クールなCEOと社内政略結婚!?

高田ちさき

第一章 / 悲劇の種をまく男 (1)




第一章


悲劇の種をまく男


 会議室には既に、ブライダルデザイン部のメンバーが集まっていた。スライドの準備がされていて、照明も落とされている。

 私は体を小さくし、頭を下げて周囲に謝罪しながら自分の席についた。

「もう、あさ美さん。遅いですよ」

 私のアシスタントをしてくれているおかちゃんが、キレイなストレートのボブヘアを耳にかけながら、私に小声で話しかけてきた。チワワみたいな大きな瞳に、プルプルのゆで卵みたいな肌は、彼女の実年齢の二十四歳よりもずいぶん若く見せている。

「ごめん……つい夢中になっちゃって」

 後輩に叱られるなんて、情けない。だけど、見かけによらずしっかり者の梨花ちゃんの言うことは、いつも正しい。

「デザインもいいですけど、時間はきちんと守ってくださいね。私が電話しないと、夕方まで戻ってこなかったかもしれません」

「そんな、大げさな」

 あまりの言われように苦笑を浮かべた私に、梨花ちゃんがため息をついた。そのとき……。

「それでは、秋冬コレクションに向けての会議を始めます」

 進行役の一課の課長が、マイクを手に取り、会議がスタートした。

 アナスタシアは、現社長・浮田孝文のフランス人の祖母が創業者だ。ブランド名も、彼女の名前からつけられている。

 最初は、社員が数名の、ウエディングドレスを作る小さな会社だった。しかし、その斬新かつ繊細なデザインが日本人をとりこにし、あまの結婚式場から注文が入るようになり、急成長を遂げた。

 そして、彼女の義理の息子である先代社長が会社を引き継ぐと、紳士服から女性のカジュアルウェアまでさまざまなラインを展開するようになった。そこには、ウエディングドレスだけでなく、日々のどんなときでもアナスタシアの服を身につけてほしいという思いがあったそうだ。

 ファストファッションが業界を席巻している中、アナスタシアの服は、どのラインも価格は決して安くはない。だけど、デザインや品質はもちろん、創立以来創り上げてきたブランドイメージは世間に広く受け入れられ、業界でも首位争いをするほどの一大アパレル企業グループへと変貌したのだ。

 そんなアナスタシアの数あるブランドの中でも花形は、最も歴史の長いウエディング部門。私はそこに、美大を卒業後、新卒で運よく配属され、この四月にようやくアシスタントデザイナーからデザイナーへと昇格できた。

 念願がかなったのに、社長にぶつかり会議にも遅れそうになるなんて、なんという失態……。もう少し気を引きしめなくては。

 目の前のスライドを確認しながら、必要と思われることを資料に書き込んでいるうち、落ち込んでいた気持ちは少しずつ晴れ、仕事に没頭していく。

 しかしそれは、会議に集中する、というのとは少し違う。マイクを通して耳に入る単語に、創作意欲が刺激されてしまうのだ。

「エアリー……洗練された……大人……」

 単語が脳内で混ざり合って、イメージが膨らむ。気づけば私は、ペンを走らせて資料の片隅にデザイン画を描いていた。


「もう、あさ美さん、会議ちゃんと聞いてましたか?」

 長い会議が終わり、デスクに戻ってひと息つく頃、隣の席に座る梨花ちゃんが新発売の抹茶味のクッキーを私に差し出した。

「ありがとう。あ、これ、今朝コンビニで見たやつだ。さっそく手に入れてるなんて、さすが梨花ちゃん」

「こんなことで褒められても、うれしくないです」

 そうは言いながらも、二枚目のクッキーを私のデスクに置いてくれる。

 私は、まだ隣でお小言を言っている梨花ちゃんの声をBGMに、パソコンに向かい仕事を始めた。

 えーっと、まずはほうせい仕様書を作って、それから……あれ、あのサンプルどこにいったんだろう。あ、えーっと……そういえば経費精算が今日までのはず。

 デザイナーといえど、デザインだけやっていればいいわけではない。コストの交渉や納期の管理、社内のさまざまな部署とのやりとり。それらすべてが自分の仕事だ。

 実際に入社するまで、やることがこんなに多岐にわたるとは思ってもみなかった。けれど、どの仕事も自分の生み出すドレスを作るのになくてはならない作業だと思うと、苦にならなかった。

