萌え婚っ!! ヲタク女子が結婚したら、妄想をはるかに超えた甘い毎日が待っていました。

伽月るーこ

プロローグ ああ、神さま。




 プロローグ ああ、神さま。




 これは、一体なんのご褒美でしょうか。

「……」

 手にした紙をうっかり落としたのが運の尽きだったのかもしれないと思った、ついさっきまでの自分はなんだったのか。落とした用紙をたまたま手にしてくれた心優しい女性はとても美しく、通路の中央で言葉もなく見とれていた自分の手を引いてくれた。

 そして現在。

 目の前にいる美しい女性に壁際に追い詰められ、さらには逃げられないよう壁に手をつかれている──いわゆる壁ドンをされた状態で、紫乃宮優月は、ただただ彼女を見上げていた。

 なんて、美しいのだろう。

 自分より高い身長に、すらりと伸びた手足。肩で切りそろえられたプラチナブロンドに合わせて、まつげも白く、肌も透き通るような白さだ。さらに衣装も白でまとめられ、ふんだんに布を使ったドレープが幾重にも重なるドレスは、後ろが長く、前が短いアシンメトリーになっている。ふわふわの衣装から覗く細く長い、足は白のレースで薔薇を模した柄ストッキングに包まれていた。

 そしてなんといっても。

 白い肌に映えるはっきりとした緑色の瞳に見つめられるだけで、優月の心臓は高鳴ってしょうがない。本当に、目の前に彼女がいるのだという錯覚を起こさせるほど、頭のてっぺんからつま先、着ているものまで完璧に見える。そのあまりの完成度の高さに、興奮が興奮を呼び、優月の言葉を失わせていた。

「どうしてこんなところに?」

 この声を、聞くまでは。


 え。


 その瞬間、優月の耳に、周囲のざわめきが飛び込んでくる。

 ひしめき合う人々の声と足音が重なり、独特なざわめきを作り出している広い会場内で、優月は我が耳を疑った。

 目の前の彼女の声が、男の、それも聞き慣れた声だったせいだ。

 いやいや、まさか。──と、もうひとりの自分が囁く。

 だって、ここは冬の巨大同人誌即売会という名の聖地だ。

 自分の大好きな作品と推しキャラへの愛や情熱が集まる場所であり、サークル主と呼ばれる神が己の萌えを情熱のままに叩き込んだ原稿が、ときには自立するほどの厚さになっていても薄い本と呼ばれるそれが、長机の上に個性豊かに並んでいる場所だ。

 自身の心を萌えで満たした全国の歴戦の猛者たちが集まる、一種の戦場でもあるといえよう。この日だけは、渇いた現実によって抑圧された萌え魂を解き放ち、己の萌えのままに神が作り給うた同人誌を手にするべく、血と汗と涙にまみれた金を携えて、一堂に会する──ヲタクの、ヲタクによる、ヲタクのための祭典だ。

 そこで、ヲタクという言葉とは無縁な人物の声が聞こえたのだから、幻聴だと思うのは必至。

 視線を彷徨わせて声の主を探してみたのだが、

「目の前にいますよ、優月さん」

 変わらない距離から聞こえた声に名前を呼ばれ、恐る恐る顔を上げると、彼女が表情を変えずに続けた。

「はい、ここに」

 まさに、青天の霹靂だった。

 目の前にいる美しい女性から、普段聞いている男の声が聞こえたのだから。

さん!?

 信じられないといった様子で、驚きの声をあげる優月を見ながら、彼女は、否、彼──浬は、何かを察したのか目を丸くした。

「……気づいていなかったんですか」

 次いで、ため息混じりに「しまった」と声が聞こえた気がする。しかし、会場内の独特な熱気と雰囲気に吞まれた優月の興奮は、それどころではない。

「浬さん、なんつー格好を……!!

 そして会話をする気が一切なかった。

 目の前にいる美女が知り合いだとわかってからというもの、優月の無遠慮な視線は浬の表情ではなく、その衣装に向かっていた。

「……引くなら、どうぞ引いてください」

「ああ、完璧すぎて死にそう」

 興奮気味につぶやいた優月は、浬の言葉を聞かずに顔を上げる。目をキラキラと輝かせ、尊敬の眼差しで彼を見た。

「浬さん、素晴らしいです……! はぁあああ、どうしよう!! 尊い!! これ、ノワールシリーズ一作目『約束のノワール』に出てくる、有翼神種のプライマリーイヴですよね!?あああああ、すっごい、すっごいそのまんま! 原作とアニメだと、若干衣装のディティールが違うんですけど、これは原作に寄せてあるー、わーわーわー、すごいすごい!! あ、あのあの、あとで写真撮ってもいいですか!?

 思わず早口になってしまうのは、自分の中の情熱が限界突破したせいだ。

 だから、気づかなかった。

 いつものように趣味全開で、興奮気味に話していた自分に。

「……」

 我に返ったときには、浬の表情がきょとんとしていた。まるで、優月の興奮に気圧されているような様子さえ伝わってくる。

 あ、やばい、やらかした。

 ずっと隠していたものを、思いきり全力でぶちまけていたことに気づき、ようやく興奮を通り過ぎた現実に追いついたらしい。まばたきを繰り返し、さっきまでの勢いはどこへやら。優月はその場で固まったように、動けなくなった。

 すると。

「……」

 彼の視線が、何かを見つけたのか優月の胸元を凝視する。

 一瞬、どうしたのだろうかと、疑問が浮かんだのだが、すぐに自分が先程買った新刊を抱えていることに気がついた。

 ──なぜ、すぐにしまわなかったのか……!

 しかもご丁寧に表紙を見せており、これではタイトルが丸わかりだ。心の中で盛大に反省会を開く優月をよそに、浬は盛大なため息をついた。

 それが優月の心にかすかな傷をつけ、肩を震わせる。

「ひ、引くなら、ご自由にどうぞ……!」

 咄嗟に叫んだ優月の言葉に、浬はうんとひとついた。

「ここのサークル主さんの作品、原作の解釈がいいですよね。お話もおもしろいですし、手に取る気持ち、とてもわかります」

 想定していた言葉とは違う内容に、優月の思考が止まった。

「……え?」

「え?」

 思わず、浬と顔を見合わせる。

 そもそも、どうして彼はここにいるのだろう。──と、疑問が浮かぶ。

「…………ところで浬さん。今日は仕事だったはずでは……?」

 それとも、その格好が仕事とでもいうのだろうか。

 そう言いたい気持ちを堪える優月に、固まっていた浬が何かに気づいたように口を開く。

「そういう優月さんこそ、今日は昔の友達と会う……と、いうのは、もしかして」

「サークル主ですが何か……!!

 言われるよりも先に、言ってしまおう。

 逆に腹をくくった結果、優月は望んでこの場所に来たということを、自らバラすという清々しさを見事に発揮したのだった。

 それも、必死に自分の趣味を隠していた相手──自分の夫に。

 これは、式も挙げていない仮面夫婦のふたりが、趣味バレをきっかけに恋愛へと発展するお話である。

 ──たぶん。

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