背徳のマリアージュ~王女は支配者の指先に溺れる~

御堂志生

第一章 屈辱の代償 (2)

 薄暗い、お世辞にも綺麗(きれい)とは言えない場所に、ひとりの男が閉じ込められていた。彼は鎖に(つな)がれているのか、床に座り込んでいる。
 (ろう)の近くに見張りの兵士はひとりもいない。ネイサン以外は全員、アイリーンがマッコーケルに命じて王子捜索のためだと言って追い出したからだった。
 アイリーンが牢の前に立つと中の男が顔を上げた。
「――おまえは誰だ?」
 薄闇の中、怒気を含んだ男の声が響く。
 それはアイリーンがこれまで耳にしたことのない荒々しい声色。
 だが声を聞いた瞬間、彼女は悟った。この男はどれほどの大金を積んでも、あるいは殺すと脅されても、唯々諾々として従う人間ではない、と。
 そんな男の顔が見たくなりアイリーンは目を凝らす。
 だが、ネイサンが手にした(あか)りだけでは、ほとんど何も見えない。男の髪が黒っぽいということくらいだった。
 アイリーンが男の声に気を取られていると、男は苛々(いらいら)した口調で彼女を挑発し始めた。
「ああ、そうか、おまえが偽者の結婚相手を必要としている女なんだな。とんでもない不細工か、それとも、男に飢えた年増(としま)女かな?」
「おい! 無礼なことを言うと……」
「ネイサン!」
 アイリーンはネイサンを止める。
「無礼だと? ふざけるな! 山道を歩いてるだけの人間を力尽くで(さら)っておいて、どっちが無礼だ!?
 男の言うことは(もつと)もだろう。
 力尽くということは、捕まえる際に暴力を振るったのかもしれない。そう思うと、アイリーンは申し訳なさに居た(たま)れなくなる。
「このたびのこと、心からお()びいたします。あなたを捕らえた男は我が……我が家の家令です。実は、わたしの結婚相手に不都合が生じてしまい、非常に困っているのです。式は二日後に迫っていて、取りやめるわけにもいかなくて。彼は焦るあまり、代役を頼もうとしたようです。その……あなたのお連れ様に」
 屋敷に到着してすぐ、アイリーンはマッコーケルに事情を()(ただ)した。
 すると、山道を少し外れた小川で、馬に水をやるひとりの青年を見つけた。黒い髪をしていて背も高い。少し若く思えたが、山道を抜ける一人旅の若者は屈強な男が多く、その青年なら頼りなげで金を積めば応じそうに見えたという。
 青年に声をかけ、同行を求めたそのとき、もうひとりの男が姿を見せた。男は腰に()るした剣を使うこともなく、あっという間に数人の兵士を(たた)きのめしてしまう。
 それを見た兵士たちは剣を抜き、男に斬りかかった。だが、マッコーケルの目に力の差は歴然としていた。
 死人を出すわけにはいかない、そう思ったマッコーケルは、卑怯(ひきよう)を承知で最初に声をかけた青年を人質に取った。
 そして男に剣を捨てさせ、捕らえたのだという。
「見た目はともかく、連れのカールはまだ十三だ。俺は奴の死んだ父親に代わって面倒をみている。そんな馬鹿げた代役を認めるわけにはいかないな」
 アイリーンも同じ思いで深くうなずいた。
 マッコーケルと話したあと、使用人部屋に閉じ込めているカールの顔を(ひそ)かに見に行った。彼は明らかに青年ではなく少年。薄暗い山中と違い、明るい太陽の陽射(ひざ)しの下ではとても二十代のジルベールの代役は務まりそうにない。
「わかっております。それで、同じ黒髪のあなたにお願いしたと聞きました」
 次の瞬間、男の気配が変わった。
「人質を取り、俺から剣を取り上げておいて、牢にぶち込んだ。しかも、鎖で繋いだまま“お願い”か? おまえがどれほど高い身分かは知らんが、この国の礼儀とやらは腐ってるな」
「いい加減にしないか。少しは言葉を慎め!」
「やかましい!! 貴様らのほうこそ、恥を知れ!!
 男はネイサンを一喝する。
