小夜啼鳥恋夜~甘い蜜の檻~

月森一花

第一章 睡蓮と沈黙の皇太子 (2)

 ゆらりと瑛璋は立ち上がり、鳥籠に近づいてくる。立ち姿がとても美しい。背が高くゆったりとした着物を着ているせいで小柄な寧々をすっぽり隠してしまいそうだ。

「沙狼。よく考えなさい。私が礼璋がつくろった女をねやにはべらすとでも?」

 語り口は静かだが瑛璋の声は明らかに怒っていた。

(閨にはべらす? ……どういう……意味?)

 驚き鳥籠の柵に飛びついて揺する。

「ほら、小夜啼鳥も瑛璋様の御傍に行きたくてこのように『鳥籠から出して』と騒いでおります」

 なぜ寧々が動揺しているのかわかっているはずなのに沙狼は噓を瑛璋に伝えるのか。

 瑛璋の両手がきゅっとこぶしの形に握りしめられた。すると、

「全員、部屋から出ろ。生誕祭はもう終わりだ」

 瑛璋の後ろに影のように控えていた一人の従者が叫んだ。瑛璋と同じぐらいの年頃の若者だ。長い髪を一本にくくさわやかな風貌をしている。

「沈黙の皇太子がお怒りだ」

「生誕祭の場に出てくるというから、睡蓮州の実情に耳を傾けていただきたかったのに」

(沈黙の皇太子とは心の病のせいで喋らないという意味なの? でも先ほど、私に「去りなさい」と言ったわ。とても冷たい声で)

 寧々はまた混乱に襲われる。

 大広間にいた人間たちが散り散りになって出ていく中、瑛璋が鳥籠のすぐ前に立った。ひんやりとした視線が落とされる。

 顔をそらすのが一瞬遅れ、寧々は視線を絡め取られた。

「瑛璋様。ここまで鳥籠に近づいてきたということは、この小夜啼鳥の顔をじっくり見たかったからではありませんか? こちらに扉の鍵がありますよ」

 沙狼がふところから金の鍵を取り出しながら言った。

「遠目から見ると雪麗様によく似ていらしたでしょう? あなたがたいなことをした雪麗様に」

 瑛璋はすっと音もなく沙狼に詰め寄った。

「おや? 私に手をかけますか? これでも弟君の片腕といわれる男です。いくら洛国第一皇子の瑛璋様でも今度ばかりは弟君は許さないでしょう。摂政皇太子となられた弟君のご機嫌を損ねるのはいかがなものかと」

(弟君が摂政皇太子って? 第一皇子の瑛璋様を差し置いて?)

 テェルキエでも似たような制度があった。摂政皇太子とは現皇帝が病気などで執務につけない際に皇太子が代わりを務める。一番皇位継承権が高い者がその役目を果たすことになるのだが、瑛璋は弟に摂政皇太子の座を譲るほど具合が悪いのだろうか? 身体はどこも悪そうに見えない。

(やはり相当心を病まれていらっしゃるの?)

 瑛璋が鳥籠の鍵を沙狼の手から奪い錠に差した。

 鳥籠の中を瑛璋が冷たげな顔でのぞんでいる。

「出ておいで」

 丁寧だが逆らうことを許さない口調。

(怖いっ!!

 長い腕が鳥籠の中に伸ばされ、寧々は身をひねってそれをかわそうとする。寧々は本物の小鳥になった気分だった。

「小夜啼鳥。逃げ回らず大人しく出ておいで」

 少ししかるような言い方に寧々は鳥籠のすみで身を小さくした。伸びてきた瑛璋の手が手首をつかむ。男性にしてはほっそりしているがやはり男性の手だ。寧々の手より一回り大きい。そして目つきと同じぐらいひんやりとした手だった。

 瑛璋は寧々の手首を握ったまま脇に立たせると、沙狼に向かって淡々と言った。

「沙狼。この小鳥とやらをテェルキエにお前が責任を持って戻すように」

 そう言いながら瑛璋が寧々の背中をそっと押す。

(そんなの駄目よっ! 私はあなたを癒さずにはテェルキエには戻れないのっ!!

