箱庭の薬術師

ぷにちゃん

1 交換条件 (2)

 また正面の入り口から病院へと入り、エレベーターへ向かう。

 しかし、着いてみると車椅子の人が何人も順番を待っているところだった。手術室は3階。それならば歩いても問題ないだろうと、私は横の階段を登る。

『ねぇ、願いを(かな)えてあげようか……?』

 ちょうど、2階を通り過ぎて3階の手前に差しかかったくらいだろうか。

 どこからともなく、声が響いた。いや、廊下や階段に響いたのではない。私の頭に直接声が響いた、と言った方がしっくりするかもしれない。

「だ、だれ……?」

『ん。神サマってやつかな』

「えっ……!?

 念のため辺りを見渡してみるが、人の気配はない。

「どういうこと……?」

 私は素直に疑問を呟く。

 神様であると……そんなことが、あるわけないことくらい知っている。

 けど。

 もし本当に、神様ならば?

 もし本当に、妹を助け出せるのであれば?

『さっき、祈ってたデショ? 「私のすべてを捧げてもいい、妹を助けて」って。だから、交換条件だよ。君のすべてと引き換えに妹を助けるという願い……(かな)えてあげる。どうする?』

「あっ……!」

 まさか、まさかまさか!

 本当に願いを(かな)えに、神様が私の元へ来てくれたというのか。それはもう、奇跡なんてレベルではない。言葉では言い表せないほどの……歓喜。

「助けて、妹を助けて!! 私はどうなっても構わないから……!」

『うん。いいよ、(かな)えてあげる!』

 それが本当に神様なのか、私には確認することなんてできない。けれど、万が一、億が一でもその可能性があるのならば。私はすべてをなげうとう。

 明るい『いいよ』という神様の言葉を意識しながら、花のことを思い出す。そして手の痛みを感じて、自分の手をぎゅっと握り締めていたことに気付く。

 だってもう、花の先が長くないことくらい……手術をしても助かる見込みがほぼゼロだということくらい、ちゃんと知っている。

 だから、助けてください。

 私は祈るように、ただその場に立つ。

 そっと目を閉じ、花のことを思い浮かべる。

 4歳年下の妹は、現在17歳。13歳で病気が発覚し、入院。それから、あまり外へ出ることができなくなった。いつも外で友達と遊んでいた花にとって、それは辛いの一言では表せなかっただろう。かわりに、家の中でもできるゲームをして時間を潰した。そして17歳になった現在、ちょっとしたゲーマーになってしまったのは、すぐ出てくる唯一の笑い話だろうか。

 あまりにもゲームをしすぎて、怒った父親がコンセントを抜いてしまい、花と(おお)(げん)()したことも今では楽しい思い出だ。

 花。笑っている……笑顔の花に、もう一度会いたい。

楠木(くすのき)さんっ……! 手術が、無事終わりましたよっ!!

 廊下の中央、微動だにせず立つ私に、看護師の高木さんが涙を流しながら駆け寄ってきた。

 無事に、終わった……?

「ほ、ほんとう……?」

「ええ、本当よ……!」

 いきなりの言葉に、私の思考はすぐに反応をしてくれなかった。

 ただ、わかったことは1つ。花の手術が無事に、終わったということだけ。

 その事実だけ、わかればいい。

 途端、涙が(あふ)れ出した。安心したからだろうか、嬉しいからだろうか。溢れ出す涙を止めるすべは知らないが、高木さんも同様に泣いていた。

 すぐに花のところへ行かないと、そう思って私は足を踏み出した。

 しかし、踏み出した先は夜よりも深い、一面の闇世界だった……。

 突然のことにバランスを崩し、私はその場に倒れこんだ。前も、後ろも、下も、天井も、すべて一面真っ黒であった。

「ど、どういうこと……? 高木さん?」

 この直前まで一緒にいた高木さんの名前を呼ぶが、返事はない。

 辺り一面、何も見えないこの世界に、今は私独りだけ……?

「やだ、恐い……お父さん、お母さん……っ!」

 全身に恐怖を覚え、自分をぎゅっと抱きしめる。

 これはいったい何の冗談だろうか。

 それとも、花の無事を知って安心した私は、気絶でもしてしまったのだろうか。そうであれば、これは夢の世界と結論付けることができる。

 しかし、そのとき私の耳に届いた声が、現実であったことを示した。

「ようこそ、ひなみ」

 背後から聞こえた声に、ゆっくりと振り向く。

 聞いたことのある、声。そう、これは……先ほどまで聞いていた神様の声だ。

 振り向いた先には、男の人が立っていた。

 暗いのに見えるのは、男の人が光っているからだろうか。それとも、私の目がおかしくなってしまったのだろうか。

 甘い金色の髪は肩につかないくらいの長さで、着ている服は西洋をイメージさせる。

 身体にフィットしたオレンジの服に、マントのように裾が長い上着を羽織っている。花の言葉を借りるとすれば、ゲームの中の人、であろうか。横で花がプレイするゲームを見ていて、ゲームキャラクターの戦闘服はデザインが重視されすぎていて、防御性に関しては疑問に思うことが多々あった。

 そして、私の持っている言葉では言い表せない。いや、一言今風に言うなればイケメンというのだろうか。そのきらきら輝く宝石のような瞳は、まっすぐに私を捉えていた。

「あなたが……神様?」

「君がここへ来てくれたこと、心から歓迎するよ」

 私の問いかけに、神様は甘く優しく微笑んだ。

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