翳りの城

三吉眞一郎

序の章


 序の章





 げん二年(一五七一)一月 えんしゆうてんりゆうきよう


「この城は……」

 うめくような声が、の奥から漏れた。ほりしゆぜんそうぼうを落とすと、両腕を組んだまま、動くことすらできなかった。言葉がうしなわれたまま、沈黙のときが流れる。

 やがて、絞り出すような暗い声が続いた。

「人を喰らうか……」


 元亀二年一月、遠州あききようこくは未だ深い雪に埋もれている。南西側からみなみしな駿するとおとうみにまたがるしゆんけんあかいし山脈を源流とする天龍川が深く切れ込んだこの峡谷に沿って、南信から北遠江に抜けるふたつのとうげがあった。あおくずれ峠とひようごし峠。そのふたつが合流する秋葉街道は、やや緩やかとなったさんかいの間を縫いながら、やがて遠州浜松に抜ける。だが、今この時期に、雪深い峠を下る旅人はない。

 秋葉街道山中の僅か数軒の旅籠はたごはみな、深い雪の中にのきを閉ざしている。その一軒を開けさせ、六畳ひと間に主膳はひとりの男と、この三日間こもりきりだった。旅籠のおんな主人あるじに日に二度の食事と酒、灯り用のたねあぶら、そしておけの炭を運ばせるのみで、あとはこの部屋に近づかせない。女主人が男の部屋に近づく時には、足音を立てるよう命じられており、引戸の外から声を掛けると、必ず「待て」という主膳の声と、暫くの間、紙を折りたたむような音が聞こえた。それから、「よし」という籠った声が聞こえ、おずおずと女が膳を運び込む時、主膳は両腕を組んだまま黙してうつむき、いまひとりの男は顔を障子窓に向けるように座っていた。主膳は、夕刻の配膳とともに酒を五合ほど都合させるが、この時期に宿を開け、三日間の床の手配と食事をまかなうにはあまりに多額のきんをあらかじめ受け取っている女は、主膳の名も、どこの侍かも問うことは許されなかった。ましてや、半日遅れてやって来た、いまひとりの男の素性など知るよしもなかったが、明らかに異人と思われるその異様な風貌と鋭い眼差しを窺い見るにつけ、なにか得体のしれない怖れが湧き、近寄ることすらはばかられた。また、このことを家族、村人に対しても一切言うことはならぬと、主膳から固く口止めされていた。この旅籠の主人であった女の亭主は既に二年前に駿すんとうの城に徴用され、こうしゆう武田の兵に殺された。子供はない。この旅籠も、主人に死なれて以来、ほとんど宿を開けてはいなかったのだった。あるいは、その調べがついた上での、この宿へのとうりゆうであったのかもしれない。

「人を喰らうか……」とつぶやいたきり腕を組み、暫くの間沈黙が続いた後、膝の前にひろげられた図面から目を上げ、主膳はようやく口を開いた。

あん寿じゆよ、一年とふた月じゃ。それが限界ぞ。間違いなく仕上がるのであろうな」

 向かい合った彼等の膝の前には、無数のしわが寄り、所どころに染みやいたみの目立つ数枚の茶褐色をした紙が並べられている。大型の図面だった。そこには、入り組んだ線や図形とともに、見慣れない奇妙な横文字が細かく描き込まれているのだった。

 庵寿と呼ばれた男は、せてはいたが、りんと伸ばした背筋を崩すことなく座しており、長く伸びた髪は、頭の後ろで束ねられていた。異様なのは、男の肌の色がこの国の者にはない白さを持ち、髪は黒髪ではなく、紅みを帯びた栗色をしていることだった。更に、もみあげから口の周りまでもおおう同色のひげが、夕暮れの光を吸って鈍く輝く。その容貌は、この宿の女が怖れをなすのも無理はない、異国の野獣を思わせるのだった。だが、彼のその筋の通った高い鼻と、鋭いがどこかうれいを帯びたあおい瞳は、野獣にはない知性と気品を漂わせてもいた。

おおせのとおりにいたしましょう。ただし、すべては堀場様のご手配次第でもございまするが」

 方言ともなまりとも言えない、やや耳慣れない抑揚をもって、庵寿は答えた。

「うむ」

 暗がりの中で主膳は腕を組みなおすと、おもむろに顔を上げ、虚空を仰ぎ見た。

「間に合わなければ、すべてが無意味となる。が、果たして、意味があることなのかどうか、拙者にも判らぬ」

 表情は変わらなかったが、その眼は更に遠くを見つめたままだった。

しかしそれにしても、そなたも不思議な宿命さだめを背負うておるわ。自ら進んでこの世に修羅場をつくろうとはな」

 その言葉は然し、庵寿に投げかけるというよりも、むしろ主膳自身に向けられたように思われた。主膳は、いつしか闇の迫った部屋に、僅かな残光を入れる障子窓に眼をやる。窓外は降り続いた雪も止み、穏やかな夕闇に包み込まれていた。廊下に床板のきしむ音が近づく。

