騎士団付属のカフェテリアは、夜間営業をしておりません。

遠原嘉乃

第一話 りんごの半月包み (2)

 時計の針はまだ八時をすぎたところだったが、暖炉の(まき)は燃え尽きそうになっている。

(ひとりだから新しく(まき)をくべるのもなんだ。火が消えるまで頑張るか)

 サラはペンを強く握った。

 外気は冷え、徐々に室内の温度も下がった。朝、りんごを食べてから何も食べていない身体に寒さは堪える。さきほどから胃袋がぐーぐーと大合唱をしているが、サラはそれを無視する。

(空腹なんて慣れている。ここはぐっと我慢して、書類を仕上げてから、年宵市の屋台で買い食いをしよう)

 固くこころに決めて、書類に向き合うも、(じよう)(ちよう)な文章に目が滑る。懸命に文字と戦うものの、だんだん紙についた(すす)のように見えてくる。頭に浮かぶのは、屋台の食べものばかりだ。肉汁したたるソーセージに、マスタードとケチャップをたっぷりかけるのもいいし、揚げたじゃがいものかき揚げに、(あぶ)り焼きした牛肉の削ぎ切りを合わせてもいい。

 手は進まず、妄想ばかりが膨らんだ。

 ふいに暗さが増した。大広場のあかりが消えたのだろう。サラはオイルランプのつまみを回してから気づく。とうとう九時を回ってしまったのだ。

 今夜の年宵市が終わった。窓からのぞけば、どこも店じまいをしている。

(……食べ損ねた)

 仕方がないので家に帰ってから食べようと、なんとか気を取り直す。

 だが、すぐに気づく。

 今朝食べたりんごが最後の食糧だったということを。

 年末の忙しさにかまけて、買い物をおろそかにした結果だった。せっかくだから夜は屋台であたたかいものを食べよう、という安易な発想が招いた悲劇だった。

 サラはがっくりと肩を落とす。

 夜間営業をしている店にでも飛び込めばいいのだろうが、あいにく、サラは歓迎されない客だった。行けば腕試しをしたがる輩との乱闘を余儀なくされてしまうからだ。

 しかもこの前、酒場で大乱闘を演じた挙句、店を破壊し尽くして出禁になったばかりだ。しばらくは、どこの飲食店にも出入りできそうにない。

 つまり、ここで導き出される答えは、翌朝まで水でしのげ、ということになる。

(草でも(かじ)る……?)

 昔のように石畳の割れ目に生えている草を(かじ)ろうかと考えたが、さすがに団長という任を預かっている以上、草を(かじ)るのは国の威信にかかわるだろう。これは最終手段だ。窓の木枠を剥がして食べるのも同様だ。

(どうする、どうする)

 サラは懸命に考えた。そして非常事態に下した決断は、カフェテリアの(ちゆう)(ぼう)からの盗み食いだった。

 騎士団には付属のカフェテリアが併設されている。不規則な勤務に騎士たちの食事がおろそかにならないように、という気づかいから開かれていた。無料で提供されているからと言って、味は悪くない。昨年、王室の(ちゆう)(ぼう)から来た料理長に替わってから、味が格段とあがったそうだが、サラは食べたことがない。出世してから、部下のことを考えて行かなくなったのだ。

(パンのひとつでも拝借して、お金を置いて帰ろう……)

 やましさに心なし足音を忍ばせ、サラはカフェテリアへ通じる廊下を歩いた。

 冬の夜の空気は、心底骨身に沁みる。寒さに、ひもじさをよりいっそう意識してしまう。

(あれ……?)

