旦那様は新妻を(予想外に)愛しすぎてます
第一章 (3)
バタンと閉じたドアを知依は軽く睨んだ。
「もう、やっぱり昔からイジワルなのは変わってないんだから」
ぷりぷりしながら、崇の食べたお皿を片付ける。洗い物の続きをしながら、崇との今日までのことを思い返した。
知依が花も恥じらう新妻だというのに、どうして処女のまま今日まで過ごしているのかを──。
***
ある日の仕事終わり。
知依は事務所の前代表である崇の父、久我山弘を見舞っていた。
病院の特別室は備品もどれも最新式で高級だ。部屋にある見舞客のための応接セットの座り心地は良く、知依がひとり暮らしを始めてからずっと使っているベッドよりもスプリングが効いていた。
起き上がろうとする弘を手伝い、ベッドのリクライニングを調整してから、ベッドの横にある椅子に座る。
精力的に働いていた弘を知っている知依には、少しやせて覇気のなくなった姿を見るのがつらかった。
「事務所の様子はどうだい?」
「はい。新代表の仕事ぶりは完璧で、事務所のみんなが驚いています」
やはり急に退くことになったせいで、やはり仕事のことが気になるらしい。知依が病室を訪ねると、いつも決まって事務所の様子を聞きたがった。
「あいつは自分が何でもできるから、周りをあんまり気にしない。軋轢を生まなければいいけれどな」
心配する弘を安心させようと、知依は少しおどけた。
「たしかに、カリスマ性がありますよね! 平川さんなんか、『イケメンが来たー!』って大喜びでしたよ」
「あぁ、彼女はそうだろうな。こんな爺さんと働くよりも、喜びそうだ」
時折笑顔を見せてくれると、安心する。
「わたしは、残念です。もっといろいろ教わりたかったのに」
思わず本音がぽろっと出てしまった。俯いた知依の肩を弘がポンッと叩く。
「私も残念だよ。まだまだやり残したことがあるように思う。でもまぁ知依ちゃんがここまで大きくなるまで見届けられたんだから、よかったと思おう」
「おじさま……」
昔のように“知依ちゃん”と呼ばれて、知依も思わず弘を昔のように“おじさま”と呼ぶ。
そもそも弘は、知依の亡くなった父親の親友だった。幼い頃から仲が良く、同じ税理士の道を選んだふたりはお互いを無二の親友だと思っていた。家族ぐるみの付き合いだったので、知依は小さい頃から崇や彼の弟の哲のこともよく知っていた。
知依の母親は彼女を生んですぐに帰らぬ人となった。親戚もあまりいない知依には、崇や哲との思い出は家族との思い出そのものだ。大きくなるにつれて、久我山兄弟とは疎遠になってしまったが、弘との交流はずっと続いていた。
知依の父親が不慮の事故で亡くなった後は、より一層弘が知依を支えてくれたのだった。そのつながりで、弘の事務所に就職をして徐々に仕事を覚え、これからやっと恩返しができると思った矢先に、弘が倒れてしまい仕事のすべてを崇に任せることになったのだ。
「税理士試験の勉強は?」
「少しずつですけど、頑張っています」
「そう、あまり無理せずに、な」
「はい」
面会時間はそろそろ終わりだ。知依は「また来ます」とあいさつをして、病室を後にした。
同じように面会を終えた家路につくだろう人と一緒にエレベーターに乗り込み、一階に降りた。
(少し顔色が良くなっていたみたい)
病状が安定している弘の顔を思い出して安心した知依は、病院の自動ドアを抜けて駅に向かって歩き始めた。
「静知依さんですね」
「はい」
後ろから声をかけられて振り向いた。そこにはスーツ姿の男性が立っていた。スーツといってもあまり品の良いものではない。態度も紳士とは程遠いものだ。
その男を見て、すぐに警戒する。普通の仕事をしている雰囲気ではない。明らかに“その筋”の人だ。
「あの、どちらさまでしょうか?」