 ネイサンは今年三十五歳。アイリーンには騎士道精神に基づいた態度と丁寧な言葉使いを崩さない。だが、騎兵隊の部下たちからは、彼らが震え上がるほど恐れられている。
 そんなネイサンが牢に繋がれた男の気迫に押されているのだ。
(ネイサンは我が国の兵士たちの中で、一番勇敢で剣の腕も優れているのよ。そのネイサン以上だというの?)
 ネイサンが自分の父親の勇み足を知ったのは、アイリーンからの連絡だった。
『父が焦っていたのには気づいていました。自分がなんとかしなければならない、と思い込んだようです。とはいえ、旅人を拉致するとは……。父のやったことは公の場で罪に問われても仕方のないこと。そのときは、自分もともに責任を取りたいと思います』
 アイリーンより一時間ほど早く自邸に戻ったネイサンは父親から話を聞いたらしく、そう言って彼女に頭を下げた。
 だが、肝心のマッコーケルは――。
『そんなことを言っとる場合か? 姫様以外に王位継承者はおらんのです。それが未婚ゆえに資格なし、と言われたら、ライヒシュタインの皇帝ニコラウス二世が、喜び勇んで攻め込んできますぞ!』
 今から約二十年前、六ヶ国同盟とライヒシュタイン帝国は停戦協定を結んだ。当時の帝国皇帝はニコラウス二世の父親だった。
 その停戦協定から十年後、先帝ハンネスが実の兄を殺害して帝位を簒奪(さんだつ)。兄の息子であるニコラウス二世を殺害目的で幽閉し、帝都を手中に収める。しかし各地で反乱が続けて起こり、ハンネスはわずか五年で(おい)のニコラウス二世に帝位を奪い返されたのだった。
 そして現在、六ヶ国同盟とライヒシュタイン帝国との戦力差は冷静に判断して帝国のほうが勝る。
 三十歳にもならない若き皇帝ニコラウス二世は、公平かつ公正な性格をしていると聞く。だが、一度怒らせたらおしまいという恐ろしさも併せ持つ人物だと言われていた。
 有名な話では――。
 五年前の内戦で先帝の叔父を追い詰める際、一部隊が先帝を(かくま)った罪と言いがかりをつけ、ある村の全員に略奪と暴行を加えた。その行為が、略奪と暴行を正当化するための言い訳と判明したとき、ニコラウス二世は部隊全員を銃殺刑にしたのだ。
 さらには、若くして叔父に裏切られ、父親を殺されたという経験のせいか、人嫌いだとも聞く。付け加えるなら女性も嫌いで、日常生活の世話をするための侍女すら置かず、すべてを従僕(フツトマン)に任せているらしい。
 彼が即位したとき、六ヶ国同盟の各国は、停戦協定は無視されるものと思っていたようだ。だがこの五年間、どの国にも攻め込んではいない。
 その理由は――東方より異教徒の国に攻め込まれてそれどころではないとか、叔父の悪政により疲弊した国の建て直しに奔走しているとか……様々な噂が流れているが、ニコラウス二世の真意は定かでない。
 アイリーンが強く言わないのをいいことに、マッコーケルはさらに声を荒らげた。
『あのふたりは、検問を避けて山越えをしようとしておった。身なりから見て、盗人(ぬすびと)か追いはぎの類に違いありませんぞ!』
 罪人を捕縛しただけ、文句を言われる覚えはない、とまで言い始め……。
 結局、アイリーンが王女命令を()(かざ)すまで、マッコーケルは人質を取って男に王子の身代わりをやらせると言って譲らなかった。
 結婚式が中止になり、そのまま破談になったら、アイリーンは窮地に陥る。
 それは同時に八百年の歴史を誇るバルフォア王国の危機だ。
 アイリーンは目を閉じ、大きく深呼吸したあと、ネイサンに命じた。
「ネイサン、この方を牢から出すのです」
「いえ、それはなりません。剣を取り上げていても、この者の気配は並みではない。ド・リールかライヒシュタイン、あるいは別の国の密偵かもしれません。どちらにしても、戦いに慣れた者です。ひ……あなたの前で、自由にはできません」
 ネイサンは『姫様』と呼びそうになり、慌てて止めたようだ。

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