 冴えた空気のやわらぎに、サラは足を止める。香ばしいバターに絡むあまい、けれど芯のある匂い。ふらふらと匂いをたどれば、(ちゆう)(ぼう)からあかりが漏れていることに気づいた。

 こっそりのぞけば、オーブンの火がまだついている。天板のうえには、何やら規則正しく(ぼう)(すい)状のものがのっていた。

(営業時間はもう終わったはずだが……)

 いぶかしむサラは、背を向けて本を読む、灰茶色の髪の男に気づいた。

(あれは、確か料理長の……)

 王室の(ちゆう)(ぼう)からやってきた料理長の名前をサラは思い出せなかった。しかし、ひとがいるのならば、まずい――。

 ぐぅ――――。

 盛大に響き渡る腹の音。匂いに刺激された胃袋は限界を訴えたのだ。

 聞かれてしまった。

 いたたまれなさに、サラは(きびす)を返そうとする。未遂に終わったとは言え、騎士団の団長ともあろう人間が、盗み食いを働こうとしたのだ。

「あの……よかったら、食べませんか?」

 顔をあげれば、料理長は少し照れくさそうに笑っていた。断ろうと口を開こうとするが、「ぐぅー」とサラの胃袋が代わりに返事をしてしまった。

 料理長は吹き出しそうな口元を隠しながら、サラを(ちゆう)(ぼう)に招き入れた。サラは作業台の端にある椅子に座るよう促される。

「焼き上がりまで、待ってくださいね」

 出された紅茶に口をつけながら、あたりを見渡す。使いこまれているものの清潔な作業台に、磨かれた鍋が並ぶ。

「いつもこんな遅くまで仕事をしているのか?」

「いえ、たまたまですよ。実は妹に頼まれまして」

「妹さんに?」

「ええ、妹は聖歌隊で唄っているんですが、譜面台を新しくするらしくて、資金集めに年宵市で店を出すそうです」

 料理長がオーブンを開ければ、熱気とともにバターの匂いが強く香った。

「これはそれに出す試作品なんですよ」

 黄金色の皮に包まれた、半月型のペイストリー。ぷっくりとはち切れんばかりに膨らんでいて、具だくさんなのが外からもうかがえる。丁寧に編み込まれた模様で縁どられているため、中身はもれることなくおさまっている。

 サラは手を伸ばそうとして、自分の手が汚れていることに気づいた。恥ずかしさに机の下に手をひっこめ、インクをこすり落とそうとした。

「半月包みですから、手が汚れていても大丈夫なんですよ」

「半月包み?」

 聞きなれない名前だった。

「炭坑夫が坑内で作業をするときに、これをお弁当として持っていくんですよ。手で汚れてしまった皮の部分は、食べずに坑内に捨てるんです」

「捨てるなんてもったいない」

 サラは声をあげる。

「捨てる、と言ったら()(へい)があるかもしれませんね。坑内にいる妖精へのおすそわけ、としてその部分を残すんだそうですよ。と言っても、ここは炭鉱ではありませんから」

 紙でくるんだ半月包みを差し出されてようやく、サラは安心して受け取った。

「ありがとう」

 触れた先から、半月包みの熱さが伝わってくる。熱さなど気にも留めず、サラは勢いよく、ぼってりとした厚い皮にかぶりついた。中から、どろどろと熱くてあまいものが滴り出す。

「りんご!」

 思いがけない大好物に、サラの顔が輝いた。その様子に、料理長はやわらかく笑った。

 あまずっぱいりんごとシナモンのかすかな辛みに食欲をそそられ、サラはがぶりがぶりと大口を開け、食べ進めていく。口いっぱい(ほお)()ってから、ゆっくりと()(しやく)していく。

 噛みしめるごとに裡に落ちるあたたかいものに満たされた。

 ふと、料理長が蜂蜜色の瞳で、サラをじっと見つめていることに気づいた。

「……どうかしたのか?」

「あ、い、いえ、たくさん召し上がるな、と」

 口ごもる料理長に、サラは首を傾げた。が、すぐにこころは半月包みに戻った。

 

 結局、サラは天板にあったほぼすべての半月包みを食べてしまった。申し訳なさそうに頭をさげると、料理長は気にすることはない、と残り少ない半月包みを持たせてくれた。長い間あたたかいまま食べられるらしく、まだ仕事をするならば夜食にすればいい、と言われた。

 まだぬくもりの残る半月包みを、サラはそっと胸に抱いた。

 冬の夜を越えるには、十分すぎるほどの熱だった。

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