契約花嫁~王太子の甘い罠~

麻生ミカリ

第一章 イジワル王子の甘い誘惑 (1)


第一章 イジワル王子の甘い誘惑


 二番目の姉、エイダの結婚式が行われたのは四年前だった。
 社交界シーズンが終わってすぐのこと。お相手は、エルズモンド王国内でも有数のワイナリーを所有する若き侯爵である。
 理知的な美貌のエイダは、社交界デビューのその年に結婚を決めた。
 結婚式を終え、美しい中庭でガーデンパーティーが催される中、ブライズメイドとして参加していたリヴェット・ティンダルはきらびやかな紳士淑女に囲まれるほど、自分が場違いに思えて肩身の狭い思いをしていた。
 ウィルネリア侯爵の末娘であり、花嫁の末妹であるリヴェットはまだ十三歳。華やかな王都から離れた土地で育った彼女は、幼いころから体が弱かったため、ウィルネリア侯爵邸から外へ出ることが少なかった。長女のメイベルが結婚したときは高熱で寝込んでいたので、貴族たちが集う場へ顔を出すのは今回が生まれて初めてだ。
「リヴィ、あっちに(かも)があったわよ。とっても美味(おい)しいの! もう食べた?」
 花でいっぱいのバスケットを片手に、リヴェットと同じデザインのドレスを着た三番目の姉ダイアナが、いきいきした表情で声をかけてくる。
「わたし、なんだか胸がいっぱいで食べられそうにないの」
 姉同様のバスケットを両手で胸に抱えて、リヴェットは頼りなげに微笑(ほほえ)む。
 二歳上のダイアナも、まだ社交界デビューには早い。リヴェット同様、こうした場に慣れているはずがないのに、活発なダイアナは目を輝かせてパーティーを楽しんでいる。
「そう? せっかくのパーティーなんだから、楽しまないと損よ。あっ、ほら、また新しいデザートが運ばれてきたわ」
 金色の髪をたなびかせ、ダイアナが軽やかな足取りで庭園を横切っていく。リヴェットの背後では、すでに結婚して第一子をもうけたメイベルが、純白のウェディングドレスを身にまとうエイダと談笑している。既婚者となってなお、多くの男性の視線を釘付(くぎづ)けにする麗しい姉たちも、ダイアナと同じく金糸を紡いだような金髪だ。
 ――太陽の下にいると、お姉さまたちの髪色がますます美しく輝いて見えるわ。それに比べてわたしは……。
 リヴェットがどことなく居心地悪い気持ちになるのは、自分が姉妹の中で唯一母の金髪を受け継がなかったことも原因だった。やわらかな胡桃(くるみ)色の髪は、ふんわりとピンクのドレスの肩口を彩っている。ドレスと同じ色のリボンに、花をあしらった髪飾りもかわいらしく気に入っているけれど、いかんせんダイアナと並ぶと見劣りするに違いない。
 それぞれ個性的な美女の姉三人を見て育ったリヴェットは、人前に出るのが苦手だった。
 ぎゅっと抱きしめた花籠が(きし)む。彼女はそれに気づいて顔を上げた。白いバスケットには、淡いピンクのバラとガーベラ、デルフィニュームにカスミソウがアレンジされている。
 ブライズメイドとしての役割は果たしたのだから、あとは好きにパーティーを楽しめばいい。父からはそう言われているけれど、知り合いもろくにいない会場で人見知りのリヴェットは困惑から抜けだせずにいる。
 ――もう一度、エイダお姉さまとお義兄さまにご挨拶をして、控室で休ませてもらおう。
 そう思って(きびす)を返したそのとき、リヴェットの耳に見知らぬ男性の声が聞こえてきた。
「おい、見たか? ウィルネリア侯爵家の美人姉妹!」
「さっき、三女のダイアナを見たぞ。二、三年もすれば上ふたりにも劣らぬ美女になるだろうな」
「ああ、金髪がきらめいて女神のようだ。ところで四人姉妹と聞いたが末の令嬢も来ているのか?」
 続きが聞こえてくるより早く、リヴェットはその場から逃げ出した。見知らぬ相手であっても、失望されるのは嫌だ。きっと彼らは姉たちのように豪奢(ごうしや)な金髪を期待しているのだから。
