奥手なエリート御曹司が目覚めたら、溺愛がとまりません!

久保ちはろ

一章 憧れの上司に(ある意味)告白されました。 (3)

 もちろん、詳しく聞きたい。

 課長と一緒にいるのはあと一ヶ月だけど、彼のことは少しでも多く知りたい。

 早く、早くと全身で手招きしつつ、ポーカーフェイスを保っていると、飯島は笑んだ。

「そう。大学院卒業して、入社して、すぐに『現場見ておけ』ってハノイの工場に飛ばされて。二年も経たないうちに『ISOやるぞ』って、東京に呼び戻されたんだ。うちは製造だから、環境関係のISO14001の規格は取得してあったけど、9001の方はなかなか進まなくて、で、今年いきなり」

(そうかあ。やっぱり大企業は大学院を出て、早く課長に就けても、そこからの出世は厳しそう)

 それなら、彼のハードな働きぶりにも納得がいく。

「北村さんもその助っ人でうちに派遣されたんだよね?」

「はい。アイ・エス・オー……国際標準化機構って初めて聞いたので、一緒に勉強させていただきました。その企業のサービスを世界中同じレベルで提供する国際基準ですよね?」

「そう。それにあたる日本の国家規格がJISなんだけど、やっぱり、うちは海外でもこれからもっと発展させていくのが課題だからね。国際規格を取得するのは最低限だ。将来、環境問題はさらに厳しくなるだろうし」

「大手さんはそこまで考えるって、すごいですね……」

「リードする側の意識が変わらないと、いつまでも下は変わらないからね」

「意識が変われば行動が変わり、行動が変われば習慣が変わる、習慣が変われば人格が変わる、人格が変われば運命が変わる、ですね」

「そう、それ。よく知ってるね。心理学者、ウィリアム・ジェイムズの言葉と言われているけど、北村さん、心理学に興味あるの?」

「いえ、前に派遣された会社の社長の座右の銘です。週二回の朝礼で、社員全員、言わされたんです、それで」

 希美がはにかみながら、その大手金融会社の名を出すと、飯島は腑に落ちたように頷き、グラスに視線を移して呟いた。

「北村さんは仕事の手際もいいし、それに、男性社員の人気者だよね」

「そんなことないですよ」

 話題が急に転じたことに驚きつつ、白々しいのを百も承知で否定した。

「いや、実は北村さんとデートしたって、社内でうちの部にとどまらず、男性社員が自慢してるのをよく聞くし……。企画部長とも食事に行ったんだって?」

 ん? 食事? 企画部の飲み会に連れ出されたことはあるけれど。部長はなんて話してるんだろう。

「結婚相手を探しに派遣を選ぶ女性がいるって聞くし、北村さんもそうなのかな、って最初は思ってたけど」

「ひどいですー」

 希美は唇を尖らせた。

 むしろ、その逆だ。男がらみで、面倒に巻き込まれたらいつでも辞められるように、本意ではないが「派遣」という選択肢を取ったのだ。

 短大卒業後、希美は新卒枠で中堅IT企業に採用された。だが、そこでセクハラにあった。総務課に配属になってしばらくしてから、企画部部長に下品なことを冗談交じりに言われるようになり、軽くしていたら、そのうち飲みの誘いがしつこくなった。ずっとごまかして逃げていたのに、あまりに執拗で、仕方ないので食事を付き合ったが、それから誘いがエスカレートした。メールや家の近所での待ち伏せ。

 怖くなり、勇気を出して人事課に相談したが、『今のところ異動は難しい。注意はするが自衛もしてくれ』と跳ね返されて、悩みに悩んだ末、辞職した。

 そのことを飯島は知らないはずだが、社内の噂に彼も自分を「軽い女」と思っていた。

 希美は「やっぱり」と「がっかり」を同時に感じ、肩を落とした。

「申し訳ない」

 急に耳に入ってきた改まった言葉に希美が振り向くと、飯島が首を垂れていた。

「えっ、そんな。謝らなくても、全然……顔を上げてください」

 ぱたぱたと顔の前で手を振ると、飯島は体裁が悪そうに、相好を崩した。

(わ、課長、こんな風に会社で笑ったことないよね。可愛いっ)

 希美は、瞬時、今日ここに自分を放置した男に初めて感謝した。

「口が過ぎてしまった。北村さんの噂話は華やかなものばかりだから、つい。でも、他の女子社員ともいい雰囲気みたいで、フロアに活気があるのは確かだ」

「そんなことないですよ……」

 最後のはフォローと知りつつもさすがにそこまで言われると、くすぐったい。自然と緩んでしまう口に、グラスをつけた。

「それで……北村さんは、高木さんとも仲がいいよね」

 その唐突な飯島の一言に、希美の高揚しかけた気持ちが一気にしぼんだ。

 高木沙夜は飯島の着任後、三ヶ月後に事業所から東京支社に異動して来た。新卒入社、二十五歳。希美より年下だが、会社では先輩である。小柄で、華奢で、和風美人。希美が「沈魚落雁」と銘打たれるならば、沙夜は「純情可憐」と言ったところ。肉食系女子のイメージの強い希美を苦手とする、草食系社員の気持ちが高木沙夜に向くことを、彼女の異動直後から薄々感じていたし、実際そうであった。

 どうして課長が彼女の名前を出すのだろう。

 その問いに、かりそめの男女交際にかけては百戦錬磨の希美が答えを出すのは朝駆けの駄賃だった。

 男性が、特定の女性の名前を出して、彼女の近い存在から探りを入れる理由はただ一つ。

 ──その人が気になるから。

 急に、飲んでいたウィスキーの酸味が強くなった気がした。

「仲がいいっていうか、まあ、普通に話しますけど」

「そうか……」

 グラスに視線を落とす飯島の横顔に影が差したように見え、おかげでセクシーさが二割増しになり、気落ちしていた希美の胸は、現金にも一気にときめいた。

(でも、本当に、課長が高木さんを?)

 訊くなと、もう一人の自分が警鐘を鳴らしまくるが、強い好奇心には勝てない。

「どうしてですか?」

「実は、ちょっと気になっていてね」

「気になって、って、就業態度ですか? 高木さん、すごく仕事できるじゃないですか」

 飯島の気持ちに薄々気がつきながら、核心に迫りたくない自分が、わざとはぐらかす。

「いや、彼女の仕事ぶりには目を見張るものがある。一を聞いて十を知る、レスポンスが早い、丁寧だが無駄がない。おまけに語学にも長けている。まだ入社三年目なのに、これからが楽しみな人材だね」

 一気に話して、バツが悪そうに残ったお酒を飲み干した。新しいグラスが来ると、飯島は言った。

「……女性として、意識しているんだ」

 沙夜の長所を淀みなく並べたことが、彼の言葉を裏付けていた。多少の心構えはしていたものの、希美はかなりショックを受けていた。

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