 持ち前の集中力を発揮し、目の前にある山のような仕事を次々と処理していく。

「梨花ちゃん、布地のサンプルの件ってどうなってる?」

「向こうの担当者が今日は出張なので、明日以降に連絡もらえるように言ってあります」

「あと――」

「ストーップ!」

 まだ話を続けている私を、梨花ちゃんが止めた。

「あさ美さん、今日は確か早く帰る日ですよね?」

「え?」

「お父様が帰国されるって言ってませんでしたか?」

 私は急いで卓上カレンダーを確認する。今日の日付に赤い丸がついていた。

「忘れてた……まずい」

 壁にかかっている時計を見れば、終業時間を十分過ぎていた。急がないと、父との待ち合わせに遅れてしまう。

「教えてくれてありがとう、梨花ちゃん」

「もう、私は秘書じゃないんですからねっ! 後の仕事はやっておきますから、さっさと行ってください」

 梨花ちゃんは腰に手を当て、唇をとがらせ、大げさに怒ったように見せている。

「今日は一日中、迷惑かけてごめんね。明日ランチおごる」

「今日だけじゃないですけどね。ランチ、期待しておきます」

「了解! いつもありがとう」

 私はデスクの一番下の引き出しに入れてあるバッグを引っつかんで、梨花ちゃんに手を振りながらフロアを後にした。


 ニューヨークを拠点にしている父が日本に帰ってきた今日は、母の命日だった。

『世界中を股にかけた仕事をしている』と本人は言っているが、実際にどんな仕事をしているのか、私はあまり詳しくは知らない。企業に投資したり、買収したりすることがメインのようだが、父の気まぐれでさまざまな事業を行っているようだ。

 ここのところ、ずいぶん日が長くなった。夕暮れの中、私は母が眠る墓石の前で目をつむり、手を合わせていた。かたや、父は……。

「なおぃいいいぃいいい!」

 号泣である。初老(と言うと本人は怒るけど)の男性の号泣。これも毎年、母の命日の恒例行事だった。

 母が亡くなって、十二年。それは、隣にいる男性が私の父となってから同じく十二年経ったということだ。


 ――母が亡くなったのは、私が中学三年生になってすぐ、五月のよく晴れた日だった。雲ひとつない青空だったことを、今でも覚えている。

 私は生まれたときから、小さなアパートで母とふたりで暮らしていた。決して裕福ではなかったけれど、母との生活は、毎日笑顔であふれていた。母が病に倒れる、そのときまでは……。

 母が調子が悪いと言い始めて息を引き取るまで、三週間しかなかった。そのあっという間の出来事に、私は悲しいとか寂しいとか、そういう感情を持つ暇もなかったように思う。

 気がついたときには、かんおけに入った母と狭いアパートにいた。

 いつも親身になってくれる大家さん夫婦と、近くに住んでいる幼なじみのいいじましゅんすけの両親が、なにもできない私に代わって、いろいろと手配してくれていた。親戚もいたけれど、彼らは母の死を悲しむよりも、私というお荷物を誰が引き取るか、母のなきがらの前で言い争っていた。

 当の本人である私は、それをどこか他人事のように聞いていた。

「うちだってダメよ。主人の給料がまた下がって、自分たちが食べていくだけで精いっぱいですから」

「そうだ。遺産もないのに、誰がこんな面倒事を引き受けるか」

「うちには、年頃の息子がいるから無理よ。なにか間違いがあっては困るもの」

「確かに、どこの馬の骨かわらかん男との子を産む母親だからな。血は争えん」

 そんな大人たちの勝手な会話を、遮る声が部屋に響いた。

「馬の骨とは、ずいぶん失礼ですね」

 低い声とともに登場したのは、背の高い男性。ドアの外から射し込む光を背後にまとったその人の顔がよくわからず、私は目を細めた。今まで一度も見たことのない人だった。

「あなたは誰だ? いったい、なにしに来た?」

 私の疑問を、親戚のおじさんが代わりに聞いた。

「私は、宗次 まもる。あさ美の父親です」

 その衝撃発言に周りがあっにとられている隙に、男性は棺桶に駆け寄った。

「なお美ぃいいぃいいいい!」

 そして人目もはばからず、今と同じように……いや、今以上にボロボロと涙を流しながら、母の亡骸を抱きしめたのだった――。


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