カタブツ皇帝陛下は新妻への過保護がとまらない

桃城猫緒

第一章 永遠の初恋を (2)

 母からは外に出るときは必ず侍女をつけなくてはいけないと言われているが、中庭ぐらいなら大丈夫だろうとモニカは考える。

 そうして翌朝、日が昇る時刻に目を覚ますと、モニカは白い綿のカジュアル・ドレスをひとりで着て足音をたてないように部屋から出ていった。城の玄関口には警備の兵が立っているため、ちゅうぼうの裏口からこっそり中庭へ出る。

 日が昇り始めてきたので足元に困ることはなかったが、湖や林が近いため外は朝もやにけむっていた。

 視界の悪い中、オータム・ダマスクローズの花壇の位置を思い出しながら、モニカは中庭を歩く。半円アーチの外廊下を横切り、花壇に繋がる石畳の道を駆けだしたときだった。

「きゃっ!」

 あさつゆで湿った石畳に足を滑らせ、モニカは前のめりに転んでしまった。

 しかも運の悪いことに滑った足をくじいたようで、激しい痛みを右の足首に感じる。

「いっ……た……」

 モニカはなんとか身体を起こすと、濡れた地面に尻をつけて座り込んだ。白いドレスは泥で汚れ、ひどく情けない姿になってしまった。

(どうしよう……。こっそり抜け出したのに、服を汚してこんなまでしてしまって……。きっと叱られる)

 くじいた足首が痛くて立ち上がることもできず、モニカは悲嘆に暮れる。

(ばちが当たったんだわ……。お母様との約束をやぶったり、リュディガー殿下の目を避けようとコソコソしたから……)

 自分のしたことが途端に罪深いものに思えて、モニカはその場に座り込んだままグスグスと泣きだしてしまった。

 少し晴れてきたもやの向こうに、転んだひょうに飛んでいってしまったサンハットが見える。青いリボンのついたお気に入りの帽子に手を伸ばすが、座ったままでは届かない。

 そのとき、もやの向こうから手が伸びて誰かがモニカのサンハットを拾い上げた。

 驚いて目を丸くした彼女の前に姿を現したのは――絹のシャツとトラウザーズ姿のリュディガーだった。

「あ……」

 彼の姿を見つめ、モニカは言葉をなくす。

 起き抜けなのだろうか、いつもきれいに横へ流している前髪が今はずいぶんとラフだ。けれど表情はやはりいつもと変わらず厳めしい。眉間に皺を寄せた状態でモニカを見下ろしている。

 リュディガーがなぜこんなところにいるかはわからないが、地面に座り込んでいる自分をげんに思っているのだろうとモニカは感じた。

(きっと叱られる……ううん、呆れられるわ)

 遠慮なく向けられる視線にたえきれず、顔をうつむかせてしまう。けれど。

「……え?」

 リュディガーは手にした帽子をモニカの頭にかぶせると、いきなり彼女の身体を両腕に抱き上げてしまった。

「リュ、リュディガー殿下?」

 あまりに驚いて、モニカは横抱きに抱えられたまま顔をひきつらせた。

「降ろしてください、あの……重たいですし、このままじゃ殿下の服まで汚してしまいますから……」

 男性に、しかも皇太子殿下に抱き上げられるなどとんでもないと思い、モニカはしどろもどろに訴える。

 するとリュディガーはわずかに眉根を寄せ、彼女の顔を見てから口を開いた。

「転んで怪我をして歩けないのだろう。城内まで運んでやるから、おとなしくしていなさい」

 その言葉に、モニカはますます驚いてアンバーの瞳をまん丸くしてしまう。

「ど、どうして……」

 人目を盗んで中庭に来たはずなのに、どうしてリュディガーはモニカが転んだことを知っているのか。ましてやそれを知ってどうして彼が助けに来てくれたのか、モニカにはまったくわからない。

 城に向かって石畳の道を歩きながら、リュディガーは前を向いたまましゃべり始めた。

「寝室の窓から外を眺めていたら、もやの中に青いリボンのハットが見えて、すぐあなただと気づいた。それが道の途中で急に動かなくなったから、おかしいと思って見にきたんだ」

 彼の目を避けるため早朝を選んだはずだったのに、まったく意味がなかったことを知ってモニカは密かにぼうぜんとする。

「ご心配かけてすみません……。あの、でも……わざわざ殿下が来られなくても、侍女に申しつけてくだされば……」

 心配をさせたうえ、皇太子じきじきに運んでもらうなどおそれ多くて、モニカは萎縮せずにはいられない。なんだか気まずくて、抱かれた身体がソワソワする。

 けれど彼はフゥッと短い溜息を吐くと、少しだけ口調を強くして言った。

「あなたはあまり俺に頼りたくないようだな。同じ屋根の下で過ごす親戚を気遣ったつもりだが、迷惑だったか」

「い、いえ! そんなことは……!」

 意外なことを言われてしまい、モニカは必死になって首を横に振った。迷惑などと思っているわけではない。ただ恐縮して戸惑っているだけなのだ。

 せっかく助けに来てくれたのに気を悪くさせただろうかと、モニカは抱かれている腕の中からそっと彼の顔を盗み見た。

 前髪をラフにしているせいか普段より若々しく見える顔はしく端正で、うっかりれそうになる。

 まだ異性に恋をしたことのないモニカにも、彼の容姿が男性として魅力的だということは理解できた。

 名門の家柄に生まれ選ばれた血筋を持つせいだろうか、二十歳という若さでもリュディガーは充分に威厳と品格を感じさせる。それは魅力でもあるが、まだ少女であるモニカにはにも感じられた。

 けれどしっかりと抱きかかえてくれる大きな手は頼もしく温かくて、あんなに強く覚えた緊張感は次第に消えていった。

(近づきがたいお方だと思ってたけど……そうでもないのかも……)

 そんなことを思っているうちにリュディガーは裏口から城内に入り、モニカを部屋の前まで送り届けてくれた。

「今、侍女を呼ぶ。そこで待ってるといい」

 モニカを腕から降ろし扉の前でそう言うと、彼は踵を返してさっさと行ってしまう。どうやら部屋にまで入るのは遠慮しているようだ。

 どんどん廊下の奥へ遠ざかっていくリュディガーの姿を見てハッとしたモニカは、慌ててその背に呼びかける。

「あっ、あの……! ありがとうございました、リュディガー殿下!」

 内気な彼女にとっては、頑張って出した大声だった。

 けれど彼は振り向きもしなければ足も止めなかったので、勇気を出したモニカの礼は届いたかどうかわからない。


 翌日。モニカは城の厨房を借りて菓子作りに励んでいた。

 ひねった足は軽いねんざで、しばらくは外を歩いたりエラやニクラスと遊んだりはできそうにないが、オーブンと調理台の間を行き来するぐらいなら大丈夫そうだ。

 エルヴィンやニクラスが喜んでくれるので、ここに来てからはほぼ毎日お茶菓子を作っていたが、今日はラズベリージャムを使った甘いクッキーの他に、カッテージチーズを挟んだビスケットも焼いている。

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