イジワル同期とスイートライフ

西ナナヲ

なりゆきの関係 (1)


なりゆきの関係


 久住くんが「ん」とPCの液晶を指さした。

「ここダブってるぜ、これ同一人物だ」

「えっ、ほんと。別人の名前に見えるけど」

 隣で髪を拭いていた私は、言われて画面を覗き込む。久住くんの身体からも、お風呂上がりのボディソープの香りがする。

「表記が違うだけだ。中南米営業の奴、チェックが雑だな、言っとくよ」

「こっちで対応するから、大丈夫だよ」

 前向きに言ったつもりが、じろっと厳しい視線をもらってしまった。身構えたところに予想通り、「あのなあ」と言い聞かせるような声が来る。

「そういう問題じゃない、不備は不備だ。指摘して、同じことが起こらないようにしないと」

「でも、しづらいよ、指摘なんて」

「そこを空気悪くせずに言うのが仕事ってもんだろ。それを避ければお前は楽だろうけど、全体的に見たらいいことない。手抜きって言うんだよ、そういうの」

 きつい。が、正しい。

「海外と交流があるからなのかな、そういうはっきりした感じ」

「単なる考え方の違いだろ。なんでもかんでも国内と海外に分けるな。それこそ国内の悪いくせだと思うぜ」

「ごめん」

「すぐ謝るのもお前の悪いくせな」

「日本人だから」

「しつこいっての」

 最後のは私なりの冗談だ。理解してくれたらしく、久住くんは笑って、私の肩に腕を回す。そうして引き寄せて、実になにげないキスをくれる。

 私のことを、好きでもないはずなのに。

「久住くんて、いくつ?」

「二十七だよ、お前違うの?」

「同じ」

 突然の質問に、彼は不思議そうな顔をした。

 あのね、こんなことも知らないのに付き合っているという、この状況のほうが不思議なんだよ、私には。

 あの強引な交際宣言から、早くも二週間が経過した。

 どうなることかと思ったものの、案外私たちはごく一般的な、お付き合いしていますという男女の様相を呈している。つまり時間が合えば会社帰りに飲んだり、そのままどちらかの部屋に行ったり、そういう感じだ。

 二度あった週末のうち、最初の金曜日は彼が再び私の部屋に泊まり、翌土曜日は予定があると言って朝のうちに帰っていった。その次の金曜日は私が彼のマンションに泊まった。翌日は私のほうが夕方に予定が入っていたため、お昼を一緒に食べてから帰ってきた。

 同じ部屋にいるときは、泊まる泊まらないにかかわらず寝た。三回目まで数え、それ以降はやめてしまった。

 久住くんの家は、偶然にも私の家と同じ路線上にある。より会社に近いせいか、今のところなんとなく、私の部屋で過ごすことのほうが多い。

 三度目の金曜日である今日も、こうして彼は私の部屋にいる。

「寝よ」

 きりのいいところでファイルを保存し、久住くんがPCを閉じた。

「明日、俺、空いてるんだけど、どっか行く?」

「どっかって?」

「さあ……六条はいつも休みの日、なにしてんの」

 改めて問われると、なかなか答えづらい質問だ。

「予定がないときは、家でじっとしてるかなあ」

「暗い」

「じゃあ、そういう久住くんは」

「……用事がなけりゃ、寝てるかな」

「変わらなくない?」

 ベッドに潜り込むと、すぐに私を抱き寄せて首筋に顔を埋めてくる。その身体は熱っぽく、職場でのどちらかといえばクールな姿を見慣れていた私は、彼のこういう一面に、最初わりと驚いた。

「大変申し上げにくいんだけどね」

「まさか?」

「そのまさかなの」

 昨日から来てしまったのだ。泊まりに来る流れになったときに言おうかとも思ったのだけれど、かえって失礼な気がして言えずにいた。

 久住くんはがっかりした声で「マジかよー」と正直にぼやき、やけになったみたいに私を強く抱きしめる。

「最初に言えよ」

「言ったら、来るのやめた?」

 目の前にある胸から鼓動が伝わってくる。穏やかな、心地いい音。

「……んなこと、ねーよ」

 髪に落とされる、優しい唇の感触。

「おやすみ」とささやいて、久住くんが枕元のリモコンで部屋を暗くした。寝つきのいい彼の、規則正しい呼吸が始まる。

 それを聞きながら、私はしばらく暗闇で目を開けていた。

 この関係は、いったいなんだ?


