萌え婚っ!! ヲタク女子が結婚したら、妄想をはるかに超えた甘い毎日が待っていました。

伽月るーこ

第一話 そして、夫婦は動き出す。 (1)




 第一話 そして、夫婦は動き出す。




 紫乃宮浬の第一印象は、

『この人、すごく綺麗にスーツを着てる』

 だった。

 ──……まさか、彼の趣味がコスプレだったとは……ッ!

 優月は、自宅に戻ってきていた。

 必要な買い物は終わっていたし、何より自分が落ち着ける自室で、ゆっくりしたかったのが本音だ。絶対に会うことはないだろうと思っていた夫との突然の遭遇で、優月はわりと、いや、これでもかなり混乱し、疲弊していた。

 あのあと、浬は友人のサークルスペースまで優月を案内してくれ、そこで売り子をしている男性と話をしているようだった。それを横目に、優月は友人と無言で、それでも互いに飛び跳ねるほどの久々の再会を喜び、新刊を手にして──帰ってきた。

 以前の優月だったら、サークル主の友人とご飯を食べて帰るまでがワンセットだが、互いに結婚をしており、年末も近いという理由から今回は見送った。

 優月はとりあえず、キッチンでお気に入りのフレーバーティーをれ、戦利品をローテーブルに積み上げてから、ふわふわのラグに腰を下ろしてひと息ついている。

 しかしそれでも、未だに現実に戻ってきた実感がない。

「……」

 正直、まだ、夢を見ているような気分だった。

 夫のコスプレ姿が、あんなにも美しくて、クオリティが高いだなんて。

 それも、浬がしていたのは、優月の推しに匹敵するほど好きなキャラクターだった。

 ノワールシリーズといえば、ライトノベル業界に旋風を巻き起こした人気作品で、一作目から人気声優を集めたオリジナルドラマCDを特典として出版された。

 世間が声優ブームに入っていたこともあり、売れ行きは好調、異例の早さで重版出来を発表するに至る。作品もさることながら、原作者書き下ろし脚本のドラマCDはおもしろく、刊行当初から密かに「アニメ化もすでに決まっているのでは?」と読者に噂されるほどだった。

 もちろん、その後、読者の思ったとおりアニメ化の発表、劇場版、アニメ二期を制作するまでになる。

 話の内容は、召喚士の少女・リーセルと、彼女が召喚したマキシムと呼ばれる、黒い翼を持つ有翼神種・ノエルが織りなす、冒険譚だ。

 そこに名家の親友・ヴィンセントや、彼女の召喚したマキシム、プライマリーイヴや、地獄の番犬ケルベロスなどが出てきては、リーセルの母親の謎、有翼神種の中でノエルだけ翼が黒い理由、世界の秘密などが一冊ごとに明らかにされていき、伏線と世界の謎が絶妙なバランスで散りばめられている。

 作中で一番好きなのは、有翼神種のノエルなのだが、その次に好きなのはプライマリーイヴだった。優月は、ローテーブルに置いたスマートフォンのロックを外すと、画面いっぱいに表示された美しい浬の姿を見る。

 それは帰り際、どうしても我慢できなくて、お願いし倒して撮った写真だった。

「…………綺麗だなあ。プライマリーイヴ」

 そこは、夫ではないのか、というつっこみが聞こえてきそうだが、優月にとっては作品の中からキャラクターが飛び出てきたような感覚のため、夫であって夫ではない。

 推しているキャラクターでなくとも、大好きな作品に出てくる、印象深いキャラクターが目の前にいたら興奮もする。

 このキャラクターが出てくるノワールシリーズに出会った学生時代、転がるように作品を好きになり、高校を卒業してからはネットに公開されるノワール作品に関するイラストやコスプレを見ては、新しい世界を発見したとばかりに、二次創作へのめり込んでいった。

 サークル主の友人に出会った、否、再会したのも、そのころだ。

 素晴らしい作品を描かれる方だと思い、意を決してイベントへ行ったところ、彼女が高校時代に優月と仲良くして、ノワールシリーズを勧めてくれた学校司書だったことが発覚。以来、SNSを通じて今も連絡をとっている、数少ない趣味仲間だった。

 彼女がオンリーイベントや、夏冬の祭典に参加すると聞けば顔を出し、ノワールシリーズのジャンルで活動しているサークルの本を買い漁っていた。

 しかし、優月の就職、彼女の結婚をきっかけに、あんなに好きだったアニメは新番組のチェックも疎かになり、新刊も書店で見かけたら買うぐらいだ。学校帰りに必ず書店に行き、書店員に名前を覚えられていた当時の自分には、まずありえない生活になっていた。

 今思えば、新刊を追いかける熱意すら、現実に吸い取られていたのかもしれない。

 それがなぜ、急に戻ってきたのかというと。

 昨今、話題になっているリバイバルブームのおかげだ。

 やれテレビアニメ化二十五周年、やれ連載開始二十周年など、昔のアニメがリバイバルされることが多くなり、同人界隈もその波に煽られ、作品全体が盛り上がってきている。

 ノワールシリーズも、そのひとつだった。

 この作品は長期休載もあることから、気持ちが離れていく読者も増え、ジャンルとして衰退していたのだが、本誌から突然の完結編の連載開始、それに合わせての刊行二十周年プロジェクトの発足が発表。長期休載ののち出版される完結巻発売に合わせて、今年──テレビアニメ三期の制作決定が発表されたばかりだ。

 現実に追いやられていた優月の情熱が再燃するのも、無理はない。

 しかも、今は結婚して仕事もしていないとくれば、どっぷり作品に浸かる時間はそれなりにある。そんなおり、件の友人が、冬の祭典に出ることをSNSで知り、数年ぶりにイベント参加をしようと決心して今日を迎えた。

 自分の趣味を隠していた、旦那に内緒で。

 だというのに。

「……ほんっと、わからない」

 優月は画面の中、美しいポーズを決めるプライマリーイヴこと、自分の夫から視線を逸らした。そしてチョコレートのフレーバーティーを飲みながら、ふと考える。

 どうしてこんなことになったのだろう、と。

 きっかけは、落とし物だった。

 優月が落としたものを拾ってくれた、心優しいコスプレイヤーに感謝しようと顔を上げた瞬間、その精巧な衣装もさることながら、キャラクターをしっかり把握したメイクも含め、作品から飛び出たかのような再現度の高い姿を前にして、息を吞んだ。

 たった、それだけのことだ。

 それだけのことで、優月は彼女に手を引かれて壁ドンをされた。

 彼女に手首を摑まれたときも、コンクリートの壁に押さえつけられたときも、彼女の美しさにうっとりするばかりで、まさかそのコスプレイヤーが、美しすぎる女性へと変貌を遂げていた夫とは思うはずもない。

 同じ部屋で暮らして、毎日顔を合わせている優月でさえ、名前を呼ばれるまでわからなかったのだから、完璧と言っても過言ではないだろう。

 あのときは興奮していたこともあって、浬とどんな話をしたのかあまり覚えていないが、彼の趣味を見てなんとなく結婚前に言っていた条件が腑に落ちた。

「……」

 優月は、飲み終わったカップをローテーブルへ置き、自分の左手を見つめる。薬指にはめられているのは、やわらかな丸みを帯びたデザインを施したプラチナの結婚指輪だ。

 ふと、彼の手のぬくもりが蘇る。

 ──……結婚してから、手、つないだの初めてかも。

 手を引いてくれたときの彼の手は大きく、あたたかかった。

 ──浬さん、もう撤収してるよね。

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