背徳のマリアージュ~王女は支配者の指先に溺れる~

御堂志生

第一章 屈辱の代償 (1)


第一章 屈辱の代償


 ――花婿に逃げられてしまった。
 うっかりすると、そのことで頭がいっぱいになる。
 アイリーンは焦燥感を懸命に抑えつつ、軽装馬車(カブリオレ)の手綱を自ら操った。
 結婚式を二日後に控えた一国の王女が、真夜中にたったひとり軽装馬車に乗り、老宰相マッコーケルの屋敷を目指している。
 あり得ない状況だが、連絡を受けた内容が内容だけに、事情を話して誰かに協力を仰ぐことができなかった。
(マッコーケルはいったい何をしようとしているの? わたしがどうにかするから、無茶(むちや)はしないでって言ったのに……)
 アイリーンのバルフォア王国は強国に挟まれた小さな国だ。周囲の国々と六ヶ国同盟を結び、同盟内外の強国のご機嫌を伺いながら細々と生き残っている。
 そしてこのたび、次期女王となるアイリーン・ジュディス・ハーコートの結婚が決まり、国中が沸いていた。
 花婿は六ヶ国同盟のリーダー国、ド・リール王国の第二王子ジルベール。彼は一週間前にバルフォア王国入りし、結婚式に向けて一緒に準備を進める予定だった。
 ところが、その王子は国境沿いまで迎えにやった雇ったばかりの侍女と、手に手を取って出奔してしまったのである。
『まったく、男の風上にも置けぬジルベールめ! 我が姫様の名誉に傷をつけようとは、必ずや見つけ出し、八つ裂きにしてくれようぞ!!
 七十歳を超える宰相のスチュアート・マッコーケルは、昔気質(むかしかたぎ)で融通の利かない男だ。だが、アイリーンのことは幼いころから至宝のように大切にしてくれた。それは王女に対する敬愛だけでなく、孫娘に向けるような温かさもあった。
 アイリーンはひとりっ子の上、彼女が生まれたときにはすでに祖父母は亡くなっていた。そんな彼女にとって、マッコーケルの愛情はとてもありがたいと思っている。
 しかし、意気込みは立派でも寄る年波には勝てないらしく、つい先日もぎっくり腰で寝込んだばかりだ。
『わたしの名誉なんてどうでもいいのです。でも、この結婚がなくなってしまったら……』
 バルフォア王国は基本的に男子が継ぐことになっている。
 だが近親に後継者がいない場合、女子にも王位継承権が認められていた。ただ、それには条件があり、夫と共同統治という形になる。そのためにも、夫は近隣諸国の王族から選ばなくてはならず、共同統治が可能な夫がいなくては即位できない、という法律だ。
 父の国王はすでに六十一歳。若いころから身体が弱く、四十歳を過ぎてからようやく妻を(めと)り、アイリーンを授かった。
 そして三ヶ月前、心臓発作で倒れ、王宮医師から余命半年の宣告を受けたのである。
『姫様、ただでさえ弱っておられる陛下に、ジルベール王子のことを知られるわけにはいきませんぞ』
 父が知れば、そのわずかな余命すら縮めてしまうかもしれない。
 安心して静養してもらうためには、アイリーンは一刻も早く条件に合った相手と結婚する必要があった。
『このスチュアート・マッコーケル、宰相としての役目を全うすべく、一命に代えましても王子を見つけ出す所存にございます! (やつ)と刺し違えても、必ずや祭壇の前まで連れて行かねば陛下に合わせる顔が……』
『落ちつきなさい、マッコーケル。刺し違えたら、結婚式が葬式になってしまうではありませんか。どうするかはわたしが考えます。あなたはこの一件が外部に漏れないよう、充分に配慮してジルベール殿の行方を捜してください。見つけても危険な真似(まね)はしないこと。わかりましたね?』
 そう言って何度も念を押した。
 それなのに、ほんの数時間前、マッコーケルの使いがアイリーンのもとを訪れ、とんでもない手紙を残していった。
 ――花婿を見つけましたので、あとはお任せください。
(花婿って、ジルベール殿が見つかったということなの? だったら、どうしてそう書かなかったのかしら? それに、任せてください、なんて……。ああ、何か早まったことをしていないといいのだけど)
 手綱を緩め、軽く馬を追って速度を上げる。
 アイリーンは二十分ほど軽装馬車(カブリオレ)を走らせ、市街地にあるマッコール邸に駆け込んだのだった。

