トリニティマリッジ 愛されすぎた花嫁姫

麻生ミカリ

プロローグ (1)



   プロローグ



 例年より遅い春の息吹がオルミテレス王国の全土から感じられるようになったとある午後、王太子ザカリーは、枢密院議長のエドワードと、王立護衛軍元帥のブライアンを王宮の南端にある屋上庭園に呼びつけた。

 かつて覇王と呼ばれた王ニコラスも、六十を目前に心弱くなっている。半年前に後添えの若い王妃を亡くしてからというもの、最低限の行事以外では国民の前に姿を現すこともなくなった。

 そんな時期にザカリーがエドワードとブライアンを招集したとあっては、何やら王国に関する重要な密談をしようとしているふうに誤解されそうなものだが、場所が庭園では締まらない。

 何より、ザカリーは父王に隠れて密談をするつもりもなかった。彼は、自分の息子よりもまだ幼い、としの離れた異母妹のためにエドワードとブライアンを呼び出したのだ。

「いいかい、クレア。お母さまを亡くして悲しいのはわかるが、いつまでも部屋に閉じこもっていてはいけない。おまえはこの国の王女なのだからね」

 赤いベンチに座った、今にも泣き出しそうな表情の少女に、ザカリーは静かな口調で話しかけた。

 まだ五歳になったばかりの王女クレアは、小さな両手をきゅっと握りしめて唇をとがらせていたが、決して不満に思っているのではないことをザカリーは知っている。

 彼女は不安の中、必死に王女らしく振る舞おうと努力するあまり、愛らしい顔をしかめているだけ。

 青みがかった銀の髪に、こぼれ落ちそうなピンクブラウンの大きな瞳。子どもらしいな顔立ちながらも、すでに母親譲りの美貌を感じさせる幼き王女。

 覇王ニコラスが、五十を過ぎてから征服した小国の美しい王女を後添えに迎えたことはオルミテレス国内でも話題になった。

 クレアの両親は親と子よりも歳が離れていたうえ、母親である王妃は前王妃の息子である王太子ザカリーより十一歳も若かったのだ。

 ザカリーはクレアが生まれたとき二十九歳、とうに妻をめとって息子が生まれていた。つまり、クレアには生まれる前からおいがいたのだ。

「でんか、わたしはいつまでおうじょですか?」

 小さな赤い唇を開いたクレアは、兄であるザカリーに尋ねる。

 兄妹とはいっても、彼女は兄王子と顔を合わせた回数もこれでやっと片手の指に足りる程度だ。

「いつまで……か。クレアは王女は嫌かい?」

「……おうじょは、おかあさまのところへいきたいと泣いてはダメと言われました。おうじょでなければいい。わたし、おかあさまにあいたいです」

 長い睫毛まつげに彩られた瞳が、母親を思い出して見る見るうちに涙で濡れる。目尻にぷっくりと浮かんだ涙がこぼれそうなのを、クレアは懸命にこらえていた。

 小さな異母妹を前に、ザカリーは困ったように目を細めて、彼女の頭をでる。やわらかな銀髪が剣技で鍛えた硬い手のひらにもろはかない。

「おまえはひとりではない。私のことはお兄さまと呼んでいいのだよ、クレア。兄妹なのだから、そんなにかしこまる必要はない。それに、母上が亡くなっても私も父上もいるだろう?」

「はい、おにいさま……」

 母を亡くした五歳の王女には、頼れる大人こそ幾人もそばに仕えているが、同年代の友人がいないと聞いている。ザカリーとて、すでに家庭を持つ身。心優しい妻は、息子と一緒にクレアを育てると言ってくれたが、甘えるわけにはいかない。

 だからこそ、ザカリーは枢密院議長と王立護衛軍元帥を呼びつけた。彼らをクレアの友人に、という意味ではない。目的は彼らの息子である。

 本来ならば、貴族令嬢からクレアと歳の近い娘を選ぶべきだったのだろうが、いかんせんもっとも年の若い娘でも十五歳、それより年長の令嬢は皆すでに結婚し、婚家で暮らしている。

 そこでザカリーが目をつけたのが、枢密院議長エドワードの息子であるサディアスと、王立護衛軍元帥の息子であるノエル。それぞれ十一歳と十歳の少年たちだった。

「母上に会いたい、か……。私の母も、十歳のころに病気で亡くなった。だが、おまえは当時の私よりももっと幼いのだな」

 頭を撫でられながら、クレアはよくわからないと言いたげな目でザカリーを見上げる。

 王女という立場も、王宮に住まう身分も、彼女にとってはまだ理解できないのだろう。それでも自身が現在孤立しかけていることは敏感に察知する。子どもは周囲の大人たちの感情の流れを肌で感じることができるものだ。

「でん……お、おにいさま、あの……」

 クレアがザカリーに話しかけたそのとき、屋内へ通ずる扉がノックされた。室内から室外へノックをするのは不思議なものだが、そこにいるのがオルミテレスの王子と王女なのだからそれも当然だ。

「失礼いたします、殿下。枢密院議長どのと元帥どのをお連れいたしました」

 侍女ではなく、軍服姿の兵士が敬礼姿勢で告げる。たしかに、こうして他者がザカリーを呼ぶのを聞き慣れていればクレアが兄を殿下と呼ぶべきと思い込んでいたのも至極当たり前である。

「通せ」

「はっ!」

 ベンチに座っていたクレアは、びくりと身を硬くした。

 彼女の生活には、父王以外の男性が登場しない。その父も、母亡きあとは葬儀以外で顔を合わせていなかった。

「怖がることはない。堂々としていればいいのだよ、クレア」

「は、はい、おにいさま……」

 ベンチから立ち上がろうとするクレアだが、自力で座れずザカリーに抱き上げられて座ったので、そもそも足が地面につかない。ばたつかせた両足が宙を蹴り、ドレスの裾が風を受けて膨らむ。

「よく来てくれたな、エドワード、ブライアン」

 客人のもとへ歩いていくザカリーの背を見つめて、クレアは置いていかれる不安からいっそう足をやみくもに蹴り上げた。しかし、つま先が地面に届くこともなく、彼女の小さな体はバランスを崩した。

「あ……っ……」

 危ないと思ったときには時すでに遅し。

 クレアはベンチから落ちて、屋上庭園の石畳に両手をついた。

 大人たちがクレアに気づいて駆け寄るより早く、小さな金色の影が駆け抜ける。

「だいじょうぶ? 痛くない?」

 少年の声に、クレアはろうばいしながら顔を上げた。

 彼女の日常に、子どもは自分以外存在しない。父、亡くなった母、侍女、王宮執事、護衛軍の兵士、誰もが大人だった。

 視線の先、クレアの瞳は金髪の少年をとらえる。

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