トリニティマリッジ 愛されすぎた花嫁姫

麻生ミカリ

プロローグ (2)

 やわらかなくせ毛はタンポポの綿毛を思わせ、緑色の瞳が心配そうにこちらをうかがう。けれど彼の唇は、瞳とは裏腹に明るい笑みを浮かべていた。

 しかし、次の瞬間、彼の頭頂部を小さな拳が殴りつける。

「いてっ! なんだよ、何するんだよ、サディアス!」

 金色の少年の背後に立っていたのは、まっすぐな黒髪を耳にかけたそうめいなまなざしの──こちらも、年の頃は十歳ごろとおぼしき少年だった。

うつけ者、貴様は王女に対して礼儀がなっていない」

 サディアスと呼ばれた少年は、恭しく石畳に右膝をつくとクレアに右手を差し出す。子どもながらに白手袋をまとう彼の、冷たい印象の水色の瞳に少女は一瞬戸惑いに唇を震わせた。

「おまえこそ女の子相手にそんな怖い顔するなよ。お姫さま、怖がってるだろ」

「ノエル、それは私の顔が怖いと言っているのか? ずいぶんな侮辱だな」

 頭を押さえていた金髪の少年が「ね?」と人懐こい目をしてクレアをのぞきこむ。

「こ、こわくない。いたくない……」

 何から言えばいいのかわからなくなった彼女は、とにかく自分は平気だと伝えたくて両手を踏ん張り身を起こそうとする。石畳に膝をつき、その場にぺたりと座り込んだ彼女は見知らぬ少年たちに畏縮し、白くすべらかなほおをこわばらせた。

 ──このひとたちはだあれ? おにいさまはどこ?

 小さな王女と、彼女を囲むふたりの小さな騎士を見つめ、ザカリーは遠巻きに様子を窺っている。

 人見知りで内向的な異母妹のため、彼が友人としてしようへいしたものの、クレアがどんな反応を見せるかによってほかの案も検討しなくてはいけない。

 だが大人たちの思惑なぞ知らず、少年ふたりはクレアに微笑ほほえみかける。ノエルと呼ばれた金髪の少年は屈託ない笑顔で、サディアスと呼ばれた黒髪の少年は少し照れたようなはにかんだ笑顔で。

「お手をどうぞ、クレア姫」

「ほら、両方つかまれば簡単に立てるよ」

 左右から手を差し出され、クレアは睫毛をしばたたかせた。

「でも、ころんだらじぶんでたちあがりなさいっておとうさまが……」

 幼き王女は視線を彷徨さまよわせたのち、顎を引き、石畳に目を落とす。そこに世界の謎が隠されているかのように、じっと心を凝らして見つめたところで、所詮石畳はただの石畳でしかない。

「手を借りたとしても、クレア姫がご自分の足で立ち上がるのですから、なんら恥じることではありませんよ」

 サディアスがそう言うと、ノエルが大きくうなずいた。

「そうそう! それに、誰かに手伝ってもらうのは悪いことじゃないってオレの父さん言ってたよ。人は助け合うものなんだって」

 ノエルの言葉に、サディアスが目を細めてフンと鼻で笑う。

「バカ犬にしては珍しくまともなことを言う」

「サディアス、おまえなぁ……」

 ふたりのやりとりに、不安でいっぱいだったクレアの心が急速にほどけていく。

「礼儀がどうとか言うくせに、おまえがいちばん失礼だろ」

「私は必要な相手に対し、必要な程度の礼儀を払う。貴様がそれに値する人間だと思うのか?」

 ツンと顔をそらすサディアスも、悔しそうに奥歯をみしめるノエルも、なんだかんだ言いながら互いを突き飛ばすようなはしない。表面的には対立して見えても、彼らは楽しそうに言い合っている。

「……ふ、ふふっ、うふふふ」

 両手を口元にあて、クレアは思わず笑い出した。

 彼女の笑い声に、それまで言い争っていた少年たちはハッとして顔を見合わせる。

 クレアの長い銀色の髪が風に揺れ、春を映し込んだごときピンクブラウンの瞳が無邪気にきらめいた。

「……クレアが……笑った……!?

 その瞬間、誰よりもきようがくしていたのは三人の様子を離れて見つめていたザカリーだろう。

 もとより内気な王女は、母親を亡くして以来、泣いてばかりだったはずだ。ザカリーとて彼女の笑顔など見たことがない。

「子どもには子どもの世界があるということでございましょう。愚息で力になれることならば、なんなりとお申し付けくださいませ、殿下」

 こんなときにも分厚い書物を小脇に抱え、枢密院議長のエドワードが眼鏡をくいっと指先で直す。

「なあに、姫さまならすぐに元気になる。子どもは弱く見えても、大人よりずっと柔軟でしなやかだ。殿下もあまり気にし過ぎはよくありませんぞ」

 熊を思わせる屈強な体を、黒い護衛軍制服に包んだ元帥、ブライアンは豪快な口調で言うとザカリーの背を分厚い手のひらでバシンとたたいた。

 右手をサディアスに、左手をノエルに預け、クレアがゆっくりと立ち上がる。

「たすけてくれてありがとう、……サディアス?」

 黒髪の少年を見つめ、彼の名を確かめるようにクレアが問いかけた。

「はい、サディアスにございます、クレア姫」

 大人顔負けの美しい姿勢の一礼をし、サディアスが目を伏せる。身分の高い相手を正面から見つめ返すのは彼の知る限り礼儀のなっていない所作だ。

「それから、ノエル?」

 金髪の少年はクレアが彼の名を呼ぶと、うれしそうにその場で飛び跳ねる。

「そうそう、オレの名前はノエル! これからよろしくね、クレア姫!」

 こちらは無邪気の塊とてもいうべきか、子どもらしい純真さで礼儀なぞかなぐり捨て、顔をくしゃくしゃにしてノエルが破顔した。

「下愚が。王族に対してなんたる口ぶりか」

「え、カグって何? サディアス、それどういう意味?」

「クレア姫、この屋上庭園には植物がたくさんございますね。あちらに咲く白い花はアネモネでございます」

「ねえってば、サディアス、カグって何ー?」

「黙れ、愚蒙」

「えええ、グモーって何!?

 意味もわからず、クレアは少年たちのやりとりに耳を澄ませる。

 ザカリーだけが、異母妹を心配しておろおろしていた。


 それは、今から十二年前。

 王妃が亡くなって半年後の、遅い春。

 クレアとふたりの幼なじみが出会った日のこと。

 寂しがりやで健気けなげな幼き王女のそばには、以来ずっとふたりの少年が付き従うようになった。

 ひとりは、歴代の枢密院議長を務める才知のバルバーニー公爵家長男、神童と名高いサディアス。

 もうひとりは勇敢な騎士の系譜につらなる武術のエザンツ公爵家長男、城下町でも有名なわんぱく少年のノエル。

 彼らの運命の歯車は、春の屋上庭園で回り始めた。

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