 身をくねらせて訴えるが、瑛璋は寧々に見向きもせず沙狼をけいべつしたような目で見ている。

「瑛璋様。この小鳥は摂政皇太子であられるあなたの弟君礼璋様からの贈り物です。断るお立場にないことを十分にご存知でしょう? あなたはこの睡蓮宮に弟君の温情でいることができるのですから」

 手首を握る瑛璋の力が一瞬増し、寧々の顔がゆがむ。

「そうですか。では瑛璋様が突き返してきたと弟君に報告させていただきましょう。そうだ。ついでにこの小鳥を皇都に連れていって礼璋様にお見せすることにしましょう。雪麗様にそっくりな化粧をし着物を着せて。でも、西から来るものにあの方は神経をとがらせておりますから即刻処分してしまうかもしれませんが」

 寧々は恐怖に駆られ瑛璋の着物の袖を握った。

 すると沙狼は、

「可哀想に。こんなに震えて」

 と寧々の背中をでた。不快感に寧々の身体がひきつる。

「いいんですね?」

 念を押す沙狼に、瑛璋は寧々の小柄な身体を押し出すことで答えた。

 沙狼がまるで物を扱うみたいに乱暴に寧々の細い肩を摑んだ。

「では瑛璋様」

 うやうやしく礼をした沙狼は宴の部屋を出る。引きずられるように寧々もその後に続く。かなうわけがないとわかっていてもジタバタと抵抗した。瑛璋に向かって手を伸ばし(助けて)と心の中で叫ぶ。

 瑛璋がじっと寧々を見ていた。その顔はなぜかとても困っている。

(お願いします。瑛璋様。助けてください)

 寧々が唇を動かし訴えると顔をそらされた。

(……そんな)

 大広間の出口に向かって沙狼が歩き出そうとしたときだった。

「……待ちなさい」

 ツカツカと傍にやってきた瑛璋が寧々を奪い取り腕の中に抱く。胸は硬く着物からは涼しげないい匂いが立ち昇る。

「そうですか。この小夜啼鳥を気に入っていただけましたか」

 沙狼がいやらしく目を細めた。そのまま廊下に出て庭を覗き込んだ。やがて空を見上げた。

「瑛璋様。もうすぐ雨の季節ですね。しばらく睡蓮宮に滞在させてもらってもよろしいでしょうか? 実はですね、そんなことはあり得るはずもないのに、弟君は瑛璋様が皇都から遠く離れた睡蓮宮に籠っていても不穏な動きをしていると疑心暗鬼になっているんですよ。だからこの宮殿を隅から隅まで摂政皇太子の代理の名のもとに調べてこいと。ああ、小夜啼鳥は日がな一日歌わせるでも、夜だけ鳴かせるでも構いませんよ。瑛璋様のお好きなように」

 沙狼が寧々にくばせしてもつたいつけたようなゆっくりとした足取りで出ていく。沙狼が消え去って瑛璋が寧々を抱く力を緩めた。

 穴が開くほど見つめられる。

(……一言も発していないのに、すごい威圧感)

 あまりの迫力におびえていると瑛璋の手がふっと寧々の頰に伸ばされた。親指の先でさらりとこすられる。酒の雫をぬぐい取ってくれているようだ。

「……化粧だったか」

(もしかしてお化粧が取れてしまった?)

 普段、寧々は化粧をしない。この大広間に入る前に沙狼が女官に指示をさせて寧々の顔に化粧を施させたのだ。何度もやり直しをさせられ出来上がるまで随分時間がかかった。どうしてこんなことをするのだろうと不思議に思っていたが、沙狼は雪麗という女性に寧々を似せたかったらしい。

 深いため息が瑛璋の口から漏れた。落ち込んだようなほっとしたような様々な感情が混ざり合ったため息だった。

 瑛璋は寧々に背を向け、先ほどまで座っていた大広間の最奥に静かに戻っていく。入口には先ほど「生誕祭はもう終わりだ」と叫んだ若い従者が影のように立っていて足音も立てずに後をついていった。

(……私、どうなるの? 洛国にこのままいられるのよね?)

 瑛璋は元いた場所に座るとまた盃に酒を注ぐ。そして傍にやってきた若い従者に向かって言った。

メイ。明日、朝日が昇ったらそれを即刻テェルキエに旅立たせなさい」

 ───それ。

 つまり寧々のことだ。

 耳がキンとした。

(私は瑛璋様の心を歌で癒し、皇都にお戻りいただかなければならないのに。ここで追い出されたら沙狼様の命令を遂行できなかったとみなされてテェルキエが燃やされてしまう)

「しかし、礼璋様からのみつぎものを勝手に……」

「連れていきなさい」

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