「もし……」と、小さく女の声が聞こえた。

「夕げの膳をお持ちしましただが」

 怯えたような声。手前の図面を丁寧にたたむと、主膳は顔を上げた。

「よし」

 引戸の向こうに声を掛ける。女は引戸を開け、おずおずと部屋に入ると、二人の前に膳と酒を並べた。その大徳利を見やりながら、主膳が女にいた。

「おかみ、この酒に名はあるか?」

「へぇ、この辺りじゃぁ、おにごろしっちゅうてますずら」

 女は、顔を伏せたまま答えた。

「鬼殺し……か」

 主膳は口の端を引きつらせるように、小さく笑った。天井に、ぎしりと軋む音が聞こえた。主膳は黙ったまま、目を上げる。と、それまで口をきくこともなかった庵寿が初めて女に顔を向けた。女はとうに五十を過ぎ、髪には白いものが目立っていた。庵寿は、静かな声で問う。

「名は、なんという」

「つ、つね……でごぜえます」

 庵寿の深いがんの奥に、碧い瞳が光ったように見えた。女は怯えながら顔を伏せ、むくんだように丸みを帯びた赤黒い手の甲をさすりつつ後ずさった。

「つねさん。雪降ろしをせねばならんな。明日、私が出て行く前に降ろしてやろう」

 主膳の眼が一瞬庵寿を見、ふたたび離れる。

「めっ、滅相もごぜえません」

 つねと答えた女は、怯えながらしきりに固辞する。だが、庵寿は表情を変えずに言った。

「案ずるな、男手もなかろう。賄いへの、せめてもの礼までのこと」

 顔を伏せたままの女は、彼の眼の奥に暗い光を見ることはできなかった。


 翌朝早く、主膳はひとり先に旅籠を出た。庵寿というその男は、約束どおり雪を降ろすと言って留まったが、雪は降ろされることなく、それ以降、女の姿も消えたのだった。

 やがて主人の居なくなった旅籠は、雪の重みに潰れ、ふたたび降り出した雪は、二人の男の痕跡すら白銀の彼方かなたに消し去っていった。



 てんみようざん南面の緩い傾斜を持つ丘の上に縄張りが巡らされたのは、その年の四月に入って間もなくのことだった。一面に若草の生え揃った初夏の台地に、一辺が一町半ほどのほぼ正方形の縄張りが巡らされた。

 奇妙なしろりだった。縄張りの外周には、目隠しの板張りと、その間を縫うように幾筋かの運搬道が通り、数か所にはものやぐらが設けられた。厳重な監視体制が敷かれている。目隠しの内側では、どこから掘り出されたのか、大量の土砂が積み上げられ、更にこの土砂が、四方形の外壁と内壁の間に流し込まれてゆく。その前後を、くさぞりに載せられた巨大な石が運び込まれ、方形に切り出されてゆく。切り出された大石は、殆んど隙間なく積み上げられていった。

 高く積み上げられた石壁の頂上に組まれた巨大なはりの上に、やや強い南風と向き合う三つの影があった。眼下に巨大な石がゆっくりと運ばれてゆくのを眼で追いながら、影のひとつ、堀場主膳が呟く。

「石はこの地のものを使うほかないゆえ、ややもろい。本来の石垣には適さぬが」

 もうひとつの影、庵寿が遠くを見やったまま答えた。

「仕方ありませぬ。使うのは、……限り……ただし、油は是非にも……」

 強い南風が、彼の言葉をき消してゆく。

「奴らは、本当に来ますかな」

 主膳の脇に立った若侍、ばたかずしんが、主膳の横顔を見た。確証を求める表情だった。

「来る。必ず」

 主膳は、きっぱりと言った。



 秋風が日を追って冷気を帯び始める頃、石壁の高さは異様なほどにまで高まっていた。然しながら、荷駄を運ぶ人足たちは皆、まるで見上げることを禁じられてでもいるかのように、その城壁を正視することを避け、ただ時おり上目づかいにかい見るのだった。そこには、彼らの誰しもに、見てはならないきんでも犯すような、ぎようの神を盗み見るかのようなと怯えの気配があった。未完の構造物のその姿は、彼等がこれまで見たこともない垂直、無表情の壁面を持つ四方形を成し、そこにはからぼりもなければ矢掛かりのためのくるも、うましすらなかった。

 これから長い冬を迎え、完成までにはまだ半年以上を要するとはいえ、この奇妙な石のかたまりだけの構造物が、人の心の底にるような畏怖と威圧感を与えていった。それでも彼らは、ただ黙々と作業を続けてゆく。


「人喰いの城らしい」

 木枯らしが吹き始める頃、人足たちの間にそんな噂が伝染するように広まっていった。甲斐武田の軍が、兵を集めだしたというしらせが届いたのは、その翌年の刈り入れが終わった直後であった。

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