背徳のマリアージュ~王女は支配者の指先に溺れる~
第一章 屈辱の代償 (3)
そんなネイサンを見てどう思ったのか、男は可笑しそうに口を開く。
「ふーん、この国には探られて困る何かがあるんだな」
「黙れ! 態度をあらためる気がないなら、こちらにも考えがあるぞ」
「面白い。ただし、この鎖が外れたときは――貴様と、俺をここに閉じ込めた老いぼれの命はないものと思え」
鉄格子越しにふたりの男が睨み合う。
アイリーンは勇気を振り絞って、彼らの間に割り込んだ。
「やめなさい、ネイサン。わたしたちはこの方に謝罪しなくてはなりません。その上で、お願いしなくてはならないことがあります。あなたが彼を牢から出さないと言うなら、わたしが中に入らなくてはいけませんね」
その言葉にネイサンは折れた。
大切な姫様を檻の中に入れることはできない、と思ったのだろう。
ネイサンは鉄格子の鍵を開けると、男の足元に小さな鍵を放った。そのまま、アイリーンを背後に庇い、すぐにも剣を抜くことのできる体勢で立つ。
男は鍵を拾い上げ、自ら鎖を外し始めた。
「よっぽど黒髪の男が必要らしい。でなきゃ、そのネイサンとやらに代役をやらせるのが一番だろうからな。だが、蝋燭の火でキラキラしてるとこを見ると、そいつは金髪か」
そんな憎まれ口をききながら、ゆっくりと鉄格子の出入り口をくぐり抜ける。
男が立ち上がったところを初めて見て、アイリーンは声を失った。
ネイサンは彼女より少し背が高いくらいだが、この男は見上げるほど高い。そんな男性に会ったのは、生まれて初めてだった。
アイリーンはこの国の男性平均を上回る長身の持ち主だ。だが決して男性的な体形をしているわけではない。胸とお尻は豊かだが、コルセットで締めなくてもキュッと引き締まったウエストをしている。
バランスは整っていると思うのだが、いかんせん長身の女性は隣国のどこに行っても人気がない。アイリーンは舞踏会に出席しても、壁の花でいることがほとんどなのだ。
「さて、俺の剣を返してもらおうか。連れのカールを自由にして、あの老いぼれに責任を取らせたあとで、おまえの話を聞いてやろう」
アイリーンは男の体躯に見惚れていたが、ハッと我に返る。
「待ってください。あなたが身分を証明するものは何も持っておらず、どこの国の方かもわからないのは事実です。そのため、検問を通らずに済む山道を選んだのでしょう。不審な行動を取っていたあなた方にも責任はあると思います」
「ああ、たしかに。だが、身分証がなくともこの国には出入りできたはずだ。検問をするのは自由。それを通らないのも自由。ただし、危険な目に遭ったときは自分の責任において対処する。違ったか?」
「それは……」
男の言葉にアイリーンは言い返すことができない。
「黙ってこの国を去れば、剣は返してやる。おまえが国外に出たのを見届けてから、連れの少年に持たせて解放しよう。さあ、このまま屋敷から出て行け!」
「ネイサン! 謝罪をすると言ったはずです」
「いいえ、そんなことは不要です。この男がただ者でないのは明白な事実。あなたが謝罪など……」
剣の柄を握り締めながら、ネイサンの意識はほんの少しアイリーンに向いた。
刹那、男は俊敏な動きでネイサンとの間合いを詰める。それに気づいたネイサンが剣を抜き放つ。そのときだ。一瞬のうちに男はネイサンの手から剣を奪い取っていた。
そしてその切っ先が向けられたのは、アイリーンの喉元――。
「なっ、き、貴様!」
「甘いな、この状況で女に意識を向けるとは。腕はよさそうだが、戦に巻き込まれたことのないバルフォアの人間らしいな」
「せ、正々堂々と戦え!」
「その言葉は、俺に剣を返してから言え」
ネイサンの言うとおり、この男は並みの人間ではないようだ。
アイリーンはほんの少し顎を上げた格好のまま、男を見据えた。
