タイガの森の狩り暮らし~契約夫婦の東欧ごはん~

江本マシメサ

第一話 タイガの森の小熊ちゃん (2)

 しかし、数年前より状況が変わった。遊牧民のおさに求婚されたのだ。もちろん、狩猟の腕を買われてのことだったのだが、オリガは村を離れるつもりはないので即座に断る。

「あの遊牧民の長は、確か、まだ諦めていないんですよね?」

 オリガはコクリとうなずく。

「村の男との結婚を望んでいても、彼らは私と関わりたがらない。どうしてなのか……」

『猛虎』の噂など、本人は知る由もない。

 遊牧民の長は毎年のようにやって来て、オリガに求婚し続けた。去年来た際、翌年に結婚していなければ、さらってでもめとると宣言されたのだ。いい加減、うんざりだったオリガは、むしけにこの少年を利用すると言った。

「これは取引だ。私は男を保護する。男には夫を演じてもらう。契約結婚だ」

「しかし、貴族が私達に従うでしょうか?」

「賭けだな。しかし、彼は従うだろう」

 オリガは確信するかのように言った。

「周囲には、どこの者と説明するのですか?」

「他の遊牧民出身にすればいい。彼らは、星の数ほど存在する」

 老齢の薬師は、「困った人だ」と呟く。

 一方のオリガは、良い子グマを拾ったと、笑みを深めていた。

 薬師の「今晩はここで安静に」という言葉を聞かず、オリガは少年を毛皮でぐるぐる巻きにして家に持って帰ると言った。

「オーリ、本気なのですね?」

「ああ。迷惑をかけるつもりはない」

「ですが──」

「大丈夫だ。心配いらない」

 連れ帰るならばあんに紛れたほうがいいと判断し、オリガは少年を担ぎ上げ、薬師の家をあとにする。

 外はすっかり暗くなっている。時刻は夕方くらいだが、真冬の日照時間は驚くほど短いのだ。角灯に火をともし、暗い道を進んでいく。

 針葉樹林の中にある村の一つ、『青星の村』は主に狩人が住む村だ。周辺にある五つの村の中で、もっとも森の深い場所にある。規模は小さく、約五十世帯、総人口二百人前後。ここの村人は狩猟をなりわいとし、森の野生動物から毛皮を剝いで、近隣の村の生産物と物々交換するのだ。

みどりぼしの村』は農業が盛んで、『しろぼしの村』はパンやお菓子などで生計を立てる。『あかぼしの村』はづき湖でれた魚を売る漁師の村。『くろぼしの村』は一番大きな村で、酪農、畜産業が盛ん。月に一度の自由市ルイノクは大勢の人が集まり、大変なにぎわいを見せる。

 五芒星の形に並ぶ村は、森と湖の恩恵を未来えいごう得るために、仕事は村の間で綺麗に分担していた。

 足りない物を交換し、補い合う。こうして、何百年と暮らしてきたのだ。

 オリガは父親の造った丸太小屋で、一人暮らしをしている。母親は物心ついたときからいなかった。家族は父親のみというのが当たり前で、気にしたことはない。おかげさまで、女性らしさの欠片もない、男勝りな狩人へ育ってしまった。

 青星の村は、木々に囲まれているというよりは、針葉樹林の中にポツポツと家があると言ったほうが正しい。彼らの生活は、豊かな自然と共存共栄のなかで育まれるのだ。

 少年をソリに乗せ、犬にかせながらトボトボと帰る。腕はガリガリに痩せていた。もっと、肉を食べさせなければ使えない。そんなことを考えながら、雪道を進んで行く。すると、暗闇の中で声をかけられた。

「あ、オリガ!」

 村の若者、ロジオンである。ひょろりと背が高く、頰や鼻にそばかすが散っている、十七歳の少年であった。狩猟帰りなのか、散弾銃を背負っている。へらへらと笑いながら、本日の成果を語った。

「今日は駄目だったよ」

「そういう日もある」

「いいな、オリガは大猟で。今日は何が獲れたんだ?」

 ロジオンの質問に、オリガは目を細める。ソリに置いた獲物は少年だ。言えるわけもない。

「オリガ?」

 一瞬黙り込んだオリガを、ロジオンはのぞき込んだ。軽く首を横に振って、本日の獲物を教えてやった。

「子グマだ」

「へえ、今の時季に?」

 クマは通常、冬眠をする。しかし、たまに巣穴からひょっこり顔を出すことがあるのだ。

「さすがオリガ。冬眠中の子グマにも容赦しないってわけだ」

「クマを殺しておかないと、春に蜂蜜の争奪戦になるからな」

 クマは『メドヴェーチ』とも呼ばれている。意味は蜂蜜を食べる者。クマも人も、蜂蜜が大好物なのだ。村人にとって蜂蜜はごちそうで、年に一度、黒星の村では大規模な蜂蜜市があるほど、愛されている。その村では養蜂もしており、オリガは毎年毛皮と交換していた。