 ――これしきのことで泣いたりしたら、お姉さまたちを心配させてしまうわ。
 涙目になっているのを周囲に悟られないよう、彼女はそっとその場を離れようとする。
 自分が場違いなせいで、姉に迷惑をかけるのが怖かった。リヴェットを侮辱する発言を聞けば、血の気の多いダイアナなど相手に食ってかかるかもしれない。招待客がそんなことを言ったと知ったエイダも悲しむだろう。
 ――わたしが、お姉さまたちのように美しくないから……。
 人々の合間をうつむきがちに進みながら、彼女は奥歯をきゅっと噛みしめる。
 広い中庭の散策路をたどって控室へ急ぐリヴェットの足が、慣れない靴でもつれそうになった。前を見ていなかったのも悪かったのだろう。優雅な人々の集まる場所で、無様に転ぶのは恥ずかしい。いくら自分が子どもとはいえ、侯爵家の令嬢らしくない振る舞いだ。
 けれど、気づいたときにはもう遅かった。両手で花籠を抱きしめたまま、リヴェットは体が前に(かし)いでいくのを感じ、ぎゅっと目を閉じる。
「危ない!」
 そのとき、彼女の耳に聞き覚えのない声が響いた。同時に細い腰が、力強い両手でつかまれた。
 前のめりに倒れこむ覚悟をしていたリヴェットには、何が起こったのかわからない。
 ドレスの裾が、ふわりと風で膨らむ。一瞬、空中に浮いていた両足が散策路の石畳に着地する。そして、頭上に安堵(あんど)の吐息がこぼれた。
 ――何? いったい、何が起こったの……?
 涙をいっぱいにためた緑色の目を何度も(しばたた)き、少女は自分の現状を確認しようとする。長い睫毛(まつげ)から涙の粒がいくつも散った。
「かわいらしいブライズメイドのお嬢さん、あんなに慌てて走りだしたりして、何かあったのかな」
 けれど、リヴェットは目の前の出来事を理解するにはいたらなかった。なぜなら彼女の視界は、美しい濃紺の布地で覆われていたからだ。
 それだけではない。華奢(きやしや)な体を覆うように、優しい腕がリヴェットを抱きしめている。
「あ、あの、あの……っ」
 転びそうになった自分を助けてくれたと(おぼ)しき誰か――。
 その相手に不調法なことはできない。とはいえ、声から察するに相手は若い男性のようだ。今のふたりは、おそらく抱き合っているように見えるだろう。
「顔を上げたら、かわいい泣き顔を誰かに見られてしまうよ?」
「……っ、そ、それは」
「だいじょうぶ。僕が隠してあげるから、このまま少しうつむいて。そう、それでいい。足元を見ていて。悲しいことがあったのかな? そういうときは、自分のいちばん好きな場所を思い描いてごらん。心が落ち着ける、大好きな場所。どう? 思い出せる?」
 薄い肩を片腕で抱くように体勢を変えると、声の主はゆっくりとリヴェットを促して歩き始めた。
「好きな……場所……」
 不意に、脳裏に花でいっぱいの温室の景色が浮かんでくる。
「そう。きみの好きな場所はどんなところなのかな?」
 歌うように軽やかで、それでいて心にしっとりと()み入る甘い声。リヴェットは、無意識に彼の声に()()れていた。
「温室です。ガラス張りで、太陽の光があったかくて、そこにいるととても幸せな気持ちになります……」
 どうしてだろう。その人の声を聞いていると心が穏やかになる。人見知りのリヴェットが、ごく自然に話せるほどだ。
「ああ、それはステキだね。だけど、きみのようにかわいらしい女の子が花に囲まれていたら、花の妖精と間違われてしまいそうだ」
「そ、そんなことありません」
 お世辞だとわかっていても恥ずかしさに頬が熱くなる。今にも火が出るのではないかというほど、体中の血液が顔に集まっていた。
「もうひとりでだいじょうぶです。ご迷惑をおかけしてしまい、申し訳ありませんでした」

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