数学女子が転生したら、次期公爵に愛され過ぎてピンチです!

葛餅

第一章 マグノリア公爵家に拾われる (3)

 紳士は私に安心させるように笑いかけ、レオンに意味ありげな視線を送った。レオンは明後日あさっての方向を向いた。

 紳士が私に近づいてきて、目線を合わせるように屈むと、優しく頭をでた。

「ここに、いても、いい……?」

「ようこそ、マグノリア公爵邸へ。マリア」

 驚くほどトントン拍子に事が進む。目が覚めてから不安と混乱だらけだった私がようやくほっとした瞬間だった。

「ありがとう、こうしゃく、さま」

 アンさんがそう呼んでいたので真似をした。すると公爵様がデレっと笑みを崩し、頭をわしゃわしゃと撫でられた。

「うわ〜やっぱり女の子は可愛いなぁ〜可愛いなぁ〜」

「父上、やめて頂けませんか」

 レオンが私のすぐ傍に来て、暴走しそうになった公爵様を止める。そして私の右手を引いて、扉へUターン。

「えっ、あ、あの」

「今日は僕の部屋でもいいでしょう? 部屋のことや学校のことは、よろしくお願いします」

 公爵様はあっけにとられたようで、レオノア様はニヤニヤと笑っていた。

「そうね、後のことはこちらで決めておくわ。今日はあなたに任せますよ、レオン」

「はい、母上」

 私はレオンに手を引かれながら、後ろを振り向いてぺこりと頭を下げた。アンさんが笑いながら手を振ってくれていた。


 黙々と歩いていくレオンについていく。そこでふと、公爵様の息子ということはレオンも偉い人なのでは……とようやく考える。思えば他の人達のレオンに対する態度も違っていた。

「レオン……さま?」

 レオンが急に立ち止まった。私を振り向いて、手を繫いでいない方の手も握られる。両手にぎゅっと力を込め、私と目線を合わせた。

「僕のことはレオンって呼んで」

「え、でも」

「お願い。……それに、僕は」

 レオンの顔が陰り、その先の言葉を言い淀んだので、私は焦った。

「わ、分かった! レオンって呼ぶ」

 私はレオンの手をぎゅっと握り返した。レオンは「うん」と頷く。先程の暗い表情は霧散した。

「疲れてるなら休む? それとも屋敷を案内しようか。これから住む場所には早く慣れたほうがいいよね」

 疲れてはいなかったため、屋敷を案内してもらうことにした。まず、玄関ホール。そこから続く、お客様をもてなす広間や応接室、そして大広間。東側にはキッチンや食堂室に居間、そして図書室まで。西側にはこの屋敷に仕えている人達の部屋と専用の浴室、洗濯室や厨房があるそうだ。

 一階だけでもとても広かった。一度ではとても覚えられそうにない。中でも無数の本に囲まれた図書室は見事で、個人宅の持ち物とは思えないほど大きく立派だった。ずらりと並んだ本を目にした時、果たして字は読めるのだろうかと不安になった。レオンや皆と話していることさえ違和感を覚えていたのだ。言葉がしっくりこない感じで、気持ちが悪い。

 いや、言葉だけじゃない。自分の体を動かすことすらどこか不思議な感覚だった。


 続いて二階を案内された。二階の東側は、書斎や公爵様とエレノア様の寝室、執務室、レオンの個室や浴室等があった。西側には他の個室やサンルームがある。

 足を踏み入れてすぐ、私はこのサンルームが気に入った。

「気に入ってくれた?」

「うん、とても! なんだかすごく好き」

「夜、月がよく見えるんだよ」

 レオンはそう言って、広々としたバルコニーに繫がる扉を開けた。おいで、と手招きされる。この部屋の天井は高く、サンルームとあって上部のガラス窓は外へせりだしている。ここから見る月はさぞきれいなのだろう。

 そんな想像をしながら、レオンのいるバルコニーへ出た。視界いっぱいに青空が広がり、爽やかな風が髪を揺らす。

 バルコニーの手すりは高く、背伸びをするとようやく頭が出るくらいだった。そこから見えるのは、美しい緑の庭園だ。真ん中に噴水があり、そこから左右対称に幾何学模様を成している。模様を成す緑の間はラベンダーで埋められていた。

「すごい」

「屋敷の正面だからね。裏には園やハーブ園もあるよ。今度一緒に行こう。庭師のダンも紹介する」

「うん」

「マリア」

 レオンの声が急に真剣味を帯びたので、私は彼に向き直った。握手をするように右手を取られ、レオンはこう言った。

「きみは、多分今も混乱していると思う。よく分からないまま我が家に連れてこられ、名前も与えられて、もしかしたら僕の気まぐれに巻き込まれたと思ってるのかもしれない」

 否定することも肯定することも出来ず、私は少しだけ首を傾げてレオンの言葉の続きを待った。

「でもね、これだけは覚えてて欲しい。僕がきみの手を引いて家に連れてきたのは、気まぐれでもなんでもなくて、そうしなくちゃいけないと思ったんだ。僕は、きみを、待っていた。自分でもよく分からないけど……そう思えるんだ」

「私を待っていた?」

「そう。きみと、初めて目が合った時、そう思った」

「そう……」

 レオンはじっと私の言葉を待っていた。正直、レオンの言うことはよく分からなかったが、何故だか私のことを大事にしてくれるのだという意思は感じた。それで十分だった。

「レオンの言っていることが、多分ちゃんとは分かってないけれど、気持ちは分かったと思う。ありがとう」

「うん、今はそれでいいや」

 レオンがほっとした笑みを浮かべたのを見て、私もほっとした。


 サンルームを出てから、手を繫いでレオンの部屋へと向かった。

 レオンの部屋は広く、床は重厚な板張りだった。備え付けの大きな書棚と、日が差し込む窓側に大きい机がある。部屋の半分にはじゅうたんが敷かれ、大人が三人は眠れそうな大きなベッドが鎮座している。

「ここが僕の部屋だよ」

「すごく広いね」

「うん。僕が大人になっていくにつれて、色々と物が増えていくからだって」

 レオンは私を日当たりの良い絨毯の上へ連れていった。

「絨毯の上に乗る時は靴を脱いでね」

「へええ」

「あっこれ僕の部屋でだけのルールだから。よそではやっちゃ駄目だよ」

「覚えておく」

 靴を脱いだ足に柔らかな絨毯の感触が伝わる。

「気持ちいいね」

「でしょ。ちょっと座ってて」

 レオンはそう言うと、書棚から一つの本を持ってきた。大きめの本で表紙には色々なものの絵が描いてある。ページをめくると、果物や動物の絵が描かれた下に、黒い模様のような線がある。多分これは……。

「字、読めそう?」

 私はふるふると首を振った。見たことがあるという覚えすらなかった。

 字が読めないのだと痛感した。

 とりあえず言葉を喋ることも聞き取ることも出来るが、その全てがフィルターを通しているようでおぼろげだ。体の動きもぎくしゃくしている感じがする。

 私は一体どうなっているのだろう──考えれば考えるほど不安になり、暗闇に落ちそうだった心を、レオンの声が引き戻した。

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