俺様弁護士の耽溺ロマンス~エグゼクティブ男子シリーズ~

西ナナヲ

二、ずるい人 (1)

二、ずるい人


 さんざん歯を立てられたわりに、終わってみれば私の身体はきれいなもので、火照りこそ残っているものの、痕ひとつない。

 私は身づくろいをし、ベッドにうつぶせている信武さんに声をかけた。

「帰るわ」

 閉じていた瞳が開き、私を見上げる。

「お前、いつも帰るよな」

「急に呼びつけるからよ。明日の服もないのに泊まれないわ」

 憤慨してみせた私に、彼はくっくっと喉を鳴らして笑う。ほどよい筋肉に覆われた美しい背中が、それに合わせて微かに動く。

「気をつけて帰れよ」

「ありがとう」

 顔も上げずにベッドの上から見送る彼に微笑みを投げ、マンションを出た。

 ようやく残暑も終わり、秋らしくなってきた。とくに夜は、肌寒さの中に、冬へ向かう変化を早くも感じる。

 乾いた風が首筋をなでる。さっきまで彼の唇が触れていた場所。

 街灯が照らす道を、駅に向かって歩いた。

 たとえば痕が欲しいと私が願ったら。

 彼はつけてくれるのだろうか。


 * * *


 三年前の春、響社長がGWのトップに就任することになったとき、私は前任の社長の秘書だった。響社長が、面談をした結果、継続して私を秘書にすると決めたのだ。

 面談といっても、主に話をしたのは彼のほう。経歴や生まれ、好きなこと、苦手なもの。いつものあの朗らかな口調で、惜しまず教えてくれて、最後に聞いた。

「どう、俺と働きたいと思ってくれる?」

 なんて感じのいい、そして頭のいい人だろうと思った。相手の心の扉を開く方法を知っている。だけどそこに無遠慮に踏み込まない分別がある。

「喜んで」

 私は心からそう言った。

 半年ほどした頃、社長からお使いを頼まれた。そこで信武さんと会った。

「響の世話は大変だろ?」

 私から封筒を受け取りながら彼はにやっと笑んだ。彼が出かける前に渡したくて、と響社長が言っていた通り、彼は荷物をまとめ、今にも外出しようとしていたところで、受け取った封筒の中身を手早く改めると鞄に入れ、私を促して事務所を出た。

「楽しくお仕事させていただいております」

「あいつは自分がにっこり笑えばたいていのことは思い通りになるのを知ってるからな。タチ悪いよな、ああいう奴」

 とても暑い日だったのを覚えている。駅までの少しの距離を一緒に歩いた。

 GWのオフィスからも望める紅白のタワーが、ビルの隙間に見えた。

「実際、魅力的な方ですもの」

「だからタチが悪いっていうのさ」

 文書やメールでのやりとりはあったものの、直接会うのは初めてだった。きっちりした対応や文面から、もっと堅い人物を想像していた私は、スラックスのポケットに片手を入れ、口に煙草をくわえて吸える場所を探しながら歩く、不良少年のような印象にびっくりした。

 低い声でぶっきらぼうに言葉を放つ口調。斜にかまえた表情や仕草。だけど言っていることは嫌味でも不親切でもなく、むしろ真面目で親身だったりする。

 駅に入る手前で、彼がふと足を止めた。

 すぐそばに喫煙所があるのが見えたので、そこに行きたいのかと思い、辞去の挨拶をしかけたとき、向こうが振り返る。

 その視線が、私の頭のてっぺんからつま先までを往復した。品定めをしていることを隠しもしない、露骨な目つき。だけど不思議と嫌じゃなかった。

「あんたの連絡先を聞きたいな」

「あっ、失礼いたしました」

 私は慌ててバッグから名刺入れを取り出した。名刺を渡そうとしたところで、おやっ、と思いとどまる。

 彼が笑った。

「会社のは知ってるよ、何度もやりとりしてるだろ」

 その通りだ。ということは?

「俺には知られたくねえってんなら、無理にとは言わないけどさ」

 ぽかんと見上げる私に、彼が口の端を上げて返した。

 照れるとか気負うとか、そういうこととは縁遠い人なのだと思った。聞きたいから聞く。ダメならダメでいい。ただそれだけ。

 気づけば私はバッグからペンを取り出し、自分の名刺に電話番号を書いていた。彼がじっと手もとを見つめるので、文字が震えて困る。

「……どうぞ」

「サンキュ。忘れられちまわないうちに連絡するよ」

 名刺を二本の指に挟み、うしろ手に軽く掲げて去っていく。

 忘れたりするものですか。

 私は呆然と佇み、地下鉄の駅への階段を下りる背中を見送った。


「ごめんね、あいつ、態度悪かったでしょ」

「え? いえ」

 会社に戻ると、響社長が気が気じゃないといった様子で待っていた。バイク便が間に合わず、私を使いに出さざるを得なくなった時点で恐縮しきっていた彼だ。

「失礼なことされなかった? 無視されるとか舌打ちされるとか」

「そんなことをなさる方なんですか?」

 私のほうが驚いてしまう。愛想こそなかったが、そんな仕打ちはなかった。

 社長はぽかんとし、それからほっとしたように笑顔になった。

「氏家さん、気に入られたんだね」

 ぎくっとした。

 たしかにそういうことなんだと思う。だけどどういう意味で?

 連絡は来るだろう。そんな気がする。

 来たらどうすればいいんだろう。

 なにが起ころうとしているんだろう。


 実際、連絡は来た。驚いたことに、その日の夜に。

『俺と飲めるかい』

 彼は電話の向こうから簡潔に問いかけた。

 なんてストレートかつ遠回しなのか。私は感心にも似た気持ちを覚えた。

 つまりはこういうことだ。

〝俺はあんたを気に入ったよ、あんたはどうだい。相手はいるのか? もしもう一度会って、お互い気が合って、流れがそれを許したら──……〟

 携帯電話を握る手に、力がこもった。

〝俺と寝られるかい〟

 私はイエスと答えた。

 翌週にはふたりで会い、しらじらしく食事をし、「出るか」と彼が言ったとき、私はすべてが始まったような気がした。

 彼の部屋に行き、抱かれた。

 驚いたことに、ぶっきらぼうで不愛想な彼は、身体のほうが雄弁なのだった。

 手で、指で、唇で、〝あまさず欲しい〟と訴えながら、貪るように私を征服する。飢餓感にでも追い立てられているのかと思わせる激しさと、男の人らしい甘さと優しさが交互に現れて、溺れさせる。

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