屍鬼祓師 夢見る卵

粟生慧

プロローグ / 第1章 (1)

プロローグ


 眠たくて眠たくて仕方がない。朝も昼も夜も。食べる間も惜しんで寝ていたい。

 眠りの合間にやってくる、幸せな夢見たさに横になる。

 真珠のような白いきらめき、不透明な虹色。夢の情景は形容しがたく、内容はあいまいとしているが、説明できない充足感が全身に満ちていく。

 ちらちらとした銀色の光が膨らみ少女を包む。銀色の糸がその光から生まれてふんわりと少女の上に降り積もる。

 少女は眠る。なにかがやってくる予感に震えながら、待ちわびながら──。



、いい加減起きて飯を食えよ。おまえが食べられないハムとか卵とか入ってないサンドイッチ作ったから」

 昼でもぴっちりとカーテンが閉じられた暗い部屋に、いつかずなりは立っていた。

「それともまたアレルギーが出たのか?」

 ベッドには妹の絵梨が布団にくるまっている。

「いま……、いらない……。アレルギー、じゃないよ……」

「でももう三日は食べてないじゃないか? なにか食べないと体に悪いぞ」

「うーん、分かったから……。寝かせといてよ……」

 眠っているだけならなんの心配もない。仲のいい友人が尼になってしまって以来、絵梨の不登校は目立ったが、数日前からは眠たいと言って完全に高校に登校しなくなった。

「もうじいさんもばあさんもいないんだ。甘えてないで、ちゃんと食べてくれよ?」

 重度のアレルギーをもつ妹のために、この町に引っ越してきたのが三年前。アレルギーに効果のある桑の葉があると聞きつけ、市内から体の弱い祖父母を連れて移ってきたのだ。強引な引っ越しがたたったのか、高齢の祖父母は立て続けに死んでしまった。遺産くらい残してくれていてもよかったのに、葬式を出したら金は一銭もなくなった。わがままで金のかかる妹の世話をするために、逸見はこれまで散々苦労してきた。それでも、たった一人の肉親であり、幼い頃から可愛がってきた妹の体が心配だった。

 絵梨は心配して付き添おうとする逸見を邪険に扱った。特にこの三日、それがひどい。

「食べたくないの、眠たいだけ……」

 やっと落ち着いてきたと思っていたアレルギーがぶり返したのか……。それにしては発疹も熱もないようだった。いま、この町では奇妙な病気が流行っているが、絵梨に限ってそんなことはない。ただ、眠たがっているだけだ。その証拠に体になんの変化もない。妹のことならなんだって知っている。ちまたで聞く兆候など、どこを探してもなかった。少なくとも、数日前までは──。

「わがまま言うな、なんか食べてくれ……。三日間、風呂だって入ってないだろ」

 心配しすぎだろうか。絵梨に言われるまま、放置したほうがいいのだろうか。しかし、絵梨のかわいい顔が見たい。傍にいたい。

「風呂までおぶっていってやろうか?」

「うる、さいなァ……」

 絵梨はやたらと眠たがるばかりだ。なんと言えば、起きてくれるのだろう。

「いい加減、起きてくれよ……。それとも、なにか欲しいものがあるのか? 兄ちゃんが買ってやるぞ」

 そう話しかけながら、逸見は締め切ったカーテンを開けて、部屋を明るくしようとした。

 その瞬間、鋭い声が飛ぶ。

「あけ、ないで!」

 カーテンを開きかけた手を止め、妹を見た。絵梨は眠っている。なんとなく怖くなって、逸見は妹の部屋を後にした。

第1章


、助けてくれ」

 はるの中学時代の友人から、そんなせっぱつまった電話が入ったのは桜も散り終えた四月下旬のことだった。

「助けてくれと言われても……」

「同じ中学だったよしみだ、頼む」

 陽仁は頼むと言われるとどうしても断れない。

「どうしたんだ」

「窃盗の疑いでこうりゅうされてる。無実なんだよ。保釈されたら金は返すから」

「窃盗? それでなんで金がいるんだ」

「弁護士を雇うんだよ。いま金がないんだ。頼む」

「金は? どうやって渡したらいい?」

「こっちに来れないか? すまない。旅費も含めて出世払いするから」

「どこ?」

 金を貸す約束をし、居場所を聞くと、陽仁は電話を切った。

「誰からです?」

 陽仁の背後から声がかかる。

「中学の時の同級生。途中で転校していった奴だから、ほんと短い付き合いなんだけどな。逸見っていって、いまはフリーのルポライターをしてるらしい。記者と名乗ったほうが箔が付くから、とか笑ってたな……。言いたかないが、昔から手くせの悪い奴で……。よく万引きとかしてたよ。思春期だけの不良って奴だったのかもしれないけど」

「逸見さんはライターなんですか?」

 暖かい午後の日差しを遮るブラインドの隙間から、一筋の光が差し込んでいる。その光は室内に置かれた布張りのソファにかかっている。その汚れた色合いのソファに腰かけた青年が、頰杖をついて陽仁を見つめていた。青年というには若く、かつ美しい。はくせきの青年が陽仁に不審そうな顔を向けている。

「そうじゃないか? あまり詳しく聞かなかった……」

 陽仁は自信なさげに言う。

「ちゃんと聞けばよかったのに」

 青年の口調はとがめる色を含んでいるが、表情は穏やかだ。色白の陶器めいた肌、長めの茶髪、光に透けると枯葉色に見える色素の薄い瞳。体はきゃしゃで細く、一見、十代後半にしか見えない。

 陽仁はデスクに腰を乗せたまま、美しい青年を振り返った。彼と比べ、自分は意思が強そうと言われる濃い眉に垂れ目と、イケメンとは言い難い顔だちだ。どちらかというと、あいきょうがある。体も鍛えられ、胸板も厚い。目の前の青年よりはるかに頼もしく、年上に見られる。そんな陽仁には現在、妹の陽向ひなたとともに青年──あきのマンションにやっかいになっている居候兼マネージャーだ。

「……で、そのよく知らない同級生にお金を貸すんですか」

 青年の声になんとなくとげがある。

「まぁ、そう言うな、晶良。困った時はお互い様だろ?」

 宥めるように言えば、晶良がふっと笑みに顔を緩める。

「ま、陽仁さんのそういうところ、嫌いじゃないですけどね」

 晶良の屈託ない微笑みに、陽仁は苦笑いを浮かべる。友人といえる人間がいない晶良のことを知っている陽仁からしてみれば、晶良の人懐こさはなんだかくすぐったいものがある。

 時刻はすでに午後三時を回っている。午後のお茶のために、陽仁は見せ棚からフォションの缶を取り出した。

「晶良、紅茶でも飲むか? 淹れるよ?」

「はい、ちょうどのどが渇いてました。ダージリンをください」

 陽仁は事務室の壁の棚からTUSCAN社製のティーセットを取りだした。慣れた手つきでポットに春摘みダージリン茶葉を入れる。

「チョコレートとクッキーも食べようかな」

 晶良が立ち上がり、陽仁の横から腕を伸ばして棚に置いてある菓子箱を取ろうとした。

「その歳でチョコとか恥ずかしくないのか」

 そう言いつつ、陽仁が脇から取ってやろうとすると、晶良が不満げな呟きを漏らした。

「大丈夫です! 陽仁さんほどじゃなくても背は高い方ですから。このくらいの棚、手が届きます。それに、チョコレートは史上最高の食べ物ですよ!」

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