婚前同居~イジワル御曹司とひとつ屋根の下~

水守恵蓮

婚約の条件はお試し同居 (1)




婚前同居~イジワル御曹司とひとつ屋根の下~


婚約の条件はお試し同居


 十月下旬の日曜日、大安吉日。

 本日はお日柄もよく――。

 見上げた空は高く空気は澄み切っていて、秋らしいカラッとした晴天に恵まれた。そろそろ晩秋を迎える季節だけど、頬にそよぐ風はほんのり暖かく、とても優しい。

 気候のいいこの季節は、絶好のウェディングシーズン。都内有数の高級ホテルのロビーは、結婚式の招待客で溢れ返っている。

 宿泊棟から外に続く石畳の先に建つチャペルでは、さっき見た時とは違う花嫁さんがドレスのヴェールをはためかせていた。クラシカルな造りのチャペルの向こうには、とうきょうわんが広がっている。

 海の青と花嫁さんの白。そして、爽やかな秋晴れの空のコントラストが、なんとも言えず絶妙。

 いいなあ。やっぱり私も結婚式はドレスがいいなあ……なんてれながら、私は自分が身につけている服を見下ろした。

 花嫁さんの白ではないけど、これでも一応、おめでたい席を華やかに彩るあでやかな紅色、辻が花模様の豪華な着物姿だ。

 実を言うと……かく言う私も、結婚式をゴール地点に据えた第一段階の真っただ中にいる。

 今日、私、こまほのは、この先続く幸せな人生の、記念すべき第一日目をスタートさせたところ。いや、まだ、スタートラインに立っただけ……かな?

 着物のおかげで歩幅が狭く、さっきから私はちょっと小走り気味。前を行く彼に遅れないようについていくのが精いっぱい。着物スタイルに合わせてアレンジした、肩上レングスのミディアムボブの髪がふわふわと揺れている。

 自分でも思う。今の私、遠目だと、赤いペンギンのようにしか見えないだろう。いや、近くで見てもいいところ七五三かもしれない。

 なにせ私は、まん丸の目ばかりが目立つ丸顔で、幼い時から全然変化のない童顔。高校生の時、制服を着ていても小学生と間違われた黒歴史がある。

 履き慣れない下駄のせいでひょこひょこと歩きながら、私はそっと目線を上げた。少し息を弾ませ、私の二歩前を歩く、黒いスーツの彼を見つめる。

 身長百五十七センチの私より、優に二十センチは高い背丈。スラッと細身なのに、広い肩。ちょっと猫っ毛っぽい焦げ茶色の髪が、秋の爽やかな風に揺れている。

 ホテルのラウンジでお互いの家族と並んで座り、それっぽい歓談を終えた後。『あとは若いおふたりで』なんてじょうとうに送られて、現在私たちは手入れの行き届いた美しい庭園を散歩中。

 とはいえ……。さっきから一度も振り返らない広い男らしい背中は、まるで私の前にそびえ立つ壁のようだ。きっと、私がついて歩いているのもすっかり忘れているんだろう。歩幅の違いは気遣ってくれない。でも、そんな後ろ姿にすら惚れ惚れして、ポーッと見惚れていた時。

「……っつーか、マジか。なんだこの途方もない敗北感は……」

 ラウンジで顔を見合わせた途端、切れ長の涼しげな目を見開き絶句して、それからひと言も発せずにいたはるいつきさんが、ここにきてやっと口を開いた。

 小さくボソボソとかすれた声は、空気に溶け込んでしまいそう。それをなんとか聞き取ろうとして、急いで隣に駆け寄る。

「俺、悪夢でも見てんのか? なんで俺が生駒と? 見合いだ? 結婚だ? なんの冗談だよ、いったい……」

 彼の少し低いテノールの声は、私の耳にはとても甘く心地よく響く。大好きなその声をやっと聞くことができた!と喜びはしても、繰り出される言葉はなんだか夢遊病者のうわ言みたいだった。

 さっきから周りの会話の流れについていけず、ひとりでボーッと……というよりたましいが抜けたように呆けていた樹さん。もしかして、今自分がここでなにをしてるのかも、理解できていないんじゃないかと心配だった。

 でも、どうやらそこまでの心配は必要なかったらしい。

「樹さん。どうぞ、末永くよろしくお願いします」

 彼のうわ言を遮るように、横に並んで見上げながら立ち止まる。私につられて足を止めた彼に、私は深々と頭を下げた。

 再び頭を上げ、いつも笑って見えると言われる、目尻が下がり気味の顔で、さらにニッコリと微笑む。なのに。

「断る」

 短く即答された。

「えっ……。樹さん、そんなわがまま、困ります」

 あまりに無情なひと言に焦って声をあげると、樹さんはようやく魂が戻ってきたかのように全身に生気をみなぎらせ、くわっとまなじりを裂いた。

「我儘!? 俺が!? なんで! 当然だろ!!

