オッサン(36)がアイドルになる話

もちだもちこ

1★変身というほど大層なものではない。


変身というほど大層なものではない。


 オオサキロク、三十六歳、独身、無職。

 身長だけは百九十センチと自慢できるが、体重はキリの良い百二十キログラムのぜいにく

 髪は不潔でボサボサ、肌荒れ、猫背、しょうひげ、ネット中毒者、童貞。

 これが彼、ミロクの「今」を表現する一番分かりやすい言葉の羅列である。

 ミロクの現在がこうなってしまった大きな原因は「無職」にある。

 太っているというだけでいじめられ続けた少年時代を乗り越えて、大学に入った時には虐めは無くなったが、真面目な彼は、学業や就職活動に追われ、青春を楽しむ余裕はなかった。そして良い会社に就職できたにもかかわらず、三年後にはリストラされてしまった。

 しかもその理由は、もちろんもっともらしい理由は告げられたものの、実際のところは「太っているから」である。

 彼は基本的に「デキる人間」だ。頭の回転も速く、大学時代に血のにじむような努力で身につけた社交性もあり、会社での営業成績もかなり良かった。

 だがしかし、彼の所属していた営業部は俗に言う「イケメン」ぞろいであり、しかも上にこびを売るのを得意とする人間がそろっていた。

 社内派閥や人間関係に興味を示さず、日々誠実に仕事をするミロクは、言わずもがな営業部内で浮いた存在となり、上司や同僚からはけむたがられていた。

 その結果、彼は表向きは「業績不振」、実際は「太っている」という理由でクビとなった。運悪くメインで取り扱っている商品が健康食品だったというのもあるかもしれない。

 逆に言えばその体型で営業成績を伸ばせるのは、ある種彼が優秀である証といえるのだが、そこに目がいかない無能な人間に囲まれていたというのも、運が悪かったとしか言いようがない。激務で心も体もボロボロになったミロクは、成果を出しても評価されない会社と、これまで受け続けてきた悪意という名の暴力に、抵抗することもなくただ絶望し、会社だけではなく『社会』からも去ることにした。

 しかし、ミロクの家族は優しかった。

 すっかり引きこもってしまった息子に毎日話しかけ、外に出なくて良いからご飯だけは家族でとろうと約束させた。

 一口でも食べれば良いという決まりを作り、彼はそこで辛うじて家族とだけはつながりを持つことができた。そしてそれは、彼が生きる理由となっていた。

 一日三食、必ず家族のだれかと一緒にご飯を食べる。

 それは父と母と姉と妹、家族全員が一致団結して作り上げたミロクのための習慣であった。

 食事さえ一緒にとれば家族は何も言わず、彼のやりたいように好きなことを好きなだけさせる。

 とはいえ、彼の要求はネット環境を整えるということだけであったが。


 そんな生活を十年ほど続けたミロクだったが、ここ数ヶ月で状況が変わっていく。

 とある動画サイトの『踊ってみよう』という動画のジャンルにすっかりハマッたのである。

 最近っているアニソンや自作の音楽にのせて、ダンスをしている人達の動画がたくさん投稿されていた。

「俺もやってみたい」

 日々その気持ちは高まっていく。しかし運動神経というものが皆無のミロクとしては、恥ずかしさもあり、本格的なダンススクールなどではなく、素人しろうとでもこっそりできる場所があるといいなとネットで検索していた。

 そこで見つけたのが、近所の初心者向けのダンス中心にカリキュラムを組んでいるスポーツジムだ。

「ここなら太ってても下手でも、なんとなくダンスを学ぶことができるかな?」

 早速ミロクはスポーツジムに入会することを決意した。

 もちろん家族が反対することはなく、外でご飯を食べるときは、家族と一緒じゃなくても良いとの新たな決まりも作られた。

 意気揚々と参加したスポーツジムのダンスカリキュラムだったが、初日でミロクは打ちのめされる。引きこもっていたうえに贅肉の多い彼は、軽いダンスでさえも苦しく、最後までついていけなかったのだ。

 そこに現れたのが「元・百五十キロの体重だった」ジムの男性会員だ。世話好きな会員はどこにでもいる。そんな彼から筋力トレーニングと、コンバットダンスを勧められる。

 筋肉さえつければ、ダンスについていけるようになると聞き、やる気が出るミロク。

 ここで重要なのは「ダイエット」ではなく「筋肉をつける」という言葉だ。

 元百五十キロの会員は、ミロクにとって最善の言葉を最適なタイミングでかけたのだ。

 そこで出会ったコンバットダンスは、多くの男性があこがれるであろう格闘技を取り入れたダンスで、男性会員の参加者も多く、女性に不慣れなミロクでも始めやすいものだった。

 さらに、ミロクの母親も内緒でそのジムに行き勉強して、彼に出す食事のメニューを「筋肉をつける」ものへと変えていった。

 結果、彼は徐々にダンスのカリキュラムについていけるようになった。

「楽しい。色々なダンスがあるんだなぁ」

 ミロクは無職なのを良いことに、ジムに週五で通うようになっていた。さらにはコンバットダンスから格闘技に興味を持ち、ジムのカリキュラムにあるたいきょくけんもこなしつつ、動画サイトで見つけた格闘技動画で研究し、自力で色々と身につけていく。

「楽しい。色々な流派があるんだなぁ」

 充実した日々を送り、リストラで負った心の傷は少しずつえていく。楽しい日々は彼を癒やし、さらには彼の体を磨いていくことになっていった。


 ある日、ミロクは鼻歌を歌いながら風呂に入っていた。

 スポーツジムに通うようになってから、汗をかいたら風呂に入るという、当たり前のことを続けるようになったため不潔ではなくなっていたミロク。無精髭と長い髪はそのままだったが、清潔であるなら人として及第点だろう。

「ミロク、タオル置いておくよ」

 脱衣所にタオルを置き忘れたことに気付いた姉のが声をかけてきた。うっかりタオルを忘れて風呂に入っていた彼は、素直に礼を言うことにした。「仁義礼智信」というのは会社を辞めてからハマった昔のアニメに出てきた言葉だが、ミロクの中で絶対のものとなっているため、家族に対しても礼を重んじるのは当たり前のことであった。

「ありがとう姉さん」

「どういたしまして。それよりアンタ、鼻歌すごくいわね」

「え? そう?」

「音が正確にとれてるよ。筋肉ついて腹筋がしっかりしてきたからかもね」

「そう、なんかうれしいな。ありがとう」

 ミハチは高校までピアノを習っていたためか、絶対音感を持っている。ミロクも一緒に中学まで習っていた。そのため姉ほどではないが音楽は得意なほうだ。

 家族にめられて嬉しい気持ちになったミロクが風呂から上がり、いつものようにネットタイムに突入すると『踊ってみよう』の動画に紛れていた『歌ってみよう』の動画を見つける。

「おお、これってすごいな」

 一般の人がカラオケで歌っている動画が、たくさんアップされている。

「今はカラオケで歌うと、ネットにあげたりできるんだ。知らなかったな」

 視聴する動画が偏っているため、ミロクの世界は狭い。

「そうだ。たまにはカラオケでも行こうかな。一人用のカラオケ店なんかもあるみたいだから行ってみよう」

 明日のジムは休みにすると決め、ミロクはいつもどおり夜十一時前には就寝するのであった。

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