熱愛オフィス~エリート御曹司に愛されすぎてます!!~
一章 不審人物は御曹司!? (2)
桜が目を丸くして驚くと、千咲が嬉しそうに笑い声を上げた。くるくると変わる千咲の表情からは、その時々の素直な気持ちを窺い知ることができる。
かつて桜自身も母親が運転する自転車で幼稚園に通っていた。当時のことはほとんど記憶に残っていないが、母親が運転する自転車のうしろから見た町の風景は、今でも断片的に憶えている。
千咲が通う予定の幼稚園の場所を聞くと、とてもじゃないけれど自転車で通えるような距離ではなかった。それに、バスで通うにしても駅の反対側に行くとなると、ラッシュ時の踏切を渡るか駅の構内を突っ切っていくしかない。いずれにしても小さな子供連れの母親には厳しい状況を強いることになるだろう。
「ここらの子供は、私らの時代から『ミモザ幼稚園』に通っていたんだよ。うちのひ孫も来年から幼稚園なんだけど、遠くだと散歩のついでに様子を見に行くこともできやしないよ」
和菓子屋の女性店主が膝をさする。最近足腰が弱くなったと嘆く顔は、いかにも残念そうだ。
幼稚園がなくなるということは、その界隈の住人に少なからず影響をもたらす。
桜はここに住んでいるわけではないが、親しくさせてもらっている人たちが悩んでいるのを見ると心から気の毒に思う。
「そういえば、桜ちゃんのおばあさんって昔幼稚園の園長さんをしていたんでしょう?」
「椿理容店」の女性店主が、桜を見る。今年喜寿を迎える彼女は今でも現役の理容師だ。けれど、今のようにおしゃべりを楽しむ時は、同じく理容師の息子に活躍の場を譲っている。
「そうなの。うちの父方の祖母がそうだったんだけど、そこも祖母が亡くなるちょっと前に閉園しちゃって……」
桜の祖母は縁あって古くから続く幼稚園の園長をしていた。いわゆるお受験とは無縁の幼稚園だったが、アットホームな雰囲気と思いっきり駆け回れる広々とした園庭が人気だったと記憶している。桜自身も、そこで幼稚園時代をすごした。けれど、建物の老朽化などの事情により、止むを得ず閉園することになってしまったのだ。
「理由はいろいろあるだろうけど、昔からあるものがなくなるっていうのは本当にさみしいことだねぇ」
その場にいる皆がそれぞれに頷く。幼稚園がなくなって人の流れが変われば、少なからず商店街の売り上げにも影響を及ぼすだろう。しかし、一不動産会社の社員である桜にできることといったら、一緒に残念がることぐらいだ。
生まれた時からのおばあちゃん子で、かつ祖母が園長を務めていた幼稚園に通っていた桜だ。それだけに、愛着がある幼稚園がなくなってしまうさみしさは十分すぎるほどわかっている。
ひとしきり食べて話し終えた桜は、皆に暇乞いをして目的地である物件に向かった。
七年前まで店舗や歯科医院などが入っていたそこは、建物名を「ミモザビルディング」という。延床面積は約六五〇平方メートル。鉄筋コンクリート築十六年の二階建てで、周囲の空きスペースに植えられた桜の木がシンボルツリーの役目を果たしている。
物件に到着すると、桜は納戸から掃除道具を取り出し、手際よく各部屋を掃除していく。上下階それぞれが三つのスペースに区切られており、建物の壁はオフホワイトの壁紙が貼られている。
入居者ゼロの管理物件だから、さほど汚れてもおらず、そう手間はかからない。しかし、物件管理者として隅々までチェックし、もし劣化や破損を見つけたら迅速に対処する必要がある。桜はモップを動かしながら、部屋の隅々に至るまでじっくりと視線を巡らせていく。今のところ売買の予定も再利用の計画もないけれど、入社以来メンテナンスを続けてきた分、愛着がある。
一階の掃除を終えた桜は、二階に向かうべく廊下を歩き階段に向かった。
途中、上で何か物音がしたような気がして立ち止まる。耳を澄ませてみると、今度は微かに壁をこするような音が聞こえてきた。
(えっ……。もしかして、誰かいるの?)
普段、窓は施錠してあるが、掃除中はその都度開け放したりしている。けれど、移動する時にまた鍵をするし、玄関は桜が入ってすぐに内側から鍵をかけた。まだ行っていない二階部分は、当然施錠されたままだ。
(ま、まさか泥棒? でも、盗られるようなものは何も置いてないし……)
泥棒でなければ不審者か何かか。桜は息をひそめ、耳をそばだてる。
自分一人のはずの場所に、誰かいるかもしれない。身体中に緊張が走り、奥歯にぐっと力が入った。
せっかく機嫌よく掃除をしていたのに、なんということだろう!
桜は昔から臆病で、お化け屋敷はおろかうしろから急に声をかけられただけで飛び上がって驚く。人に対しては物おじしないほうだが、びっくり箱のような子供だましの仕掛けにも大声を上げてしまうほどだ。
桜は、もう一度耳を澄ましてみた。今度は何も聞こえない。だけど、一度そう思ったせいか、上に誰かがいるような気がしてならなかった。
(もし本当に人がいたら、どうしよう……)
建物の周辺には空き物件が多く、人通りも多くない。仮に人が通りかかったとしても、よほど大きな物音でもしない限り中で何が起きているのかわからないだろう。いずれにせよ、物件の管理者として、この異常事態を見逃すわけにはいかなかった。
(と、とにかく、ちゃんと調べないと)
桜は、そろそろと階段を上り始めた。かろうじて上に向かってはいるが、手すりを持つ掌は汗ばんでいるし、完全に及び腰になっている。
「だ、誰かいますか〜?」
震える声で呼びかけつつ、二階にたどり着いた。がらんとして何もない部屋の中を見回し、またおそるおそる声を上げる。
「『桂木ハウジング』の田島で〜す……。どなたもいらっしゃいませんか〜?」
桜は、声をかけ少しずつ歩を進めながら、様子を窺う。言ってしまってから、はっとして口をつぐむ。
もし本当に不審者がいたら、呼びかけたりしないほうがよかったんじゃないだろうか。わざわざ自分の居場所を知らせるようなことをしてしまい、桜は中腰になって首を縮こめる。
(襲われたらどうしよう……)
そんなことを考えているうちに、桜の胃腸が、ふいに蠕動運動を始めた。
桜はお腹に手を当てて、そこにぐっと力を込める。さっき食べたばかりだし、決してお腹が減っているわけではない。
(もう! よりによって、なんでこんな時に!)
いや、こんな時だからこそだろう。身近な人は誰でも知っていることだが、桜は昔から予期せぬ緊張状態が続くとお腹が鳴る癖があった。事前にわかっている緊張なら割と平気だ。だけど、今のように予想外のことが起きた時は十中八九お腹が鳴る。
長年そうであったせいか、だいぶコントロールできるようになったものの、今のような極限状態では、どうやっても音を静めることは無理だ。
呼吸法を試したり、飴玉を舐めたり――その他いろいろとやってみたが、どれも効果は今ひとつだった。
“ぐ〜きゅるる……”
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