俺様弁護士の耽溺ロマンス~エグゼクティブ男子シリーズ~

西ナナヲ

一、言えない関係 (1)

一、言えない関係


「なんでこんな店なんだよ」

 約束の時刻ちょうどに現れたその男性は、深紅のビロード張りの店内を見回してさも嫌そうに眉根を寄せた。

 秘書として社長にずいはんしていた私は、ソファから腰を上げ、社長の対面のスペースをあけた。客人は私には目もくれずそこに座り、重そうな書類鞄を自分の足もとの、ソファの肘掛け側、すなわち他人の手が届かないほうに置いた。

 スーツの左の襟には、金色のバッジが裏返しに留めてある。表側のデザインが、自由と正義を表すひまわりをかたどったものであることを、私は知っている。

「さっきまで、ここでお得意様をおもてなししてたんだよ」

「下品な接待してんじゃねえよ」

 気に入らなそうに吐き捨て、隣にすべり込んできたホステスからおしぼりを受け取ると、「水」と告げ不機嫌に手で追い払った。

 政界や財界の名士御用達の店なだけあり、ホステスは気分を害した気配ひとつ見せず、微笑んでさっと消える。

 社長が苦笑いしている。

 この不愛想な男性、おりはらしの弁護士は、ひびき社長のご友人で、私たちの会社『Grandグランド Worksワークス Kケー.Kケー.』の面倒を見てくれてもいる、大切な人なのだ。

「相変わらずだなあ、ごめんねうじいえさん、怖い奴じゃないんだよ」

 私を気遣ってくれる社長に、「承知しております」とうなずいて安心させた。

「うるせえよ、話ってなんだ」

「あ、そうそう」

 私は契約書の入ったクリアファイルを響社長に手渡した。「ありがと」と社長が受け取り、テーブルの上に中身を広げる。

 折原弁護士は、ストライプの入った紺のスーツの内ポケットに右手を入れ、煙草を取り出した。箱を振って一本くわえ、卓上のライターを取り、目を半分テーブルの上の文書にやったまま一瞬で火をつけ、テーブルにライターを投げ捨てる。

 左手は腿に肘をついたまま。すべて右手一本での動作。仕草まで不愛想だ。

「今、シャンハイオフィスを起ちあげる準備をしててね。その準備段階として、向こうにあるクリエイティブカンパニーと提携しようとしてるんだ」

「これがその提携契約書?」

「うん。内容を確認してもらえないかな。期日は月末」

「いいよ」

 こだわりなくうなずき、煙草を口の端にぶら下げて、折原弁護士が書類を手に取る。英語版と日本語版をじっくり見比べていた彼は、やがて「おっと……」とつぶやいた。

「これ、相手から来た書面か」

「そう」

「日本語版も?」

「そう。向こうにも日本人の法務スタッフがいるから」

「なるほどね」

 弁護士は書面をテーブルに戻し、響社長にも読めるよう逆さに向けた。

「じゃあ、日本語力が足りなくてミスったってわけじゃなさそうだな。響、俺ならこの会社は信用しない。少なくともこの提携を仕切ってる人間とは、今後一切腹を割った商談はしないね」

「なにかあった? うちでも厳重にチェックしたんだぜ。当然俺も見た」

「日本語版は日本語版、英語版は英語版で確認したんじゃねえのか。この契約書は、英語と日本語で内容が違ってる」

 社長が目を見開いた。弁護士が「たとえばここ」と一点を指さす。

「かなり巧妙だ。法律的な言い回しに精通してなければ気づかない。日本語版に比べ、英語版のほうがわずかに、GWの拘束力が限定されてる。これ、どっちの言語が原本だ」

 テーブルを挟み、ふたりの男が見つめ合った。

「……英語」

「決まりだな。お前ら、舐められてるぜ」

 社長が難しい顔で考え込む。折原弁護士は煙草を新しくし、ソファに深く身を沈め、煙を吐いた。

「試しに日本語版を原本として、この内容で印を捺したいって言ってみな。向こうが焦ったらクロだ」

「折原、これさあ、違ってる箇所洗い出して、てんさくしてくれない?」

「ん?」

「それで、お前のところにも複製を保管しといて」

 問いかけるように眉を上げた弁護士に、社長がにやっと笑ってみせる。

「これ、いい取引材料になると思うんだよね。すっごいうちに有利なさあ」

 弁護士は腕を組んでしばし考え、同じように、にやっと笑い返した。

「お前のそういう抜け目ないとこ、好きだよ」

「おい、もう帰るの?」

 話が終わったと見るや、契約書を鞄にしまって立ち上がった弁護士に、社長がびっくりした声をあげる。

「明日早いんだ。これ、預かるぜ。完璧な書面作ってやるよ」

「この後、ざわも呼んでるのに」

「よろしく伝えてくれ。じゃあな」

 申し訳程度に手を振っただけで、彼は出ていってしまった。

 そこに阿久澤秘書室長が案内されてきた。まさに入れ違いといったタイミングだ。ぽかんと入口を振り返っている社長を見て状況を察したらしく、さっきまで弁護士のいた席に座ると、肩をすくめた。

「行ってしまいましたか」

「うん」

「仕方ないですね、あいつは」

 からかうように言って、社長の水割りに手を伸ばす。私のいない場では、この硬い敬語も取れるのを知っている。この三人は学生時代からの友人なのだ。

「〝しのぶ〟ちゃんのくせに、ほんと忍耐力ないよね」

「許してやりましょう」

 彼らよりもひとつ年下で、人嫌いで愛想のない弁護士をさかなに、ふたりはしばらくそうやって楽しそうに飲んでいた。


 店を出たところで携帯を開いた。やっぱりメッセージが入っていた。

【来いよ】

 それだけ。

 送信された時刻は彼が店を出ていった、あの直後だ。

 文字でもこれだけ不愛想ってすごい。あきれながら、私は地下鉄の駅を目指した。


「遅かったな」

 マンションのドアを開けてくれた彼は、まだワイシャツ姿だった。仕事をしていたんだろう。

「あの後すぐ阿久澤さんがいらしてね、社長が、今日の業務はここまででいいからって、一杯ごちそうしてくださったの」

「いいボスだな」

 くわえ煙草で私を迎え入れ、穏やかに微笑む。そっけない態度でも、この人はこの人なりに、友人を敬愛しているのだ。

「あいつらはまだ飲んでんのか」

「ええ。信武さん、食べてないんじゃない? 材料買ってきたの、なにか作るわ」

 脱いだパンプスを揃え、身体を起こしたとき、待ちかまえていたように手が伸びてきた。うなじを引き寄せられ、唇が塞がれた。

 押しつけるようなキスを一瞬して、甘く苦い煙草の匂いのする唇は離れていった。そんな目つきが私を見下ろす。頭上のライトを半身が遮って、私を陰にする。

「後でいいよ」

 ぶっきらぼうな態度と口調に似合わず、顔は小ぎれいで、大別するなら童顔の部類に入る。三十二歳にもなった男を〝かわいい〟と形容する人はさすがにいないだろうけれど、おそらく十代、二十代の頃はたびたびそう評され、不本意な思いをしただろうとしのばれる顔立ち。

 社長や室長と並ぶと、身長や体格こそ劣らないものの、この顔のせいで、説明されなくても彼だけが年少だとわかる。本人もそれを承知していて、『あいつらが老けてんだよ』と憎まれ口を叩いたりもする。

 唇がまた近づいてくる。触れるより先に、舌が私の歯を舐める。

「俺様弁護士の耽溺ロマンス~エグゼクティブ男子シリーズ~」を読んでいる人はこの作品も読んでいます