俺様弁護士の耽溺ロマンス~エグゼクティブ男子シリーズ~

西ナナヲ

一、言えない関係 (2)

 手がうなじから前へとすべり、私のブラウスのボタンをひとつ、ふたつとはずした。もうこんな手続き、何度も経ているというのに、私の胸は毎回高鳴る。

「終電でいいよな」

 首筋に噛みつきながら、手が服の下を探る。肌に食い込む、火照った指先。

 問いかけですらない。ふてぶてしい男。

 逆らう気も起きない。

「明日早いんじゃなかったの」

「早いよ」

 わざと歯をぶつけてくる、濡れたキス。

「だから身体動かして、さっさと寝たいんだ」

 ごうまんに甘えてくる熱い身体を、私は抱きしめ返した。


 * * *


「社長、折原先生から届きました」

 バイク便で届いたA4サイズの封筒を持って社長室に入った。

 社員数百名強のGWでは、役員たちのデスクは一般社員と同じフロアにある。社長だけは別フロアに個室を持っており、その続き部屋に、秘書である私のデスクがある。

 響社長は太い顧客に対しては自ら営業を行い、クリエイティブプロデューサーとして動く。そういう案件が進んでいるときは、営業フロアのデスクにいることも多い。

 最近は経営者としての仕事が立て込んでいるので、ほぼこの社長室にいる。

「うわ、早いね」

「先日の件ですか?」

「そう。さすがだなあ……文句のつけどころがない」

 黒いスチールデスクの上で、社長が封筒の中身に目を通しながら、感嘆の息を漏らした。私はふと魔が差したような気分で尋ねた。

「折原先生とは、ご学友でいらっしゃるんですよね?」

「そうだよ」

 社長がにこやかにうなずく。

「まあ学部も違うから、学内で知り合ったわけじゃないけど」

「といいますと……」

「俺と阿久澤はバイト仲間でね。ダイニングバーで働いてたの。折原はそこに客として来てたんだよ」

「ダイニングバー、ですか」

「そう。店員がみんなサーファーっていう、ちゃらいとこ。いきなり『いい波が来てるので休みます』とか看板出して閉めちゃったりする店」

 目を丸くした私に、社長はふふっと満足そうに笑った。

「意外でしょ」

「ええ。社長、サーフィンなんてされていました?」

「俺はかじっただけ。阿久澤と折原はもっとハマってたよ。折原は一番やってたんじゃないかなあ。さすがに最近は忙しいだろうから、知らないけど」

 はあ……と呆然とした。

 信武さんがサーフィン。そして阿久澤室長まで。室長の、一分の隙もない姿を思い浮かべてみる。日の光すら似合わないのに、その上、海ときたか……。

「あ、そちら、コピーいたしましょうか」

「うん、頼む」

 私は書面を受け取り、社長室を出た。

 書面はきっちりと整えられ、そのまま取引先に送れるていさいになっていた。私信が一枚ついていて、〝先方の対応が悪ければ、この内容を弁護士通知として相手に送付することもできる〟と社長宛にアドバイスが書いてある。

『響の世話は大変だろ?』

 初めて顔を合わせたのは、彼の勤める法律事務所だった。社長の使いで彼を訪ねた私に、彼は開口一番そう言ったのだった。


「待って、まだ……」

「いいから」

 パンプスを脱ぐか脱がないかのうちに廊下に引っ張り上げられ、私はよろめきながら信武さんの腕の中に倒れ込んだ。会社を出ると同時に届いた、いつも通りのそっけないメールに誘われてやって来た、彼のマンション。

 鍵をかけなきゃ、と思って振り返ると、それ以前にドアが完全に閉まっていないことに気づいた。転がったパンプスが挟まっているのだ。

 彼もそれを見た。だけど服の中をまさぐる手は止まらない。

「ねえ」

「ほっとけよ」

「ここじゃ嫌よ」

「その台詞、聞き耳立ててくださいって言ってるようなもんだぜ」

 言われて私は黙った。彼の唇が耳を噛み、続いて唇を、はだけたブラウスから露わになった鎖骨を、そして胸もとのやわらかな皮膚を噛む。

 指はもう、私がどうやったってあらがえなくなる場所を探しあてていて、悲鳴が漏れるほど強くそこを引っ掻いたかと思えば、震えるほどもどかしく、羽根で触れるように軽く、優しくなでる。

 立っていられなくなった私の腰を強く抱き寄せ、長々とキスをすると、彼は廊下に私を横たわらせた。

 まさか本当にここでする気なの。

 ドアの隙間から夜の暗がりが見える。そこにこの廊下の明かりがくっきりと光を投げかけているのがわかる。

 嫌だと言っても無駄だろう。彼には稀に、こういうときがある。

 乱暴なわけでも、手荒くされるわけでもない。だけど妙にどうもうで、性急で、彼自身もそんな自分を持てあましているような、そんなときが。

「……いいことでもあったの」

 荒い呼吸の中、尋ねる。

 上着を脱いだだけで、ネクタイすら取っていない彼が、答えの代わりにふっと目を伏せ、微笑んだ。

「負け筋の案件でもひっくり返したの?」

「香水変えたか」

 話を逸らしたということは、図星なんだろう。

 首筋を、そろりと舌が這う。耳のうしろまでたどると、まるでそこから立ち上る香りが気に入らないと言っているみたいに、がぶりと彼は噛みついた。

 同じ場所を何度も甘噛みされる。そのたび私の肩はびくっと跳ねる。

「サンプルをもらったから」

「いつものほうがいい。戻せよ」

 傲慢。

 身勝手でワガママで、彼の言うことなら私がいつでも聞くと思っている。

「お前にこういう甘いのは、シャレにならなくて似合わねえよ、おり

 滅多に呼ばないくせに、こんなときだけ。

 不遜な声で偉そうに、ひたすら首筋を責めながら返事を促す。私は反抗心から、声なんて聞かせてやるものかと唇を噛みしめた。

 彼が喉の奥で笑い声を立てた。

 だしぬけに身体をきつく抱かれ、疼いていた場所を埋めるように揺さぶられ、抵抗もあえなく私は鳴いた。

 むき出しの肩がフローリングの床をこする。冷たく感じていた床も、いつしか私の体温で温まり、汗で肌が吸い付いた。

 ふいに動きが止まった。

 途端に辺りが静まり返った気がして、私は自分のあげていた声が、どれだけのものだったかを気づかされた。だけど恥ずかしがる余裕もない。

 信武さんはなぜか、私の左右の床に手をついて、じっと私を見下ろしている。

 そのとき、聞こえてきた。人の足音だ。

 エレベーターのある方向から、この階の廊下を、こちらに向かってくる靴音。薄く開いたドアから入ってくるその音は、驚くほど近くに感じられる。

 信武さんと目が合った。

 まさか、ね?

 私の希望を裏切って、その目が楽しそうに光る。

「サービスしてやるか」

「信武さ……」

 片手で私の肩を押さえつけ、片手で脚を抱え上げる。頭の芯まで痺れるような感覚を叩き込まれ、私はすがるものもなく、虚しく床を指で掻いた。

 声? そんなのもう、出しているのかすらわからない。

 彼の身体もじっとりと汗ばみ、ワイシャツの下で火照っている、そのくらいが救いで、私は心の中でひたすらこの非道な男を罵倒した。

 だけど私は、帰ったらあの香水のサンプルを捨てる。

 結局、一番しょうもないのは、私なのだ。

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