご挨拶をしに、先方に伺う日は私も同行しますから、スケジュールを調整しましょう」
「わかりました。当日、なにか必要なものはありますか?」
 穂波の問いに、清水は手帳をめくりながら答えた。
「まず、“束脩(そくしゅう)”と書いた封筒に、あ、これはつまり入門料という意味なんですけどね、その中に現金と秋津さんの連絡先を書いた紙を入れてください。それからだいたい三千円くらいの菓子折りの上にその封筒を乗せて風呂敷に包むか、手渡しやすいようにまとめてください。あと、当日は膝丈より長いスカートで来てください。持ち物は他に、できれば無地の白い靴下と懐紙(かいし)と菓子切り、あと大事なのは扇子があるといいですね……あと袱紗(ふくさ)も用意できると尚いいです。髪はまとめるか、一つに束ねてくださいね」
 清水の流れるような説明に、穂波は必死についていった。
 ちょっと、ちょっと……! いきなり、注意することが多すぎる……!
 矢継ぎ早に繰り出される清水の指示に、慌ててメモを取りながら、穂波はやんわり口を挟む。
「先方は女性ですか?」
 穂波の言葉に、清水はふと、考えるような素振りをみせた。
「それは、会ってからのお楽しみにしておきましょう。秋津さん、きっとびっくりするはずですから」
 清水は、そう言ってどこか楽しげに微笑んでいる。
「はあ……そうですか」
 穂波としては、仕事の相手が女性か男性かということよりも、なりゆきで入門することになってしまったことの方が、戸惑いが大きい。だから、そんな間抜けな返事になった。
「あの……ところで、入門は、必ずしないといけないんですか?」
 思わず口をついて出たのは、そんな一言だった。先方への挨拶の仕方について具体的な指示を貰えるのはありがたいが、仕事の仕方についてまで意見されるのは、少しやりづらい。
「そうですね。その方が、あとあとの編集作業がやりやすくなると思います」
 やはり入門しなくてもよい、と言われるのを期待して問うたが、清水の返事は穂波の意に反するものだった。
 はぁ……、結局、入門しなきゃいけないのかぁ……。
 どうせ仕事をするのなら、もっと自分の裁量で、思うとおりにやりたいと、穂波はついないものねだりをしてしまう。そんな彼女の心境を知ってか知らずか、清水はコーヒーカップをソーサーに置くと、名前の通り涼やかに微笑んだ。
「大丈夫です。最初は“()稽古(げいこ)”と言って簡単なところから始まりますし、秋津さんは見たところ聡明な方のようですから」
 穂波は清水の言葉に含まれた言外の圧力を敏感に感じ取り、諦めたように冷めたコーヒーを(あお)った。

* * *
 片岡恵一(かたおかけいいち)は、都心にある自邸の庭で、蹲踞(つくばい)の手入れをしていた。
 普段であれば単衣の着物に絽袴(ろばかま)を合わせるところだが、野良仕事をしやすいように、今は作務衣(さむえ)を身に(まと)っている。
 今日は客が来るからな……。
 蹲踞の木蓋を取り、荒塩と湿らせた束子(たわし)で水壺の中をよく磨き上げる。塵や木くずなどを取り除くと、乾いた布で塩気や汚れを拭き取った。蹲踞の周りの苔を痛めないように一通りの掃除を終えると、水壺の中に(たらい)で汲んでおいた水を張り、蹲踞柄杓(ひしゃく)を置いた。少し教養のある客なら、ここで心身を清めることがわかるだろう。そう思ってその場をあとにして、知らずため息が漏れた。
 どうして、こんな面倒なことになった……?
 発端は、家元の元に舞い込んできた一件の仕事だったと思う。出版社からの依頼は、家元に茶道の実用書の執筆を依頼するものだった。ところがどういう訳か、その仕事が自分のところに(まわ)ってきた。
 当代家元は片岡重嗣(しげつぐ)。号は宗志。夭折(ようせつ)した片岡の父の兄にあたるが、今年喜寿、つまり七十七歳を迎える。その年齢を考えると、三十一歳と年若い自分に仕事の鉢が廻って来るのは、当然かもしれない。叔父──重嗣には女子が一人いるが男子がいない。片岡の流派では女子による継承の前例がないため、従兄弟である自分が次期家元と目されることも最近では当たり前になってきた。そのことが嫌なのではない。むしろ、そう期待される人間であろうと望んでこれまで生きてきた。ただ、家元を目指すとなると、人づきあいも(おろそ)かにできない。ついつい表の顔と裏の顔を使い分けてしまう。
 そうやっているうちに、どうにも人間関係が煩雑(はんざつ)になってしまうことが、最近では少し悩みの種ではある。特に片岡の場合は、本人にあまり自覚はないが、家柄のみならず稀有(けう)──であるらしい容貌も手伝って、相手が男性でも女性でも、粘着質に絡んでくる手合いが多い。

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