相手の出方を見ながら、バッグの中のスマートフォンを探す。何かあったときにすぐに電話できるように──。
しかし知依のその行動は、相手の気分を害したようだ。
「話を聞くときは、こっちに集中しないとダメだろう」
肩にかけていたバッグごと、男に取られた。ニヤニヤと気味の悪い笑みを浮かべている。
「いや、返してください」
「返してほしいのはこっちなんだけどなぁ」
バッグを取り返そうと一歩前に出たが、相手も知依に詰め寄った。慌てて距離を取ろうとするけれど、その前に腕を掴まれた。
「痛いっ! 返すって何をですか?」
相手が何のことを言っているのかまったくわからない。
「もちろん、貸したお金に決まってるだろう? 六百万と利子。合わせて九百万」
「わたし、お金なんて借りてませんっ!」
そもそも初めて会った人にどうやってお金を借りるというのだろうか。知依は足を震わせながらも、毅然とした態度をとった。
「おーおー。そんな怖い顔しても無駄だよ。ほら、ここ見て。これあなたの字だよね?」
一枚の紙を突きつけられた。それは借用書。そこには確かに知依の名前が書いてある。
「知らない! そんなの、わたし知らないから」
「でも、ここにあるのはあなたの名前でしょう」
「そうですけど……わたし本当に──あっ」
ふと記憶をたどっていくと、ひとつのことに思い当たる。
それは二ヶ月前の、高校の同窓会での出来事だった。知依は学生時代に仲の良かった友人の大井久美子から何度も誘われて、いつもは参加しない同窓会に参加した。
久美子がカフェを開くことになったことを直接知依に報告したかったと久美子に言われ、一緒になって喜んだ。カフェの店舗を借りるのに、保証人が必要だと言われてサインをしたのを思い出す。
「でも、あれは……カフェのお店を借りる保証人だって聞いて……」
「はぁ? そんなの俺たちは知らないな。ほらここに書いてあるだろう。六百万借りますって」
たしかによく見ると金銭貸借の契約書だ。
しかし知依は間違いなく、店舗を借りるための契約書にサインをした。
「だまされたんじゃないのか? ダメだよ、人をすぐに信用しちゃ」
まさに知依が考えていたことを、ずばり言われた。否定したいけれど、できずに青ざめたまま黙り込んでしまう。
男はひひひっと下衆な笑いを浮かべた。
「まぁ、俺たちには関係ないけどな。契約書がある以上払うもんは払ってもらう」
「そんな……わたし知らな──痛いっ」
拒否しようとしたけれど、掴まれていた腕を強く握られた。痛みが走り顔をゆがめる。
「知らないって、ここに名前があるだろうが。あん?」
詰め寄られて体がこわばる。助けを呼ぼうにも喉がはりついたようになって声が出ない。
「お金がないなら、いい仕事先を紹介するよ。昼の仕事よりも、もっとずっと簡単だから安心しな。ちょっと寂しい男の人に、色々サービスして癒してあげる、人のためになる仕事だ」
ニヤニヤと何かを含んだような笑いを浮かべる男を見て、悪寒が走り身震いする。
「君みたいな、見るからに素人って子が好きな人は大勢いるから、すぐに借金なんて返せ──痛い! 痛ってー! 誰だ?」
「その子の手を離すのが先だ」
男の背後に現れたのは、崇だった。突然の登場に驚いたのは借金の取り立てをしている男だけではない。知依もまた驚いて崇の顔を見つめる。
「痛い! わかった。離せばいいだろう」
我慢ができなくなった男はすぐに、知依を掴んでいた手を離す。
知依は咄嗟にその手を自分の後ろにかばいながら、男と距離を取った。
「知依、こっちに来るんだ」
恐怖で声が出ない知依は、ブンブンとうなずくと崇の後ろに隠れた。
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