冷徹社長は溺あま旦那様 ママになっても丸ごと愛されています

西ナナヲ

The Way we were (1)


The Way we were


 私たちが出会ったのは四年前の二月。私の勤めていた出版社が開催した謝恩パーティの席上だった。

 当時、私は『Selfish』の副編集長にばってきされたばかり。この毒々しさを秘めた華やかな世界で、これからも突き進むのだと信じて疑わなかった。

 上はノースリーブ、下はワイドシルエットのパンツというジョーゼット素材のセットアップに身を包み、その深いグリーンの色あいに満足していた。

『早織、ソレイユの狭間さんがいらしてるわよ、ご挨拶したいんですって』

 都内の老舗しにせホテルのごうしゃなパーティーホール。立食のごちそうを味わうひまもなく、自社のモデルを売り込みに来た事務所の偉い人やファッションモデルの卵たちの挨拶を延々と受けているうち、編集長のじんが私を呼んだ。

 ファッション誌の編集長にふさわしい、トレンドとオリジナリティを見事に融合させた大胆なボタニカル柄のドレスを着た彼女は、私の三歳上だ。私が新卒として編集部に配属されたとき、競合の出版社から転職してきた。『お互い新人よ、眞紀って呼んで』と彼女は私に手を差し出した。その手を握り返したときから、私たちは友人兼ライバルとして歩んできた。

 私は周りを取り囲む人々に断りを入れ、輪を抜け出した。

『狭間さんって、次期社長っていわれてる?』

『そう。今の社長はどう見てもお飾りだから、すでに狭間さんが社長のようなものね。ちなみにホールディングスカンパニーの社長の息子さんよ』

『超のつく御曹司ね。どんな感じの方?』

 笑顔を張りつけ、お互いにだけ聞こえる声で会話する。数歩進むごとに、広告代理店の雑誌担当者や彼らに引き連れられてきた広告主、売り込み目的のモデルなどがすり寄ってくる。それらを丁寧にあしらいながら、眞紀は『いけすかない坊や』と肩をすくめた。

『やっぱりそういう感じなのね』

『……と言いたいところなんだけど』

『え、なに?』

 含みのある声に興味をそそられた。そして、『会えばわかるわ』という彼女の言葉は、このあとすぐに事実となった。

 壁際にあるバーカウンターの前に、スーツ姿の男性が立っていた。カウンターに片手を置き、カクテルがシェイクされるのを熱心に見つめている。

 背が高く、すっと伸びた背筋は美しく、たくましさと軽やかさが絶妙に同居した体型。横顔は男らしく整っている。それでいて近寄りがたさを感じさせないのは、その顔立ちに少し幼さがあるせいだ。一重でぱっちりしているという希少な目は素直そうで、口元にも厳しさはなく、むしろ油断全開で少し開いている。

『どうもありがとう』

 彼はバーテンダーの目を見て言い、グラスを受け取った。見下したところもなく、でもない。なに不自由なく育った人間が、あたり前に発揮する行儀のよさだった。

『狭間さん』

 眞紀が彼に声をかけた。了はぱっと振り向き、人懐こい笑みを浮かべた。

『神野さん。先ほどはありがとうございました』

『ご紹介しますわ、こちら、副編集長の伊丹です』

『あっ、どうも、僕は……』

 内ポケットに手を入れ、私に顔を向けた瞬間、彼は固まってしまった。視線が私の顔から足元までをゆっくり移動し、また顔に戻ってくる。

 私もそれなりにちやほやされて生きてきた女だったから、了になにが起こったか、わからないほどじゃなかった。

 ただ、心を動かされはしなかった。むしろがっかりした。なんだ、この人もそのへんのつまらない男と一緒で、見た目や立場で女を判断するのか、と。

 まあいい、だったらそれを利用させてもらうまでだ、と思ったのをおぼえている。

 ほどなくして了は自分を取り戻し、名刺を差し出した。

『ソレイユ代表の、狭間と申します』

 まだ社長じゃないのに、代表なのか。よほどの実力者か、ただのボンボンか。そんなことを考えながら私も名刺を渡し、自己紹介をした。

『今年もお世話になりました。狭間さんのところはモデルさんもまじめですし、とてもクリーンなおつきあいをしてくださるので、助かっています』

『あはは、ちょっと怖い事務所さんも多いですからね』

『え? 私はそんなこと申してませんけれど』

 とぼけてみせると、了は一瞬きょとんとしたあと、楽しそうに笑った。

 了が代表をしている『ソレイユ・インターナショナル』は、その名のとおり海をまたいで活躍する、小規模ながらも精鋭ぞろいと名高い、モデルを主力とした芸能事務所だ。アジア、北米、ロシア、豪州に支部を持ち、現地出身のモデルを獲得したり、また日本のモデルを各地で活動させていたりもする。

 ソレイユ・ホールディングスというグループ企業のひとつで、母体は人材派遣事業を営む近代的な会社だ。そのため芸能事務所にありがちな裏社会との関係がなく、それも業界で重宝されている理由のひとつだ。

 ほんの少し立ち話をしたあと、『申し訳ありません、あまりゆっくりできないのです』と残念そうに言い、了は帰っていった。眞紀が私のわき腹をひじで小突いた。

『気に入られたわね』

『そうみたいね』

『たくさん貢いでもらって、ついでに契約料を値切ってきてよ』

 私が持っていたグラスに、自分のグラスをカチンとぶつける。

 たま輿こしのたぐいの発想が出ないあたりが、さすが編集長だ。Selfishは『自分の人生を自分で生きる女性へ』をうたい文句に、十七年前に創刊された。女性誌の定番ともいえる〝モテ〟〝受け〟などのびたワードは絶対に使わない。

 私は『どうしようかな』ともったいぶった返事をし、ふたりで笑った。


 了の行動はストレートだった。その後すぐに会社のメールアドレスに連絡が来た。丁寧な言葉でつづられたメールには、【あなたを食事にお誘いしたい】とあった。

 驚いたのは、その続きだ。

【仕事の話はあまりしないと思います。お嫌でしたらこの無礼なお誘いは無視してください。その際、これを書いているのはソレイユの代表ではなく、私、狭間了であることをしんしゃくしていただけたら、こんなに幸いなことはありません】

 誠実を通り越して、バカなのかなと思わせるほどの愚直さだった。取引に影響を出すつもりはありません。ひとりの男としてあなたにアプローチしているのです、と自分から言っているのだ。まだ個人的に会ったこともないうちから。

 もとより断る気はなかった。仲よくしておいて損はない相手だ。

 けれど何度もメールを読み返すうち、私はいつしかそんな打算も忘れ、この不思議な男性と、仕事以外の話をしてみたいと思うようになっていた。

『へえ、さっそくお誘い! いつ会うの?』

 翌日、ちょうど眞紀とランチをとる時間があったので、私は報告をした。『明後日』という私の返事を聞くと、眞紀は眉を上げ、『ただのせっかちか、謙虚で思慮深いかのどちらかね』と端的な評価を下した。

 私もまったく同じ感想を抱いた。

「冷徹社長は溺あま旦那様 ママになっても丸ごと愛されています」を読んでいる人はこの作品も読んでいます