小夜啼鳥恋夜~甘い蜜の檻~

月森一花

第一章 睡蓮と沈黙の皇太子 (1)



 ざわめきが一段と大きくなったような気がした。

 暗闇に閉ざされた世界で少女はひざを抱える。

「名前はテェルキエ王国ではネイと呼ばれていました。らくこくでは寧姫ネイキ。愛称はネイネイと言ったところでしょうか」

 すぐそばでざらざらとした耳触りの男の声がする。

 ───ロウ。少女をこの国に連れてきた男だ。

 寧々は大きな金のとりかごの中に入れられていた。その上から分厚い布がかぶせられ、入り口には頑丈な錠がかけられていた。

「西の国の女など滅多に見れるものじゃありませんよ。さあ、とくとご覧ください!!

 ───バッ。

 と大きな音がして布が取り払われ、暗いだけだった世界がいきなりひらける。

(目がくらみそう)

 まぶしさに目を細める。

 洛国の民族衣装の着物を着た大勢の人間が広間の両端に座っていて、金の鳥籠の中にいる少女を驚いたように見つめる。

 大きな目にあどけない顔立ち。豊かでぐな黒髪は腰まであり耳元を白い花で飾っている。袖や胸元に金のしゆうが施された青色の民族衣装はラサ・フィンデルという名で、エイジア大陸の西の果てにあるテェルキエ王国の衣装だ。十七歳のれんな少女は異国情緒にあふれ、とても目を引いた。

 光に目が慣れてきて寧々は息を呑んだ。

(……なんて大きな部屋)

 辺りを見回す。朱塗りの美しい壁と柱がどこまでも続き、天井には龍が天空に向かって昇る絵が描かれている。千人をゆうに超える人間が広間の両端に座っていた。うたげの最中のようで彼らの手元には豪勢な料理や酒が並んでいる。美しく着飾った女官たちが忙しそうに動き回っていた。等間隔に大きな花瓶が置かれ、白や薄桃色の花がこぼれんばかりに活けられている。

(ここが……すいれんきゆう

 東の果てにある洛国。その最果てにある州が睡蓮州だった。そこにある離宮は睡蓮宮と呼ばれ、夏になると洛国の皇族たちが避暑を過ごすために使われていた。現在は第一皇太子であるエイシヨウという男性の住まいだ。

 寧々は瑛璋に引き合わされるため、わざわざテェルキエから呼び寄せられたのだった。

(これが洛国の人たち……。東の果ての住人)

 黒い目に黒い髪はテェルキエ人と同じ。顔立ちだってそう変わらない。だが着物という服装が違う。しやべる言葉が違う。見た目はそこまで変わらなくとも、ここは完全に異国なのだ。

 寧々は緊張と恐怖と恥ずかしさにとらわれうつむいた。

 テェルキエから持ってきた唯一の私物、宝石のついた小さな小箱を胸元でぎゅっと抱きかかえる。中に入っている小物が寧々の不安を代弁するかのようにカタカタと震えていた。

(鳥籠の中に入れられて大勢の人たちの目にさらされるなんて……まるで見世物)

 六歳の頃よりテェルキエ王国の王族に次ぐ身分に列せられ育てられた寧々は、こんなはずかしめを受けたことは生まれてこの方なかった。

「まだいたいけな少女ではありませんか」

「なんと可愛かわいらしい。本物の小鳥のようだ」

 大広間にいる人間たちが鳥籠の中の寧々を見て口ぐちに感想を述べあうのが聞こえ、ますます顔を上げられなくなる。

「おい。いつまで俯いているんだ」

 鳥籠の隣に立つ沙狼がささやく。

「真正面に瑛璋様が座っていらっしゃる。ほほみの一つでも浮かべてみせろ」

 寧々の肩がピクリと震える。

(瑛璋様が……目の前に)

 瑛璋は心をみ、こうを離れこの睡蓮宮に一年近くこもっている洛国第一皇太子。繊細ではかなげなふうぼうをしたとても優しげな方だと寧々は沙狼から聞いていた。

(瑛璋様とうまくお近づきになれるだろうか? 私の能力を気に入ってくださるだろうか?)

