丑之刻子、参ります。

黒史郎

 序  其の陰で鬼女が呵呵呵と笑ろうとる




みょうちょうらい大明神」

 振り上げたつちくうを切る。

 乱れて踊る黒髪は、漆黒の夜に溶けかすむ。

「願わくは我を生きながら鬼神と成し給へ」

 振り下ろした槌はコンと鳴く。

 音は痛みのさけびとなり、こうもりの如く闇を飛び交う。

「憎らしヤァ」

 振り上げた槌がごうと鳴る。

「恨めしヤァ」

 振り下ろした槌はコンと鳴く。

「我は、おおこしきせいろうを」

 槌を振り上げ、ヒョオと夜気を吸う。

 後に発するひと言に、黒い呪念を滴るほどに塗りこめる。

 頭の三本ろうそくボウと吠え、森の中で夜烏が騒ぐ。

「──トリ殺サン!」

 九十九本目の釘がコンと鳴き。

 藁人形は痛みもがいて身を震わせた。



 副都心にある某企業ビル。

 ある日の早朝、社内で藁人形が発見された。

 場所は社長室。

 黒く物々しい机の真ん中に、黒い五寸釘ではりつけにされていた。

 藁人形の胴には半紙が巻かれ、【大怨 大甑誠次朗】と筆で書かれている。発見したのは大甑誠次朗本人だった。

 若き社長は混乱していた。

 何者かが侵入したことは間違いなかった。

 ところが社長室のドアは施錠されており、ドア付近を映すカメラには、扉を開けて侵入した人物の姿は映っていない。

 社長室は九階。窓から入ることは不可能。その窓も内側から施錠されていた。

 藁人形の打ち込まれた机はカメラの死角になっていたが、六台のカメラの目をい潜らねば辿り着くことのできない死角。つまり、施錠後の社長室へは誰も入っていない。

 これをたちの悪い悪戯いたずらとして笑い飛ばすことができなかったのも、大甑誠次朗本人であった。

 彼には人から恨まれるだけの理由があった。ありすぎた。

 先代社長の長男というだけで最高責任者の椅子にどっかり座った彼は、着任一年で愚物の頭角をめきめきと現し、会社の私物化、社益と称して大幅なリストラ、不当解雇、理由なき減給とボーナスカット、大胆な着服、口封じ、パワハラ、セクハラと──。

 彼に付けられた異名のあおひげは、シャルル・ペローの童話に登場する同名の人物からとられたもので、その名に恥じぬ暴君っぷりだった。

「貴様か! 貴様がやったのか!」

 秘書の胸ぐらを摑んで問い詰める。

 社長室の鍵を預かっていたのは彼だった。この部屋の扉を開けられるのは自分以外では彼しか存在しない。

「私ではありません! 信じてください、社長!」

「親父が可愛がってたから側に置いてやっていたのに、恩を仇で返されるとは思わなかったぞ」

「仇なんて……私はずっと社長に尽くしてきたはずです!」

 どんなひどい命令にも決して逆らわず、従い、背負い、かぶり、目をつぶり、時には彼の罪を揉み消すこともあった。社員たちからは〝犬〟と呼ばれ、それでも先代から受けた恩を少しでも返そうと目の前の男に尽くしてきた。

 もちろん、憎しみはあった。

 先代の頃から身を捧げてきた会社を、たったの一年でいなごの大群のように好き放題に食い荒らし、ともに会社のために身を削って尽くしてきた同志たちを自分の都合や気分任せで解雇していく。そんな新社長のことを心の底から憎み、心の底から許せなかった。

 だからといって、こんな悪ふざけをするほど馬鹿ではない。恨みはあれど、こんな迷信めいた悪戯をするほど秘書は愚かな人間ではなかった。彼は無実だった。だから必死に弁明した。

