クールなCEOと社内政略結婚!?

高田ちさき

プロローグ


プロローグ


 五月の爽やかな風が吹く中、私は髪が乱れるのも気にせずに、昼下がりのオフィス街を全力疾走していた。

 あぁ、ちゃんと時間を確認しておくんだった……。

 今さら後悔しても遅いけれど、そう思わずにはいられない。

 午後から会議があることはわかっていたはずなのに、うっかり時間を確認し忘れるなんて。こんな初歩的なミス、入社して四年も経っているのに許されるわけがない。集中すると没頭しすぎるこの性格、どうにかしないと……。

 私、むねつぐあさ、二十六歳は、そんな後悔交じりの自己反省をしながら、会社にたどり着いた。さすがにロビーに入ってまで自慢の脚力を披露するわけにはいかないので、早足でエレベーターを目指す。

 途中知った顔を見つけては挨拶を交わしながら、腕時計を確認すると、会議の時間が差し迫っていた。

 ……まずい。急がなきゃ。

 腕時計から顔を上げて、さらに足を速めた途端、ドシンとなにかにぶつかった。

「わっ」

 その瞬間、抱えていたスケッチブックが私の手から離れる。すべり落ちたスケッチブックに挟んであった紙が、バラバラと派手に大理石の上に散らばった。

 ハッとして、ぶつかったその〝なにか〟を確認する。

 私が当たった胸の辺りを、不機嫌そうに片手で払っている。見るからに高級そうな、仕立てのいいそのスーツは、我が社の高級ブランドのもので間違いない。

「も、申し訳ございません」

 私は相手の顔を見るなり、深く深く頭を下げた。

 どうしてこうもツイていないのだろうか。

 わきに変な汗がにじむのを感じながら、顔を上げた。

 本来ならばため息が出るほど整っているはずの顔をゆがませ、私を見下ろすように冷たい視線を投げかけるその男は……この会社、『株式会社アナスタシア』の代表取締役CEO、うきたかふみだった。

 創始者の孫で、三代目。フランス人とのクオーターと聞いたときには、その端正な顔立ちとスタイルに納得したのを思い出す。今年で三十三歳と、年齢は私と七つしか違わないのに、この落ち着きはらった風格はどこから来るのだろう。

 私はすぐにかがんで、辺りに散らばった紙を拾い集める。スケッチブックに手を伸ばした瞬間、目の前で社長の手にさらわれてしまった。

「……あっ」

 顔を上げると、社長は厳しい顔のまま、パラパラとスケッチブックをめくっている。

「ダメだな」

「え?」

 聞きづらくてもう一度聞き返したことを、次の瞬間、後悔する。

「まるでダメだ。中学生の落書きレベル」

「……っう」

 吐き捨てるように言われて、ぐうの音も出ない。この春やっとデザイナーへ昇格した私が、会社の最高責任者に意見できるはずもない。しかも、相手は「これもダメ」「あぁ、センスの欠片かけらもない」などと、これでもかというくらいしんらつな言葉を並べ立てながら、まだ私のスケッチブックをめくり続けていた。

 ……もう、そんなにみんなの前でつるし上げなくたっていいじゃない。

 自分にてんの才能があるとは思っていない。けれど、そのぶん努力でカバーしてきたつもりだ。それを頭ごなしに否定されては、立つ瀬がない。

 かろうじて自分がき集めたデザイン画を胸に抱いて、彼の評価に耐え忍んでいたとき、思わぬ言葉が耳に入ってきた。

「……でも、これは悪くない」

 つき返されたスケッチブックのページにあったのは、先ほどまで昼休みを使い、カフェで夢中になって描いていたデザインだった。

「え?」

 自分のしでかした失態を忘れて、弾かれたように社長の顔を見る。

 すると彼は、片方の口角をわずかに上げて笑っていた。

「悪くないと言ったんだ。センスだけじゃなくて耳も悪いのか」

 そう言って私にスケッチブックを押しつけた社長は、側近の部下を引き連れてエントランスの真ん中を歩いていく。

 私は慌てて頭を下げながら彼を見送った。

 姿勢を戻し、ふとエントランスの時計を見ると、会議の時間を五分も過ぎている。

「あぁー!」

 私は声を上げると、今度は誰にもぶつからないよう慎重にかつ急いで、エレベーターホールを目指した。カツカツとヒールの音を響かせながら、さっきの出来事が脳内で再生される。

 いくら社長だからといって、多くの社員が行き交うエントランスで盛大なダメ出しをするなんてひどい。そうは思うものの、最後に言われた言葉が心に残っている。

「悪くない、かぁ……」

 エレベーターに乗り込み、変わっていく階数表示を眺めながらポソリとひとりでつぶやく。しかしブライダルデザイン部のある六階に到着してエレベーターが開けば、すぐに現実に引き戻された。

「宗次、会議始めるぞ!」

「はい!」

 フロアに戻るとすぐに声をかけられた私は、バッグをデスクの引き出しに押し込み、書類一式を胸に抱えて会議室へ急いだ。

 いつもどおりの、慌ただしいけれど充実した毎日。それがいつまでも続くのが自分の人生だと思っていた。

 それなのに、ほんの数日で、大きな変化が訪れるなんて、このときの私は想像もしていなかった――。

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