 血走った目で私をすくめ、すごい力で両肩を掴んできた。そのまま私を勢いよく揺さぶり始める。

「おい。その腹立たしいくらい平然としたツラはなんだよ。なんだその余裕な勝ち誇った顔……って、生駒、お前は知ってたのか!?

「う」

 ゆっさゆっさと乱暴に揺さぶられ、首がガクガクと前後に動く。このまま頭が取れてしまうんじゃないかと思うくらいの力に、私は小さなうめき声を漏らした。

「……だなっ!? おい。いったいなんの恨みがあって、俺の親とつるんでまで、こんな大がかりな嫌がらせを……」

「い、嫌がらせだなんて、そんな。滅相もない!!

 目を白黒させながら、私は樹さんに反論した。彼の手もピタリと止まる。

「私も、父から結婚を言いつけられただけです。つるんでもいないし、もちろん恨みなんか……」

 ちょっとムキになって頬を膨らませると、樹さんは、穴が空くんじゃないかと思うほど、私をジッと見つめてくる。その端正で綺麗な顔は、険しく歪んでいてもとても絵になる。樹さんのうるわしい顔がグッと近付くのにドキッとして、私は思わずポッと頬を赤らめた。

「あの……あんまり見つめないでください。照れくさいです……」

「寝言は寝て言え。それより、おい。なんだ今の、父親から言いつけられたって」

 私の言葉をサクッと遮った樹さんは、質問を畳みかけるうちに、鋭くそこに行き当たったようだ。

「まさか……」

 樹さんがハッとしたように目を見開く。この至近距離で、彼の茶色い瞳に私が大きく映り込んでいる。そんな小さなことでも、私の胸は幸せでいっぱいになる。

 一瞬見入ってしまいそうになりながらも、とにかく聞かれたことに答えようとして、私は何度も大きく頷いてみせた。

「今年の四月、業務提携目的で実現したはるかいうんこまカンパニーの合併は、私と樹さんの結婚が合意条件のひとつだったそうなんです」

「なっ……」

 私の説明を聞いて、樹さんは短く息をのんだ。

「樹さんは突然結婚って言っても怒るだろうから、もう少し経ったら折を見て〝婚約者〟って紹介するって」

「え?」

「私、おじ様……いえ、社長からそう言われてて。あの……本当に、今までなんにも聞いてなかったですか?」

 肩を掴まれ、ドキドキしながら言い終えた私に、樹さんは再び烈火のごとく怒り出した。

「やっぱつるんでんじゃねえか! 全っ然聞いてねえよ! あ、お前が今年うちにコネ入社して、俺と同じ海上政策部に配属されたのも、うちの親父の差し金なのか!?

「い、いえっ! それはどっちかっていうと私の方が父に頼んで……」

「なんで!」

「だってっ……」

 会話の応酬を続けるうちに、樹さんの顔が再び近付いてくる。思わずゴクッと唾を飲み込む私に、樹さんはピクリと眉尻を上げた。キュッと引き結んだその薄い唇を、私はジーッと見つめて。

「言われた通り、正式にご紹介いただくのは待ちました。でも私、少しでも早くお会いしたかったんです。だって……この先一生連れ添う旦那様ですから……」

 頬を赤らめ恥らいながら呟くと、樹さんは私の目の前でがっくりとこうべを垂れた。

「一生って……。生駒、お前なんでそんな従順に受け入れてんだよ? こんなのただの政略結婚じゃないか。俺より先に知ってたって言っても、お前の方だって勝手に決められたんだろ? なのに……」

 打ちひしがれたように声を消え入らせる樹さんの頭のてっぺんを見つめながら、私は小さく首を横に振った。

 勝手に決められたのは確かだけど、私はこの結婚に異論などない。

「いいえ。樹さん」

 だから、そう返事をしようとして――。

「私は……」

「ってことはなんだ? ……つまり、お前も出会ってからこの半年、俺を騙して楽しんでたってことか」

「えっ?」

 まるで地の底を這うような低い声。予想外の言葉で遮られ、私はギョッと目を剥いた。

 顔を上げた樹さんが、私をギロッと睨みつけてくる。その半端じゃない目力に、さすがに私も竦み上がり、肩を強張らせて全身を硬直させた。

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