物理さんで無双してたらモテモテになりました

kt60

第1話 その男、ギルス・トリストラと名乗る。

 

「ようっ!」

 意識を取り戻したオレに、ヘンな男が言った。

 (さわ)やかに刈り上げられた(みず)(みず)しい黒髪に、やはり(さわ)やかな顔立ち。そして黒いローブを()()っている。

 右手の先には赤い宝石がはめ込まれた――ファンタジーに出てくる魔法使いが持っているような(つえ)を持っている。

 男は言った。

「この世界の名はアールヴヘイム。オマエさん――(あま)(くさ)ラクトを呼んだのはオレだ」

 オレはあたりを見回す。ホコリ臭い部屋にはヘビの抜け殻やコウモリの羽が何本も()されてて、()(ぎたな)い机の上には書物などが積まれていた。

 さらにオレの真下には、青白く光る魔法陣。

「異世界……ってやつか」

「飲み込みが早いねぇ」

「まぁな」

 というより、この状況ではそれしか考えられないだろう。

 現実世界に強い未練や(しゆう)(ちやく)があるやつだったら、信じたくないと思うあまりに否定したり動揺したりもするんだろうが、オレは死を考えていた人間だ。そういうものはまったくない。

「で……オマエはどういう用件でオレを呼んだんだ? なにかの実験台にするつもりだって言うんなら………………痛くないように頼むぜ?」

 どうせ価値のなかった命だ。

 誰かの役に立てるなら――それが頭のおかしい魔術師であっても――いくらかマシってもんだろう。

「オマエ、人をなんだと思ってるんだよ……」

「自分の都合で人を異世界に(しよう)(かん)するやつだ」

「それでも一応、人は選んだつもりだがね」

 男はやれやれと肩をすくめた。

「異世界をトリップするあの門は、今の世界に未練がないやつにしか呼応しない。今の世界をしっかり生きたいって思ってるやつには、見えもしなけりゃさわれもしないシロモノさ」

「そうか………………」

 とりあえず、極悪人ってわけじゃないようだな。

「で、なんの用で呼んだんだ?」

 男は持っていた(つえ)を腰に差し、小さな(びん)を取りだした。左手の上に青白い粉を振りまく。

 粉をギュッ……と握り締めて手を開く。

 一匹の蝶が羽を開いた。

 サファイアのような(かがや)きを放つ硬質的な美しさを持った蝶が、(かがや)きをまき散らしながらひらひらと飛んだ。

「オレの名前はギルス・トリストラ。職業はアルケミスト――(れん)(きん)(じゆつ)()だ。ギルとでも呼んでくれ」

 男――改めギルは言った。

「好き勝手やっていたせいで今ひとつ無名だが、歳は今年で二四二になる」

「二四二…………?」

「ああ、二四二さ」

「どう見てもオレと同じくらい……一五か一六にしか見えないが……」

「そう見えてもらわなければ困る」

 ギルはクックと忍び笑った。

「なにしろオレは、若返りの薬を飲んだ人間だからな」

「若返りの……」

「一二九歳の時に飲んだ。それからさらに一一三年。毎年一歳若返り、今の見た目は一六歳さ」

「一年で、一歳ずつ…………?」

 それで今の年齢ということは、もしかして……。

「察しがいいな、オマエさんは」

 ギルはまたもハハッと笑った。

「オレはあと一六年でこの世から消える。この世に生まれた赤ん坊が生まれる以前は無だったように、なにもかもをなくして消える」

「…………」

「もっともそれは、理論上のお話だ。もう二年か三年もすれば知能は少しずつ(おとろ)えて、五年か六年もすればただのガキと変わらなくなる。アルケミストとしての寿(じゆ)(みよう)は早くて二年。もって五年といったところだ」

「そうか……」

「オマエさんを呼んだのはそのためさ」

「…………」

「消えることはそれなりに怖い――が、さらに生き続けたいと思うには、オレは長く生き過ぎた。消えるのを恐ろしいと思うのと同じ程度に、そろそろ休みたいとも考えている」

「…………」

「そこでオマエには、オレの()()になってもらいたいわけだ」

()()……?」

「そうだなぁ…………」

 ギルは()(くう)を見つめてから、人差し指をピンッと立てた。

「オレの国の中には、〈(とら)われたウサギのような目〉という()()がある。なにもかもがどうでもよくなって、うつろな目をしているやつを示す言葉だ」

「オレの世界では、〈死んだ魚のような目〉っていう()()があるな……」

「それを作った人間は知ってるか?」

 オレは首を振った。

「でもすごいとは思わないか?」

 ギルは静かに言う。

「オレたちは、そういう言葉を普通に使う。誰が考えたかもわからない言葉を、わからないまま普通に使う」

 深い海の底のように、静かに、(たん)(たん)と。

「想像してみろ、イメージしてみろ、ラクトくん。自分が作ったその言葉。自分の口が(つむ)いだ言葉、自分の指が記した言葉。そういう言葉が見知らぬ人たちに渡り、大いなる輪廻(りんね)の中に入り込む。自身の肉体が腐敗して溶けて土の中に還っても、作った言葉は残り続ける」

 また術を使ったのだろう。ギルの指先からは命の(つな)がりを象徴するかのような、緑色のツルが伸びた。

 同時にオレはブルリと震えた。

 ギルの言うことは、確かに…………すごい。オレのものはオレのものだと抱え込んでいる人間よりも、何千倍もすごいことをやろうとしてる。

「オレはそれをオレが持っている技術でやりたいわけだ。しかしオレには時間がない。だからテキトーなやつを()()にして、オレの中にあるオレをいろんな人に伝えてもらいたいってわけだ」

「なるほど……」

 一応筋は通ってる。ギルを疑う理由もない。

 相手を疑うってことが必要になるのは、(だま)されると実害があるからだ。もともと死のうと思っていたオレの場合、(だま)されたところでどうってことはない。

「わかったよ、ギル」

 オレはこの奇妙な(れん)(きん)(じゆつ)()()()入りをすることを決めた。

 

 そして、半年の月日が流れた。

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