    ☆ ☆ ☆

 薄暗い石段をアイリーンはそろそろと下りていった。
 子ヤギ革の靴はヒールが低く、足の裏がひんやりとする。薔薇の咲き始めた時期にもかかわらず、少し肌寒く感じた。
「姫様、どうぞお足元にご注意くださいませ」
 王室騎兵隊の隊長でありマッコーケルの息子ネイサンが、燭台(しよくだい)を片手にアイリーンの足元を照らし出す。
「ありがとう。でも、“姫様”はダメです。わたしの身分だけは、絶対に知られるわけにはいきません」
「はい……申し訳ありません。まったく、父上もなんということを。ただ、ジルベール殿下の手掛かりすら見つけられず、(あせ)った挙げ句のことで悪意はないのです。とりあえず、二日後に迫った式だけでもどうにかすれば、捜す時間に余裕が出る、と」
「それで、“身代わり”を思いついたのでしょうね。マッコーケルもなんて無茶なことを……。あとから、花婿が別人と知られたら、そのほうがとんでもない醜聞になってしまうのに」
 アイリーンの落ちついた声に、ネイサンは無言でうなだれる。
 マッコーケルはこの窮地を乗り越えるため、花婿の身代わりを立てようとした。
 今回、ジルベールの出奔は最小限の人々にしか知らされていない。彼は国境沿いで体調を崩し、ひとりの侍女に付き添われて、ド・リール王国との国境近くにある東の離宮に入ったことになっている。たいした病状ではないが、挙式を控えているため大事を取って静養している、というのが建前だ。
 幸いなことに、挙式の参列者に国外の賓客は招いていない。急遽(きゆうきよ)決まったから、という理由もあるが、国王が()せっているこの時期、慶事とはいえ盛大な挙式披露宴はふさわしくない、とアイリーン自身が決めたからだった。
 そして、バルフォア王国内ではド・リール王国の王子でよく知られているのは王太子のオーギュストのみ。
 公式の場には姿を見せず、影の薄い第二王子のことを詳しく知る人間はいない。
 ジルベールは自画像すら出回っておらず、婚約者のアイリーンですら彼の顔を知らないくらいだ。
 かろうじて知っているのは、年齢は二十四歳になったばかりで絵を描くことが趣味ということ。外見も、背が高く、黒い髪をした美男子らしいという情報だけ。中には、王子の身分はあるものの実際にはド・リール王国の国王が愛人に産ませた息子だ、という(うわさ)もあり、それが姿を見せたがらない理由ではないか、と言われていた。
 マッコーケルはそこに目をつけたらしい。
 だが、身近な人間を花婿の代役に立てるわけにはいかなかった。小さな国なので顔見知りや親戚も多く、王子の顔が知られていなくても、代役の顔で何かあったとばれてしまう。
 その反面、小国には小国の利点もあった。
 国民と外国人の区別がつきやすく、見覚えのない者が通りかかった際はすぐに情報を手に入れられる。さらには、国の規模以上に通過する旅人も多かった。
 それはバルフォアが六ヶ国同盟の南端に位置しており、北と東はド・リール王国、南と西は同盟と敵対関係にあるライヒシュタイン帝国という強大な二国に挟まれているせいだ。
 旅芸人や行商人などは安全な表街道を利用する。だが検問を通ることになるため、後ろ暗いところのある人間は山越えの道を選ぶという。
 その山越えの道で、マッコーケルは背の高い黒髪の青年を拉致したのだった。


 宰相の屋敷に地下牢(ちかろう)があるとは、王女のアイリーンも知らなかったことだ。

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