 * * *


「あの久住くんて子、失礼じゃない?」

「えっ、あ、はい」

 五年上のゆきさんが、右隣の席に着くなりそんな暴言を吐いたので、ぎょっとして、つい無責任な返事をしてしまった。

 まあ、あの会議に出ている人は全員、彼女の海外営業に対する、決して好意的とは言えない態度に気づいているだろう。

「あっ、ごめん、ちゃんの同期なんだっけ」

「いいですよ、なにかありました?」

「プレゼン資料の修正が終わったから、確認をお願いしたらさ、呼び出されて赤入れられたの、目の前で」

「ああ……」

 たぶんそれは、彼なりに一番時間の無駄がないよう取り計らった結果だ。メールで返して、修正の意図を説明して、聞き返されて……なんて手間をかけるくらいなら、顔を合わせて手っ取り早く、と考えたに違いない。

 採点をしたわけでもなく、資料を双方にとってよりよいものにするための作業なのだから、失礼とは言いきれない。けれど、そもそもからして気に入らない相手からそれをやられたら腹が立つという幸枝さんの気持ちも、わかる。

「天下の海外営業様だからね、仕方ないけど。昔はよかったなあ」

「国内のほうが元気だった時代もあったんですよね」

「つい最近だよ、立場が逆転したの」

 そう、今でこそ海外営業が花形と言われているけれど、数年前までは国内営業のほうが遥かにエリートとされていた。単純に、売上比率が圧倒的に高かったからだ。

 会社が海外販売に力を入れ始め、成果が出ると、国内と海外の売上はがらりと逆転した。肩で風を切って歩いていた国内営業は一転して日陰に追いやられ、代わりに海外営業がきゃっこうを浴びることになった。

 私が入社したときはちょうど逆転の直後で、海外営業に対する国内営業のてきがいしんは今以上にこつで強かった。

「最近じゃ、向こうが上で当然って空気だもんね」

「私たちも頑張らないとですねえ」

「予算取るのも難しくなってきてるし、立場弱いってきついわ」

 幸枝さんの不満そうなため息に、特に海外営業に反感もなく、久住くんという同期もいる私は、板挟みにあっているような気持ちになった。


「ああ、くろさわさん? 気に食わねえってオーラ、出てたよ確かに」

「あっ、気がついてたんだ」

「気づくだろ、あれだけ出されりゃ」

 夕方、食堂にあるカフェに飲み物を買いに来たところ、ガラス張りの喫煙所にひとりでいる久住くんを見つけた。初めて入ったガラスの内側は、想像していたほど煙たくない。

「ごめんね、って私が謝っても意味ないんだけど」

「あのへんの年代は、国内市場のすうせいの影響をもろに受けてるから、どうしても過敏になるんだろうな」

 ふう、と吐き出した煙の行方を見つめながら、彼が呟く。

「言っちゃなんだけど、めんどくせえな……」

「そこを空気悪くしないようにするのが、仕事なんでしょ」

「それとこれとは、まあ、一緒か」

 短くなった煙草を灰皿に押しつけ、寄りかかっていた壁から身体を起こした。

「ま、そっちはなんとかするわ。それより今日、寄っていい?」

「いいよ。私、遅くなるから入ってて。後で鍵渡すね」

「えっ、ならいいよ、悪いし」

「別に悪くないけど……」

 今さらなにを遠慮しているのか。

 久住くんも、無用の気遣いだったことに気づいたようで、「だよな」と気恥ずかしそうに俯いた。その視線が私に戻ってくる。

「あのさ、先に聞いとくけど」

「あ、終わったよ、大丈夫」

「そう」

 ホッとしていることを隠そうかどうしようか迷っているような、複雑な表情。

 淡白な人とばかり思っていた彼は、知ってみると案外、素直で飾り気のない顔をこうして見せてくれる。

 その彼が、難しい顔で腕を組んだ。

「二回目もあり得るってレベルじゃないよな。なんで俺、最近こんな盛ってんだろ」

「まあ、そういうときもあるんじゃない?」

「なんか、ごめんな、付き合わせて」

「イジワル同期とスイートライフ」を読んでいる人はこの作品も読んでいます