絹更月怪異録~摩楼館怪奇事件簿~

澤村有希

第1話 暴力 (2)

 その時、散々文句を付けたおかげで、今は如月の珈琲指導という立場になってしまった。もちろん珈琲だけではなく、他の飲みものや食べ物に関する部分も教えている。好きだから特に苦ではないし、彼自身も飲み込みが早いので難しい話ではない。今は奴自身もいろいろ調べては新しい知識やレシピを増やしている。

 それに、こうして軽口を叩き合えるような気安い関係になったことも悪いことではない。取材場所としてこの摩楼館が使い易くなった、ということもあるが、それ以前になんとなく居心地が良いのだ。如月は一見冷たい感じの男であるが、それだけではないことも分かっている。だからこそ、俺はこの店に通うのだ。

「取材、取材って大変ですね。今月に入って何回目でしたっけ?」

 感情のこもらない言葉であったが、ふと考える。

「そんなに多いか?」

「ええ。プライベートのご来店と同じくらい。でも」

 一旦区切ってから、ぽつりと漏らした。

「考えてみたらここでやるインタビューや取材って、殆ど怪談仕事ですよね」

 確かにそうだ。他の仕事は行く先々や出版社の会議室などを利用する。それが便利だからなのだが、殊に実話怪談の仕事だと摩楼館を使ってしまう。

 実話怪談というものは、怪奇体験者にインタビューをし、その内容を纏め直したものである。平たく言うなら──怪奇ルポ、みたいなものだ。

 その性格上、あまり人目が気にならない場所を使う方が何かといい。話を教えてくださる体験者からしても、そちらの方が都合の良いことが多いのである。

「うーん。最近、怪談仕事が増えてな。編集部とか編集プロダクションから頼まれることが少なくないんだよ。まあ、俺も好きだから特に問題はないがな」

「見てれば分かりますよ、それ──さて、と」

 珈琲を淹れる準備が整ったようだ。

 如月はネルに挽いた豆を入れた。そこへ少し湯を含ませる。蒸らしをした後、ケトルの注ぎ口から細く細く湯が垂らされていく。回すように、ゆっくりと、じっくりと。

 ふっくらと膨らむ豆のドーム。その周囲に泡が立っていくが、それには絶対に湯を当ててはいけない。雑味の原因になるからだ。

 このときの如月はひと言も口を開かず、真剣な目で湯の先とネルの中を見つめる。

 旨くならなければ、お前を殺す。そんな風に強迫しているようだ。緊張の中で視線を送っているせいか、長い睫が時折震える。

 そんなときはつい、男から見ても綺麗な顔だと殊更に感じてしまう。

「よし」

 息を吐きながら、ケトルの先が上がった。

 小振りなカップに珈琲が注がれる。そのまま、砂糖もミルクも受け皿もなしで、目の前に差し出された。

「モカを減らして、代わりにグゥアテマラを少し加えています」

 カップを鼻先に近づけた。鼻腔が開くような快い香りだ。悪くない。軽く口に含むと、その匂いは更に膨らむ。まるで喉から鼻にかけてのラインで香りの粒子がさらさらと解けていくようだ。

 苦み、コクなど申し分ないような気もするが、ほんの少しだけ邪魔している部分がある。

「──旨いな。香りも良い。でも」

「でも?」

 如月は真面目な顔してこちらを見つめている。こういうときだけ謙虚である。

「酸味が僅かばかり足りないような気がするんだよな。モカを減らしたせいかもしれないけど。この手のブレンドだと、コクがある分酸味がもう少しないといけない気がする。それに、焙煎も少しやり過ぎかもしれん。余計な苦みに繋がりかけている。言ってみれば、香りと味に若干の差を感じてしまうと言うか」

 そうですか──如月が戸棚から銅製の焙煎網を取り出した。さっそくブレンドと焙煎からやり直しをするつもりらしい。

「ちょっと待ってくれ。あと少ししたら相手が来るから。取材が終わったら、またその時にやろうぜ」

「……後で、ですね」

 少しだけ不服そうな目を向けながら念押しされる。頷き返したとき、彼の視線が入口ドアの方向へ動いた。

「いらっしゃいませ」

 ドアのところに若い女性が立っている。

 流行りの髪、ファッション雑誌に良く載っているようなモードな服。

 ただ、その顔にうっすらと緊張が貼り付いている。

「阿川さん。こんにちは。すみません」

 声をかけるとほんの少し身を固くしたように見えた。

「……」

 彼女は無言のまま軽く首だけ上下させる。会釈までいかない、どこかおどおどとした様子だ。気が弱い人特有の空気を纏っていた。会うのは今日が二度目だが、最初に感じた印象と全く変わらない。

 ──やはり、薄幸そうな女性だな……。


 彼女の名前は、がわあけ

 二十七歳。会社員。所謂中小企業の資材課で事務を請け負っている。短大卒業後、工場の事務職に就いたが二年で辞めた。現職場に移ってから三年が経つという。元から簿記やその他の資格を持っていたおかげで、転職ができたらしい。

 彼女が今日の取材相手である。

 バッグから小さなメモと三色ボールペンだけ取り出した。そしてドアから彼女を招き入れ、テーブル席に座って貰うよう促す。

 振り返りながら如月に目配せをした。

「とりあえず、何を飲まれますか? やはり紅茶?」

 阿川さんにメニューを渡しながら、最初に出す話題について考え始めていた──。

 暴力


 阿川さんが当時住んでいた場所は、繁華街にほど近いアパートだ。

 田舎から出てきて二箇所目に住んだ場所だという。

 築二十年程度の鉄筋で、二回の角部屋を借りていた。場所柄か、近隣住民の質は悪かった。夏は暑く、冬は寒い。そして黴や結露に悩まされるような物件だったが、家賃の安さは魅力だった。

 彼女はその部屋で男と同棲をしていた。

 名前は小久保浩二。二十五歳。フリーターである。

 小久保は地元の高校を三年のとき一度留年。半年の後に中退した。定時制高校も一時期通ったようだったが、これも退学になった。

 その頃からずっと定職に就かず、親にも愛想を尽かされ実家を追い出されたらしい。それからはアルバイトで生計を立てて暮らしていた。

 外見は今風で、可もなく不可もない。痩せ形で、身長はあまり高くない。阿川さんと同じくらいの背丈である。そして、どこか神経質な顔をしていた。

 阿川さんと小久保の出会いは共通の知人の紹介だった。

 丁度彼氏が居なかった時期でもあり、何度かデートを繰り返すうち交際が始まり、いつしか彼女の部屋に小久保が転がりこんできたのである。

 暮らし始めて最初の数ヶ月は蜜月だった。

 が、すぐにそれも破綻する。

 理由は全て小久保にあった。

 フリーターといえども毎日働いているわけでもない。それに、もし給料が入ったとしても全て自分で使い、一銭も入れることはなかった。

 そして最たる問題が暴力だった。

 気に入らないことがあるとすぐに手を上げる。最初こそ抵抗していた。しかしそれが余計に火に油を注ぐことに気付いてからは、一切刃向かうことを止めた。いや、その頃になるとある種の精神的拘束と言うべき状態になっていたのかもしれない。

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