トリニティマリッジ 愛されすぎた花嫁姫

麻生ミカリ

第一章 (1)



   第一章



 オルミテレスの王宮は悲しみに静まり返っていた。

 温厚な人柄で誰からも慕われる王太子、ザカリーとその一家が海外視察から戻ったのは二週間前。帰国後、最初に体調不良を訴えたのは妃殿下ミラだった。

 せきと熱で寝込んだ彼女を気遣い、ザカリーは一日に幾度も寝室へ足を運んだ。数日がってもミラの病状は回復せず、側仕えの侍女が倒れ、ザカリーとミラの息子のライアンが寝込んだころになって、王宮医師が危険な事態を察知した。

 王太子の健康を優先するため、ザカリーにはミラとライアンの寝室への立入りを禁ずるよう国王ニコラスが手を打つより早く、当のザカリーが発症し、ときを同じくしてミラがこの世を去った。

 衰弱しきった妃殿下は、生前のほがらかなふっくらした頬が別人のようにこけていたという。

 それから三日が過ぎ、ライアンが二十歳で若き命の炎を絶やし、妻と息子の死を知らぬままに幾度も生死の境を彷徨ったザカリーが五日前に事切れた。

 じつにたった十日で、病は王太子一家の命を摘み取ったのだ。

「──我々に残されたのは、クレア王女のみ。幸いにしてというべきか、不幸にしてというべきか、王女はまだ婚約もされていない。さて、どうすべきとお考えか」

 枢密院議長、バルバーニー公爵エドワードは王宮の一室に集まった貴族たちを見回した。

 円卓を囲む貴族の面々は苦渋に眉根を寄せ、誰もが苦虫をつぶしたような表情をしている。それは、明朗快活な護衛軍元帥のエザンツ公爵ブライアンも同様だった。

「ニコラス王はおんとし六十八、王位をザカリー殿下にお譲りになることもご検討であったというのに……」

「今も寝台から起き上がれないほど、ご容態は芳しくないのだろう?」

「ああ、だがクレア王女に王位が移ることなど誰も予測しなかった。あのエドワードですら、クレア王女には帝王学を教えていなかったらしい」

 オルミテレスにおける王位継承順位は直系優先である。亡き王太子ザカリーが継承一位、次いで歳の離れたクレアが二位だった。

 現王ニコラスには男児がザカリーしかいなかったことを考えれば、クレアにも帝王学が教授されてしかるべきだろう。だが、彼女が生まれたときにはザカリーの長男であるライアンがいたこともあり、クレアは王位に就くための学問を学んでこなかった。

「しかるべき他国の王族を婿に迎え、女王として立位していただくというのは……」

「女王に立つには、クレア王女はあまりにか弱くあられるのではないか?」

 暗い目をした貴族たちの懸念は、もっぱら十七歳になったばかりの王女に向かう。

 それも当然で、オルミテレスの王ニコラスは四十半ばまで精力的に大陸内の他国を制圧してきた。結果、大陸でもっとも栄える王国とし、海の向こうまで名をとどろかせている。

 大陸全土にわたる影響力を持つ、豊かな国。

 ザカリーはニコラスとは異なる手腕で、この国を率いていくだろうと思われていたが、王太子亡き今、十七歳の少女の肩にすべてがかかってくるとなっては、誰もが不安に目を伏せるのは致し方ない。

「他国と言っても、いったいどこの王族を迎えるというのだ。バロウズ王国は、昨年から内乱のうわさが絶えぬ。トバス王国には、王女と釣り合う年頃の王子はおらん」

「他国から婿を呼ばずとも、王妹シシィさまの息子のモーリス殿下がいる」

「いや、モーリス殿下は問題行動も多く、今までに幾度もニコラス王から謹慎を言い渡されているのだぞ」

 他国を制圧することに心血を注いできたニコラス王だが、伴侶には恵まれなかった。最初の王妃は息子のザカリーが十歳のときに、次の王妃は娘のクレアが五歳のときに、どちらも病でこの世を去っている。

 近年ではかつて覇王と呼ばれた激しい気性も鳴りを潜め、病気のため寝台から起き上がれる時間も短くなった王を思えば、ザカリーの死が王国民の心に暗い影を落としたのも当然だ。

「クレア王女が女王となるのであれば、王配は何も王族である必要はあるまい。バルバーニー公爵の息子の……」

「サディアスか! 彼を候補にというなら、エザンツ公爵のご子息もクレア王女と懇意と聞く」

 現時点での候補となりうる男性は、クレアの従兄弟であるモーリス、枢密院議長の息子であるサディアス、そして護衛軍元帥の息子ノエル。

 そこまでは毎回、話が進む。

 しかし誰もが決断をできぬまま、クレア王女の治世に頭を抱えるばかりである。王として国を率いるだけの力が、かの少女にあるものだろうか。

「元帥どの、貴殿のご意見をお聞きしたい」

 ひとりの貴族がブライアンに話の矛先を向けた。

 口々にゆうを語り合っていた円卓の貴族たちは、一斉に視線をブライアンに注いだ。屈強なたい、丸太のような二の腕、はちきれんばかりの筋肉を漆黒の制服に包んだエザンツ公爵は、口ひげを指先で撫でると目を閉じる。

「意見と言われてもな、ワシに何を言わせたいのだ。王配が誰であろうと、ワシは王をお守りするに過ぎん。それこそ、エドワードよ、おまえはどう考えているのだ」

 白いロングコートをまとう議長、エドワードは眼鏡をはずすとハンカチを取り出してレンズを拭う。眉間には深いしわが刻まれており、そのしわこそがエドワードが長年王国のために聡明な頭脳を日夜酷使してきたことを物語っていた。

「王家に誓いを立てた身なれば、オルミテレス王国のために尽くすのみ。それはここに集まる歴々も同様でしょう。ただし、王女のお気持ちを察すれば、やはりここは──」

 エドワードの言葉の続きに、集まった貴族たちは息をんだ。


     § § §


 王宮の南端、真上に屋上庭園をいただく二階廊下の突き当たりで、エプロンドレスに身を包んだ侍女のカーラはほうきを右手に仁王立ちしていた。

 女性にしては長身の、肩幅の広い侍女である。

 クレアの側仕えをするようになって十年。東洋の拳法を使うと噂のカーラは、お仕着せのドレスをまとっていても、がっしりとした二の腕や腰回りが見て取れるほどだ。しかし、たくましい体つきであってもカーラの体には無駄なぜいにくはほとんど見当たらない。時代が時代ならば、王宮でおとなしく侍女なぞやるよりも女戦士として活躍してもおかしくないほどだ。

「侍女どの、ご無体なことをおっしゃらず、どうかクレア王女にお目通り願いたい。我が主、レイター公爵の使いなのだ。このままおめおめと帰ろうものなら、私は主になんと申し開きのできようものか」

 相対する侍女とは反対にたっぷりと脂肪を蓄えた使者は、ハンカチで額の汗を拭き拭き懇願するも、カーラは頑として首を縦に振らない。

 すでに今日だけで、彼女は十人以上の使者を追い返したあとである。

「クレアさまは体調が優れないのでございます。それとも、レイター公爵は使いの者が王女の許可なく室内に入り込み、不敬罪に問われてもかまわないと仰せなのですか?」

「そっ、そのような脅しに屈するとでも……」

 脅しではない。カーラは心底、目の前の使者が不敬罪で捕まればいいと願っている。

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