屍鬼祓師 夢見る卵

粟生慧

第1章 (3)

 陽仁の言葉に晶良が苦笑った。とりあえずは先ほど晶良が気がきれいだと言った商店街の上を目指し、歩いていく。途中、道のあちこちにカイコ祭りと書かれたのぼりが立っていた。真新しいものから、色せたものまで様々だが、かなりの数だ。

「カイコ祭りってなんでしょう。見に行ってみませんか?」

「そうだな、逸見に会うくらいしかこの後予定もないし……。観光してみるのもいいかもしれない。それにしても、この幟、どこまで続いてるんだろうな……」

 長旅で疲れていたが、この目新しい名の祭りに興味を覚え、二人は幟を追って商店街の坂を上っていった。

「下の方にも何か文字が書いてあるな」

 鮮やかな紅い幟には白ぬきでカイコ祭りとあり、その下に小さく文字が印字してある。

「矢沢町商店街組合、矢沢町振興会、そう寺……。扶桑寺っていうところが関係してるんでしょうか?」

 晶良が言った。

「まぁ、祭りといえば、寺か神社がメインじゃないか?」

 商店街を抜けると、とたんに道が細くなった。軽自動車がやっと通るほどの細い緩やかな坂道を、陽仁が先頭になって歩いていく。陽仁のトランクを転がす音がガラガラとうるさい。その後ろをてくてくと晶良がついてくる。

「ふぅ」

 晶良が軽くため息をついた。革製の大きな旅行鞄を反対の手に持ちかえながら、赤くなってしまった手のひらを握ったり閉じたりしている。鞄の重さにやや苦労しているようだ。

「貸せよ、鞄。俺が持ってやるから」

「いいです、自分で持てますから」

 晶良が差し出された陽仁の手から旅行鞄を遠ざけた。

「だから、車輪のついた鞄に入れてこいって言ったんだよ」

 強がる晶良を見て、陽仁は呆れた。

「でも皮革の鞄が好きなんですよ、陽仁さんが使ってるみたいなのは、なんだか気に入らなくって」

 晶良はアンティークなものが好きだ。旅行鞄もやたらでかくて持ち歩くには不向きな形態をしている。にもかかわらず、今回これを使うと言ってきかなかった。とにかく頑固なのだ。

 おまけに晶良は、金銭感覚に疎く、常識に欠けるところがあった。あまりにも突拍子のない行動と口ぶりのせいで、つい年上だということを忘れため口を叩いている。

 いまも道を歩きながら、東京では珍しいひなびた家屋のたたずまいや、ぽつぽつと町なかに点在する水田を眺めては吞気な感想を漏らしている。

 晩春の陽気は心地よく、二人が周囲の様子を観察しながら、のんびりと幟を伝って歩いていくと、やがて道の先に寺の門が見え始めた。バス停から一直線だったことを考えると、商店街と思っていたものは門前町なのかもしれない。寺は背後に小高い山を控え、鬱蒼とした山のふもとに建てられていた。後方の町並みを挟み、下方に製糸工場の灰色の姿を望むことができる。距離でいえば、目算二キロといったところだろう。比較物となるものが皆無のため、非常に近くに見える。

「工場からも遠いし、環境がいいですね。それに、邪念もなくてきれいです」

 門をくぐり境内に入る。祭りの期間だというが、閑散としている。

「誰もいないな……」

 寺自体は綺麗に掃除が行き届き、さびれた感じはない。扶桑寺の名のとおり、寺のあちこちに桑の木が植えられている。

「あれは花でしょうか」

 晶良が木を指差した。

「となりの木のとは形が違うぞ? 花じゃないんじゃないのか?」

 桑の特徴的な幅広の緑の葉のあいだから、長い黄色の房のようなものが垂れ下がっている。

 晶良が指差す木のほうは短い房がたくさん葉影から見える。

「花ですよ。ただし、雄株と雌株に分かれているんです。四月から五月の間に実がり、六月くらいに完全に熟します」

 不意に背後から女の声がした。声のする方を振り向くと、そこには、髪を肩の上で切り揃えた、墨色の僧服姿の若い女性が立っていた。

「こんにちは。もう夕方だから、こんばんはかしら? 扶桑寺の庵主、けいしんです。この辺りをご旅行の方ですか?」

 涼やかな美貌の尼僧は、まだ幼い頰にえくぼを浮かべ、にっこりと微笑んだ。庵主というが、どう見てもまだ十代である。陽仁は訝しげに慶信を見つめた。慶信もその視線に気付き、陽仁を見返す。

「若いと思って驚かれてるんでしょう? しきたりなんです。カイコ祭りの間だけ、祭りの乙女がお師様──ここの住職に代わって庵主を務めるんです」

「本当にお若いですね。失礼ですが、おいくつなんですか?」

 晶良が訊ねた。

「十六になったばかりです。得度したのも最近なんです。あなたも私と同じくらい? ご兄弟で観光でいらしたんですか?」

 慶信が勘違いをして聞いてきた。晶良もさすがにバツが悪そうな顔をして、訂正する。

「残念ながら、そこまで若くないんです。これでも二十八になるんですよ。あまり年相応じゃなくて」

「え……、ごめんなさい!」

 慶信が驚きの目で晶良を見つめていたが、さすがに失礼だと気付いたか、目を反らし、桑の木に視線を移した。

「あ、あの、それじゃあ、カイコ祭りの観光でいらしたんですか?」

 慶信のあまりの動揺ぶりに、晶良もおかしかったのか笑いをこらえながら、答えた。

「いいえ、仕事でこの町にきたんです。カイコ祭りはたまたま」

「まぁ、お仕事ですか」

「あの、ところでカイコ祭りってどんな祭りなんですか」

 放っておくと延々にのんびりと続きそうな二人の会話に割って入り、陽仁は質問した。

「そうですね……。例年はミスコンテストで乙女を選んで、乙女をのせた御輿を担いで町を練り歩いたり、出店が並んだりしますよ。今年は二百年の一度の大祭に当たるので、当山の即身仏の御開帳もおこなっています」

「即身仏? 東北とか寒い地域じゃないのに?」

 陽仁は珍しいと思い、聞き返した。

「うちの寺は仏像ではなくて、即身仏が御本尊なんです。いつもはの中で安置されてますが、今年は二百年ぶりに御開帳が許されたんですよ。だから、お祭りが当日になって急に中止になってとても残念な気持ちなんです」

「中止……。それはなぜ?」

 晶良が同情するように呟いて、慶信に訊ねた。

「さぁ? 詳しいことは私にも……」

 慶信が首をかしげ、桑の木を眺めた。晶良もつられて桑の木を見上げる。

「カイコ祭りは本当ならもっと人で賑わうんですか?」

「ええ。商店街が人でごった返すほどです。こういう時にしかこの町は観光客が集まらないというのに……。せっかくの即身仏も拝顔していただけずさびしいものですね。せっかくですから、ご覧になられませんか?」

「ええ、ぜひ」

 二人は慶信に案内され、本堂に上がった。西日に陰り始めた本堂は飴色に沈み、ひんやりと涼しい。

 本堂の内陣に小ぶりの木彫りでできた阿弥陀如来が安置されている。阿弥陀如来よりもさらに小さな観音菩薩が、その反対側に静かな笑みをたたえて佇んでいた。豪奢なものではなくあくまで質素で素朴な仏像だった。暗いせいでよく分からないが、二体とも中央から離れた場所に配置されている。

 晶良が興味深げに本堂内を見回していった。

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