 寧々は不安になる。

 一人の男性につきっきりで能力を使うのは初めてだった。つきっきりであれば話をする機会も必然と多くなるだろう。だが寧々は物心ついて以来、若い男性とまともに話をしたことがない。

 寧々をテェルキエから洛国に連れてきた沙狼以外は。

「顔を上げて瑛璋様にお見せしろと言っている。さもないと……わかるな?」

 きような脅しに寧々は緊張しながら顔を上げた。

 そして───しばらく絶句した。

 繊細で儚げな風貌をしたとても優しげな方とは正反対の人物が大広間のさいおうに座っていたからだ。

 黒色の宝石みたいな目に、同じく黒色の長い髪。すらりとしたたいを青い龍が舞う柄の光沢のある着物で包んでいる。

(……テェルキエの森にいる狼)

 遠目で目が合った瞬間、寧々はそう思った。

 どうもうさと優美さを兼ね備えた雰囲気の男性は、皇都から歩いて半月もかかるほど離れた離宮に一年も籠りきりの病人にはとても見えない。後ろには従者が何人か控えていて、瑛璋の機嫌を伺うかのように表情を硬くしている。

 寧々は鳥籠に飛びついた。

(沙狼様! 話が違うわ)

 鳥籠のさくを握りしめながら寧々はパクパクと口を動かす。だが沙狼はニヤニヤと笑うばかり。

 さっと手を上げて、「この鳥籠を瑛璋様の目の前に」と自分の従者に命令を出す。

 沙狼はまだ二十代の若者だが、摂政皇太子代理の地位にあった、皇都にいる瑛璋の弟君からの覚えがすこぶるめでたいのだという。

 鳥籠が瑛璋の傍にだんだんと近づき、彼の顔かたちが先ほどよりさらにはっきりしてくる。

 冷ややかな目つきと大きな口が野性的で繊細さは欠片かけらもない。

(本当にこの方が心を病まれているとしても私、いやすことができるのかしら)

 寧々は息苦しさを覚え自分の喉に手をやった。

(まず歌を一曲聞いていただいて気に入っていただかなければ。けどもし気に入られなかったらどうしよう。絶対失敗は許されないのに)

 恐怖でますます喉がきゅっと締まる。

「瑛璋様。御生誕おめでとうございます。こちらは弟君レイシヨウ様からの生誕祝いの品になります」

 鳥籠の前に一歩踏み出す沙狼は片方の唇の端を皮肉気に上げる。

「いかがです? テェルキエでは小鳥、もしくはナイチンゲールと呼ばれるうたうたいの女です。この女はその中でもテェルキエの至宝という称号を持ち国民にあがめられておりました。洛国では小夜啼鳥ナイチンゲール(夜鳴き鳥)のことです。きっと昼は歌声で夜は別の声で瑛璋様を楽しませてくれるはずです」

 下品な言葉に瑛璋がチラリと沙狼を見たあと、手の中のさかずきに一瞬視線を注いだ。


 ───パシャン。

 水滴が飛び散り寧々の髪の毛がれた。

(一体何が起こったの?)

 酒のしずくひたいからほおを伝って涙のようにあごさきに垂れていったとき、ようやく瑛璋に盃の中の酒を投げつけられたのだとわかった。

 笑い声やおしゃべりで溢れていた大広間はしんと静まり返った。

 盃を優美な仕草で手元に戻しながら、瑛璋が少し肉厚な質感のある唇をゆっくりと動かす。

「去りなさい。お前になど興味はない」

 低い声が大広間に響いた。

 雫が寧々の頰を伝って涙のように流れていく。

(どうして?)

 絶望が襲ってきた。

(……どうしてこんな仕打ちを受けるの?)

「そんなにお気に召しませんか?」

 沙狼が肩をすくめながら言う。

「礼璋様はお兄様の心が癒されればと思いこの沙狼に命じたのに。苦労したんですよ? 洛国の支配地域に入った国を全て回って雪麗シエリー様に似た女性を見つけるのは」

(……雪麗様? 一体何のこと? 私は瑛璋様の心を癒すために洛国に連れてこられたんじゃなかったの?)

 なのに、盃に入った酒を投げつけられるというこの仕打ち。

 本当は雪麗という女性と似ているから連れてこられたという真実。

 混乱が寧々を襲う。

 しばらく何も語らず沙狼を見ていた瑛璋は突然、豪華な食事が盛りつけられた美しい食器をほっそりした手で払い飛ばした。

「きゃあっ」

 食事や酒を運ぶためにわきに控えていたによかんたちは悲鳴を上げ、周囲の人間たちがざわつく。

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