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愛され注意報~初恋御曹司は婚約者を逃がさない~

田崎くるみ

『気の毒な私の婚約者』 (2)

 昔となにも変わらずにいたら、きっと今みたいに思い悩むことも、楓くんに申し訳なく思うこともなかった。
 電車を降りて徒歩五分。築三十年になる木造三階建てのアパートが、大学進学を機にひとり暮らしをはじめた私の住む家。
 三階にある2DKの標準的な間取りで、ひとりで暮らすには充分な広さだ。
 冷蔵庫からミネラルウォーターを一本手に取り、リビングのソファに腰掛け(のど)に流し込む。そして自然と目が向かうのは、コルクボードに隙間(すきま)なく貼られている楓くんとの写真。
 その中の一枚に昔、両親と共に住んでいた家が写り込んでいる。私が高校三年生まで暮らしていた、大きな家が。
(なつ)かしいな」
 ほんの数年前までは、あの家に暮らしていたなんて信じられない。
 私のお父さんは、おじいちゃんから引き継いだ都内の外れの自然豊かな場所にあった、趣のある旅館をより一層(いつそう)繁盛させ、人気の観光地へ趣の違う新たな旅館をオープンさせていった。
 けれど私が高校生になった頃から経営が傾きはじめ、手広く展開したのが間違いだったのか、低料金で利用できるホテルが次々とオープンしていき、客足は減っていきついに経営破綻(はたん)
 その後、会社は吸収され、お父さんは社長の席から退くことになってしまった。
 お父さんは自己破産申請をし、家は売却され、ショックを受けたお母さんは体調を崩し……。お母さんの体調を気遣い、お父さんは心機一転やり直すために地方へ移住を決めた。
 大学進学が決まっていた私は、奨学金(しようがくきん)制度を利用してひとり東京に残ることにした。
 本当は両親と共に、知らない土地で新しい生活をはじめてもよかった。だって私と楓くんの結婚には、業務提携も絡んでいたと知っていたから。
 その約束がなくなってしまったから、私と楓くんの許婚の関係も終わったと思っていた。
 楓くんのそばにいることができないのなら、無理して東京の大学に進学する必要はない。高校だけは卒業して引っ越し先で就職してもいいと考えていた。そうすれば少しでも両親の助けになると思ったから。でも──。
 ゆっくりと立ち上がり、コルクボードの前へと移動する。おもむろに手を伸ばし、笑顔で写る楓くんの写真を()でた。
「どうして楓くんは、私との関係を続けていきたいって言ってくれたのかな……」
 当時、楓くんは大学を卒業して会社で下積みをはじめたばかりだった。
 けれど社会人になり、私との許婚の関係を続ける意味がないことを私よりも理解していたはず。
 だって私と結婚したって楓くんの会社には、なにもプラスになることはない。それなのに楓くんは、別れを切り出されることを覚悟していた私に、力強い声で言ってくれたんだ。
『俺はこの先も、琴葉と一緒(いつしよ)にいたいと思っている。だから東京に残ってほしい』『できる限り、力になるから』って。
 優香だけは以前と変わらず接してくれていたけれど、家のことがあって周囲から私に向けられる目は変わり、楓くんとも別れなくちゃいけないと思っていた私はボロボロ状態だった。
 そんな時に彼からもらった言葉が単純に嬉しくて、東京に残り大学へ進学することに決めた。
 宣言通り、彼は慣れないひとり暮らしをはじめた私を、献身(けんしん)的に支えてくれた。一緒に家事の練習をしてくれた。アルバイト先を探してくれて、遅くなる時は迎えに来てくれた。
 最初は楓くんの優しさが嬉しくて、愛されていると勘違(かんちが)いしてしまうほど大切にしてくれているのが伝わってきて、幸せな気持ちでいっぱいだった。
 でも月日が流れ、大人に近づくたびにある思いを抱くようになった。
 楓くんがずっと変わらずそばにいてくれるのは、同情からじゃないかって。
 だって楓くんは昔から優しい人だったから。
 家が大変なことになった私を可哀想(かわいそう)に思い、別れを切り出せなかったのかもしれない。