「秋の蜂蜜市、楽しみだな~」

「たくさん交換できるよう、毛皮を一枚でも多く取らなければならない」

「そうだね……って、うわ!」

 もぞりと、ソリの上にあった子グマがわずかに動き、ロジオンは驚く。

「これ、まだ生きているの?」

「ああ。だがそのうち、息絶えるだろう」

「そ、そっか。気を付けてね」

「心配ない」

 ここで、ロジオンと別れる。危ないところだったと、嘆息しながら。

 オリガの家は村のもっとも端にある。

 煙突が突き抜けたわらぶき屋根の丸太小屋で、玄関は雪に埋もれぬよう、階段を上がった先にあった。二階建てで地下室も完備。外にあるのは解体小屋、風呂、家畜小屋、犬小屋など。一階部分は三つに区切られていて、居間、食堂兼台所、物置がある。

 食堂には『ペチカ』というかまどがあり、部屋の半分を占めるそれは、暖房器具の役割を果たす上に通気口より送られる煙で家全体を暖めてくれる。

 ペチカのすぐ外には、家畜小屋と犬小屋があった。凍死しないように、熱を送っているのだ。居間はテーブルと長椅子があるばかり。殺風景なのは、父親が生きていたころからである。物置には雑多に、様々な物が詰め込まれていた。

 二階部分は二部屋あり、オリガの寝室と、ほったらかしの父親の寝室がある。屋根裏部屋には毛皮の在庫を収納していた。

 少年を抱え、階段を上る。扉は足で蹴って開けた。部屋の中は暗く、外よりも冷ややかな気がした。そのまま少年を二階の寝室に連れて行く。

 父親の部屋を掃除したのは一年前。開かずの間にして、封印していた。きっとほこりだらけで、そこに眠らせるわけにはいかないだろう。

 そこでオリガは自分の部屋に連れて行き、少年を寝台に寝かせ、毛布を何枚も重ねてかけてやる。少し顔が赤い気がしたので、額に触れてみたら熱かった。薬師に貰った薬を飲ませなければならないと判断したオリガは、を準備することにした。


◇◇◇


 シャリ……シャリ……シャリ……。

 黒髪の少年は石で金属を研ぐ音で目を覚ます。うっすらと瞼を開いたら、角灯の薄明りに刃が照らされて、キラリと輝いた。

 ──殺される!!

 そう思い、ガバリと起き上がって、すぐさま壁に身を寄せた。

「起きたか」

「だ、誰だ!」

「お前の妻だ」

「は?」

 目の前にいたのは、金髪へきがんの美しい女。瞳は氷を思わせるアイスブルーで、見つめられるとぞわりと鳥肌が立つ。手にナイフを握っているが、殺意はないようだ。片方の手には研ぎ石を握っていたので、単に、手入れをしていただけだと気づく。

 次なる心配は、現在の状況である。まさか、都の屋敷に連れ戻されたのではと額にぶわりと汗が浮かんだ。

 屋敷での暮らしは、最悪の一言だった。

 継承権を放棄すると主張しても聞き入れてもらえず、しつこく説得され、挙句、さまざまな女を使って、色仕掛けをしようとしてきたのだ。しかし、彼ははがねの意志を持って、どの女も抱かなかった。母親のような、異性関係にだらしない人間になりたくなかったから。おかげさまで、何十人もの女性の攻撃をかわし、今では美人を見てもなんとも思わない。

 しかし目の前にいるのは、いっとう美しい女だった。

 氷を思わせる青い目に、絹のような金の髪、雪のように白い肌。

 一瞬、ポカンとして、見とれてしまったほどである。ハッと我に返り、問いかけた。

「あんた、誰なんだ?」

「アンドレイの娘、オリガ・アンドレーエヴナ・グラトコヴァ」

「グラトコヴァだと? 聞いたことねえな」

 家名うんぬんの前に、オリガと名乗る女性の格好を見て違和感を覚える。胸に青い幾何学模様のしゅうがある、詰襟の白いワンピースをベルトで締めた簡素な服装は貴族には見えなかった。

「もしや、ここは収容所なのか!?

「違う。青星の村だ」

「なんだ、それ?」

「狩猟を生業とし暮らす、狩人の村……青星の村だ」

「へえ……」

 寝起きなので、なかなか頭の整理が追い付かない。

 少しずつ、状況を理解していく。

 まず、体は傷だらけであるが、大きなはない。

 ここは流刑地でもなければ、最低最悪の王都の屋敷でもない。

 青星の村という、狩猟民族の家に連れて来られた。

 そして──。

「そして、お前は私の夫だ」

「は、はああああ!?

 決して大きくない家で、少年の悲鳴が響き渡った。

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