箱庭の薬術師

ぷにちゃん

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 闇を裂くような、しかし小さな悲鳴が、穏やかな午後の日差しが差し込む店内に響いた。突然のことに驚いた従業員や、お茶を楽しんでいた人の視線が発生源の私へと向けられる。

 それは自分の声ではあったが、あまりに普段の声とかけ離れたそれに、私は持っていた受話器を落とした。拾わないといけない、と……頭の片隅で思ったが、思考は一瞬で頭から掻き消え、すぐさまバイト先の喫茶店(カフエ)を飛び出した。

 驚いた店主(マスター)の制止する声には耳もかさず、私は一直線に走った。

 電話から聞こえたのは母の苦しそうな涙声。それにくわえて電話の後ろから聞こえる慌しい声。それだけ聞けば、母が私にしゃべりかけなくても、言いたいことは十分に伝わった。

 喫茶店(カフエ)のある細い通りを抜けて、大通りに出るとすぐさまタクシーを捕まえる。今は運転手の「どちらまで?」なんて声は待っていられない。乗り込むと同時に目的地を告げて、私は(どう)()が激しくなった身体を落ち着かせる。

 真っ黒ではなく、若干茶色がかった私の髪。腰まで伸ばしているそれは、走ったせいでボサボサに乱れ、服装に至ってはバイトの制服のまま。黒地にフリルのエプロンがあしらってある、お洒落(しやれ)な制服。ヒールのある靴で走ったため、足が少し痛む。

 運転手は、そっと目を閉じて、ただ後部座席に座っているだけの私に声をかけることはしなかった。おそらく私の告げた行き先が大学病院だったからだろう。くわえて誰が見ても焦っている私。事情を察してくれたのか、前を走る自動車を追い越して目的地へと急いでくれた。

 大学病院の入り口に一番近い場所へとタクシーは停まり、運転手さんは気遣って声をかけてくれた。

「お代は後でもいい、とりあえず早く行ってやんな!」

「おじさん……っ! ありがとう、すぐ戻ります!」

 お礼も簡単にだけ伝え、急いで病院に駆け込み受付を目指す。

「あの、妹は……楠木(くすのき)(はな)はどこにいますか!?

 私の勢いに気おされたのか、一瞬受付のお姉さんの表情が崩れるが、そんなのを気にしている余裕はない。「すぐに確認します」と、立ち上がろうとしたときに後ろから声がかかった。振り返ると、そこには妹を担当している看護師の高木さんが立っていた。

「緊急手術室よ、案内するからついてきて!」

「……はいっ!!

 

 ◆ ◆ ◆

 

 今までにこれほど、神様に祈りを捧げたことがあっただろうか。

 何か困ったことがあっても、私は努力で乗り越えてきた方だと思う。

 でも。

 今日は、祈りを捧げさせてください。

 そしてどうか、どうか、私の願いが(かな)いますように。

 私のすべてを捧げてもいい。

「だから神様……どうか妹を、花を助けてください……」

 私の消え入りそうな声が、薄暗い病院の廊下に響く。それは誰かのお葬式のようで、死神でも出てくるのではないかと(おび)えてしまう。

 備え付けられた椅子に座る。その横にあるドアには『手術中』と赤いランプが点灯している。

 私の横には、お父さんとお母さんが腰掛けている。2人ともぐったりして、ずっと俯いている。時折通る看護師に視線を送り、手術が無事に終わることを祈ることしかできない。

 こんなとき、医者でも何でもない自分の無力さを悔やむ。いや、悔やんだところでどうしようもないことはわかってはいるのだけれど……。

 現在、妹が緊急手術を受けている。

 今、私がいるのは大きい大学病院。

 妹の花が4年前に病気を(わずら)い、入院した病院。

 最初は、私も両親もただの風邪だろうと思っていた。市販の薬を飲み、様子を見ていた。しかし、花の病状は一向に良くはならなかった。異変を感じた両親は、花を病院へと連れていった。

 しかし、医者の診断結果は(ざん)(こく)なものだった。花の病名は不明。

 頭を検査しても、血液を検査しても、原因がわからないと。そう、医者に突きつけられたのだ。考えられる原因としては、新種のウィルスか何かかもしれないということだった。しかし、確証はない。

 そのとき17歳だった私は、その運命の(ざん)(こく)さに絶望した。13歳の妹が突然の入院。

 学校が休みの日は、一緒に買い物に行ったり、料理をしたりする。テスト前になれば、私が勉強を教えることもあった。

 そんな私たちを見て、両親は「年が離れてるのに、まるで双子みたいね」と笑っていた。けれど笑顔が絶えなかった日常は、砂で作ったお城のように一瞬で崩れてしまった。砂浜に打ち寄せている波の音が、近所の公園で遊び回る子どもの声が……(ちよう)(しよう)に聞こえる。

「……突然、容態が急変したそうだ。おそらく呼吸器官に支障が出ているのではないかと、お医者さんから聞いている。手術の終了時刻は……未定だそうだ」

「…………きっと、きっと花は大丈夫よ……」

 ずっと沈黙を守っていたお父さんが、花の状況を告げた。

 続いてお母さんが、私を気遣って安心するように背中を撫でてくれた。それに甘えて、私はぎゅっとお母さんに抱きつく。声を殺して泣いて、少しでも心を落ち着かせる。

 うん。大丈夫。お姉ちゃんが妹の無事を信じないでどうするんだ。

「あ、そうだ……」

「どうした?」

「タクシーにお金払ってない……運転手のおじさんが、お代は後でいいから先に行ってこいって言ってくれたの」

 腕時計に視線を落とすと、時間は17時。バイト先の喫茶店(カフエ)に電話が来たのは16時すぎだったはず。となると、移動時間を引いても30分近く待たせてしまっている計算だ。

「結構時間が経ってるな……ほら、これを持っていきなさい」

 差し出されたのは五千円札が1枚。急いでバイト先から飛び出したため、私は何も持っていなかったことに今さらながらに気付く。そんな様子を見てか、お父さんの顔が少し(ゆる)んだ。

 慌てて立ち上がり、すぐに戻るからと、その場を後にした。

 

 ◆ ◆ ◆

 

 病院の入り口へ戻ると、タクシーのおじさんが缶コーヒーを飲みながら待っていてくれた。私に気付くと手を上げ、笑顔で迎えてくれた。

「ほら。ひどい顔してるぞ」

「えっ……あ、ありがとうございます……」

 そして温かいミルクティーの缶を、私へ渡してくれた。

 おじさんは、私に何も聞いてこない。「大丈夫だったか?」と、もし問われたなら、私はきっと返事ができずに泣いてしまう。

 今はただ、無言でいてくれるのはおじさんの優しさなのだと思い、甘えることにした。

 ミルクティーを飲み、おじさんにお礼を言って、その場を後にする。

 最後まで何も聞かず、笑顔で見送ってくれた。私も、そんな気遣いのできる大人になりたいなと、そう思った。

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