 その証拠に、昔とは違い私も大人になったのに彼は手を繋ぐ以上のことをしてこない。優香は楓くんのことを『彼氏』って言うけど、本当の彼氏なら彼女に対して恋人らしいことをするでしょ?
 私だってもう未成年でも学生でもない、楓くんと同じ社会人なのに……。なにもしてこないのは、彼が私に抱いている感情は恋愛感情ではないからだと思う。
 その思いは日に日に増していき、楓くんに優しくされるたびに複雑な気持ちになっていた。
 それでも彼から別れを切り出されない限り、私から離れることができなかったのは、楓くんのことが好きだったから。
 初恋の人で、今もずっと……ううん、同じ時間を過ごすたびに好きって気持ちは大きくなっている。
 私はずるい。楓くんの優しさに付け込んで、ズルズルとこうしてそばにいるのだから。たとえ、普通の恋人同士のように触れてもらえなくても、そばにいられるだけで充分なんだ。
 私の隣で笑顔で写真に写る楓くんを茫然(ぼうぜん)と眺めていると、突然バッグに入っているスマートフォンが鳴る音が静かな部屋に響いた。
 びっくりして肩を震わせながらも、バッグの中からスマートフォンを取り出して電話の相手を確認すると、楓くんからだった。
「え……楓くん?」
 時刻は十九時過ぎ。たしか楓くんは明後日までロサンゼルスに出張だって言っていた気がするんだけど……。
 ドキドキしながら電話に出ると、すぐに優しい声色が耳に届いた。
『もしもし琴葉? ……久しぶり』
「あ……うん、久しぶり」
 彼の声を聞くのは久しぶりで、胸がギューッと苦しくなる。
「楓くん、今は出張だったよね?」
 出張中、メッセージのやり取りをすることはあっても電話をすることはなかった。仕事の邪魔(じやま)をしたくなかったし、出張場所によっては時差もあり、楓くんも私を気遣(きづか)ってかけてくることはなかったから。
 だから不思議(ふしぎ)に思って(たず)ねると、彼はクスリと笑った。
『そうだったんだけど、どうしても早く琴葉に会いたくて、予定していたより早く仕事を頑張(がんば)って切り上げてきたんだ』
「えっ?」
 意味深(いみしん)な言葉にドキッとしてしまうも、すぐに首を横に振った。
「本当はただ、予定していたより仕事が早く終わったんでしょ?」
 いつも通りを心がけて聞くと、案の定な答えが返ってきた。
『琴葉に(うそ)はつけないな。……正解、思ったより早く終わったんだ』
 やっぱりそう、だよね。私に会いたいから頑張ったなんて、そんなことあるわけないよね。
「そっか。……お疲れ様。よかったね、早く帰ってこられて。疲れたでしょ?」
 ちょっぴり痛む胸を押さえながら、平気なフリをして()たり(さわ)りない話をする。
 だって出張から帰ってすぐ、こうして電話をくれただけで充分だから。
『いや、飛行機の中で寝たから疲れていないよ。……だから琴葉と一緒に食事に行きたくて今、琴葉の家の前で電話をしているんだ』
「家の前って……」
 スマートフォンを耳に当てたまま窓の方へ向かう。そしてカーテンを開けて外を見ると、見慣れた車がアパート前に停車していた。
『今日、友達と出掛けるって聞いていたから、まだ帰っていなかったら(あきら)めて帰ろうと思っていたんだけど……もし、疲れてなかったら食事に行かないか?』
 電話をくれただけでも充分だった。それに、疲れているはずなのに食事に誘ってくれるなんて……。
 思いがけないサプライズに胸がキュンと鳴る。
『琴葉? 聞いてる?』
 なにも言わない私に、楓くんはクスクス笑いながら聞いてきた。
「あ、うん聞いてる! 待ってて、すぐに行くから」
『わかったよ。(あわ)てずにおいで』
 耳をくすぐる柔らかい声にまた胸を高鳴らせながら電話を切り、慌てて洗面所に()()んだ。
 メイクを落としていなくてよかった。
 簡単にメイク直しをし、髪を整えて早く楓くんに会いたい一心で、バッグを手に家を飛び出した。
 カンカンカンと階段を駆け下りると、私に気づいた楓くんは車から降りた。

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