「社長、どうか信じてください! 私はこんな子供じみた真似はいたしません! 私は先代から、あなたのことを頼まれていたのです。それを裏切るような真似など……このかみひでつぐ、天命に誓っていたしません!」

「鍵はお前と俺しか持っていないんだ!」

「ですが、私では不可能です! 警備会社も監視カメラには誰も映っていなかったと……」

 聞く耳など持つ人間ではなかった。

 一年間、自分に心から尽くしてくれた秘書への感謝の気持ちなど、彼の中には微塵もなかった。誰よりも可愛がってやったのに自分を裏切った恩知らずだと罵った。

 大甑は、その場で秘書に解雇クビを告げた。

 疑心暗鬼にかられた大甑は幹部全員を呼び出し、藁人形を机に打った者を探し出して自分の前に連れて来いと命じた。探せなければ全員クビだ、と告げて。



 地下駐車場ではお抱えの運転手が、車の後部ドアを開けて待っていた。

 肩を怒らせ、がつがつと靴音を鳴らし、駐車場へと姿を現した大甑は後部座席に乗り込むと、愛人宅のマンションを行き先に告げ、葉巻をくわえた。

 ドアが静かに閉まり、車はゆっくりと動き出す。

 大甑は思いついたようにポンと平手に拳を置いた。

 ──明日からはボディガードをつけよう。強そうで無口な外国人を二、三人。それから幹部どもには本格的に不穏分子狩りをさせるか。

 呪いなど信じてはいなかった。

 信じてはいなかったが、あの小さな藁人形が自分の失脚劇を引き起こす起因にもなりかねないとは考えていた。

 自分の存在に不満を持つ人間が内部にいることは確実だ。

 どんな手を使ったかは知らないが、危険を顧みずに監視カメラのついた社長室へ侵入し、机にあれを打ち付けたのだ。相当の覚悟と勇気を振り絞ったに違いない。だからこそ【大怨】の文字が、ただの脅しではないとわかり、恐ろしかった。

 ふと車窓へ目を遣った誠次朗は、そこで初めて気付く。

 いつもの道ではない。

 車は愛人宅へ向かう道とは違う道を走っていた。

「おい、どこに向かって──」

 誠次朗は言葉を止め、咥えた葉巻を落とした。

 ミラーに映っている運転手の顔に、【大怨】と書かれた白い布が巻き付いている。

「だ、誰だ!」

 運転手はなんの反応もせず、静かにハンドルを右に切る。

 車窓には見覚えのない景色が流れていた。

 斜めに傾いだ木造の民家。灰色の煙を煙突から排出はきだす錆びた色の工場。トタンで作られたバラック。

 さっきまでは快晴だったはずが、一天にわかにかき曇り、大粒の雨が車を叩き、窓に映る景色は溶けて崩れた。

「俺を、俺をどこへ連れて行く気だ! 止めろ、車を止めろ!」

 誠次朗は後ろから手を伸ばし、運転手の首に摑みかかった。

 その手にザラリという感触があった。

 運転手の首は藁束でできていた。

 運転席でハンドルを握っているのは、等身大の藁人形だった。

 車は激しく蛇行し、タイヤが甲高い悲鳴を上げる。

 縁石に乗り上げ、ガードレールで塗装をこそぎ取り、対向車線へ入り込んだ車は、そのまま正面から来た大型トラックに衝突した。

 スーツ姿の者たちでにぎわう昼時のオフィス街。

 その、ど真ん中で起こった事故だった。

 二台の車は爆発、炎上。そうなる前に辛うじて双方の車に乗っていた者が車外へ飛び出したが、そこに大甑の姿はなかった。

 現場を見守る人の群れ。

 一人、現場に背を向け、そこから去る女がいた。

 黒尽くめの女は、誰にも聞き取れぬ声で呟いた。

にんじゅ、完了」


 これが、わたしの母。

 うしいつの仕事だった。

「丑之刻子、参ります。」を読んでいる人はこの作品も読んでいます