「わかりました。この屋敷からお帰りになるとき、剣をお返します。もちろん、お連れの方もご一緒に。それまでは、話し合いに剣は不要ではありませんか?」
男はわざとらしく、剣の刃先を蝋燭の光に煌めかせて見せる。
アイリーンが臆すると思ったらしい。だがその思惑とは裏腹に、彼女は目を凝らして男の顔を見つめた。
少しして、男の口からため息が零れる。
「声は若そうだが、腹の据わった女だな。まあ、いいさ。だが、こいつは話し合いに邪魔だ。俺がこの屋敷から出て行くまで、この地下牢でおとなしくしていてもらおうか?」
「それは……ふたりきりで、ということですか?」
事情を知られては困るので、マッコーケルはこの男たちを連行すると同時に、使用人たちを別邸にやってしまった。
使用人部屋に閉じ込めたままのカール以外は誰もいない。ネイサンを地下牢に入れてしまったら、この屋敷で自由に動けるのはアイリーンとこの男のふたりだけだ。
(結婚前の女性が、身元もわからない男性とふたりきりなんて……そもそも、男性とふたりになったこともないのに)
護衛兵や使用人、家族は別にして、“男性とふたりきり”は非常に好ましくない事態だ。
「いけません! こんな無法者と……それだけは」
「嫌ならいい。俺は連れと剣を取り戻し、落とし前をつけて出て行くだけだ」
男はそう言うとスッと剣を引き、そのまま、ネイサンの足元に放り投げた。てっきり、アイリーンに剣を突きつけたまま、ネイサンに自ら牢内に入るよう命令するとばかり思っていた。
ネイサンもそう思っていたのか、一瞬呆気に取られたようだ。だが、我に返ると慌てて剣を拾い上げ、男に向かって身構える。
「そんなものはいつでも奪える。俺は貴様らとは違う」
男は背中を向け、石段に向かおうとした。
ネイサンは今にも斬りかかろうとするが、アイリーンがそれを止める。残念だが、ネイサンの敵う相手ではない。身を守る程度だが、剣を握ったことのあるアイリーンにはそれがわかった。
だが、彼女にも黙って見送るわけにはいかない理由がある。
「お待ちください! わかりました。あなたのおっしゃるとおりにいたします」
アイリーンの声に男は足を止めた。
☆ ☆ ☆
アイリーンはシャンデリアに火が灯された客間に足を踏み入れ、初めて男の姿を目にした。
厚手のリネンで仕立てられた外套は、お世辞にも上等なものとは言いがたい。もとは象牙色の爽やかな色合いだったのだろう。だが今は、泥水に浸け込んだような色に染まり、所々裂けていた。
拍車のついた重厚なブーツは、彼が歩くたびにカチャッと音を立てる。
そして、男はアイリーンが振り返ると同時に、おもむろに外套を脱ぎ始めたのだ。
「ど、どうして、脱ぐのです!?」
声が裏返っている。
こんなに慌てた声を出したのは生まれて初めてかもしれない。アイリーンはそんなことを思いながら、どうしても男の顔を見ることができずにいた。
すると、堪えきれないといった様子で男が笑い始めたのだ。
「参ったな。俺はソファに座ろうと思って、汚れた外套を脱いだだけなんだが。それとも、床に座れ、とでも?」
「い、いえ、失礼しました。脱いだ外套は……」
扉の横にあるポールハンガーにかけておくべきだろう。
本来は使用人の仕事でアイリーンがするべきことではない。だが今は、それを頼める使用人がいなかった。となれば、彼女自身がこの屋敷の主人として振る舞う必要がある。
アイリーンは覚悟を決めてしっかりと男の顔を見上げ、手を差し出した。
その瞬間、アイリーンの時間が止まった。
呼吸すら忘れてしまったように、彼のとび色の瞳から目が離せなくなる。濃褐色の瞳は食い入るようにアイリーンを見下ろしていて、その射すようなまなざしに彼女の鼓動は激しいリズムを刻み始めた。
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