先生に甘くオトナな恋を教わりました
Prologue (1)

Prologue
そのころはまだ、叔父が住む一軒家の玄関扉は、大きくて重く感じられた。
思いっきり体重をかけて、マホガニーの扉を押す。玄関から続く廊下の奥からは、甘いケーキの香りが漂ってきた。幼いわたしはそのたびに、不思議の国のお茶会に迷い込んでしまったような気がしたものだ。
「こんにちはー」
玄関から顔をのぞかせたわたしは、物語の最初のページを開いたときみたいにわくわくしながらあいさつをした。
キッチンから出てきた叔母が、エプロンで手を拭き拭き迎えてくれる。
「いらっしゃい、詩織ちゃん。外、寒くなかった?」
「ううん、ぜんぜん! 今日もご本読んでいい?」
「もちろん。おじちゃんは書斎にいると思うよ、行ってごらん」
「うん!」
わたしは大きくうなずいて、叔父の書斎に向かって駆け出した。
その背中に、叔母が声をかけてくる。
「今日は学生さんがいらしてるからね。学生さんの邪魔しちゃだめよ」
「はーい、わかった!」
はしゃぐ子うさぎみたいに飛び跳ねながら、わたしは叔母に返事をする。
当時、三十代に差しかかったばかりの叔父は、近隣の大学で教鞭を執っていた。
今でこそ、叔父は美術史の研究家だと理解している。
でもそのころは、「おじちゃんは外国の絵のお勉強をしてる人」くらいの認識でしかなかった。なにしろ、まだ八歳だったのだ。
叔父は研究のために必要な資料ばかりでなく、趣味の本、実用書に至るまで、とにかく乱読するタイプの人だったらしい。博識な叔父の家には、たくさんの本があった。
もちろんわたしは、自分の家でも──叔父は父の弟だから、叔父の実家でもあるのだけれど、活字を見る機会には事欠かなかった。実家が、印刷業を営む小さな工場だからだ。
けれど、工場でわたしの大好きな物語の本を取り扱うのは、ごくまれなことだった。
つまり物語の本をたくさん読みたいと思ったら、叔父の家に遊びに行くのが一番いい方法だったのだ。叔父の家の、本の森のような書庫の中には、本屋さんや図書館とはまた違う、宝探しみたいな楽しみもあった。
『詩織は本当に、お話の本が好きだなあ』
わたしが遊びに行くと、自身も本が大好きな叔父は、にこにこ笑ってそう言った。
叔父は叔父で、印刷屋の家業を継がず、家を飛び出て学を成した人だと聞いている。
学業がうまくいっている今となっては、叔父の才能を認めた父や祖父も、彼を応援しているようだ。
が、そのころはまだ双方折り合いがつかず、難しい関係にあったのだろう。
その反動もあってか、学究の副産物である蔵書に目を輝かせ、それを読みたいと訪ねてくる姪っ子を、叔父は特別に歓迎してくれた。
そんな事情がありながらも、もともと面倒見のいい性格の叔父だ。
彼が教える学生たちも、そんな叔父のことを慕っているようだった。
──今日も、いつものお姉ちゃんたちが来てるのかな。
わたしは書斎に向かいながら、そのころはずいぶん大人に見えた叔父の教え子たち、大学生のお姉さんたちのことを思い浮かべていた。
お姉さんたちは、みんな綺麗な洋服を着ていて、花のようにやさしい香りがした。
わたしが書斎に顔を出すと、彼女たちはみんな大よろこびで構ってくれる。
叔父もわたしには甘いから、彼女たちが来ているときは、本は読めるし、かわいがってもらえるしで、いつも以上に楽しい時間を過ごせるのだった。
ところが、その日は。
「おじちゃん、こんにちはー」
書斎のドアを開けても、お姉さんたちの歓声は聞こえなかった。
大きな本棚が並ぶ叔父の書斎、そこにある革張りのソファーに座っていたのは、はっとするほどうつくしい男の人だった。
──……男のひとなのに、すっごくきれい。
艶やかな黒髪に、まっすぐな鼻梁、陶磁器みたいになめらかな肌。
背丈は、わたしが小さかったことを差し引いても高かった。
若木のような体軀を包んでいるのは、落ち着いたネイビーブルーのセーターと、品のいいベージュのパンツ。彼の着ていたものまで覚えているなんて、よほど印象的だったのだろう。こうして思い出すたびに、幼い自分の驚きを思って、口もとがほころんでしまう。
当時はずいぶん大人に見えた彼だって、考えてみれば叔父が勤める大学の教え子だ。いくら年かさだとしても、二十歳そこそこのはずだった。
小さな子には、あまり慣れていなかったに違いない。
その彼は、声も出せずに固まっているわたしと同じに、かすかに目を見開いていた。
「ああ詩織、よく来たね」
叔父の声が耳に飛び込んでくる。
いつもなら、叔父のゼミ生のお姉さんたちが駆け寄ってきて、もみくちゃにされているタイミングだ。
それが今日は、どことなく緊張した面持ちの彼しかいない。
なんとはなしに心細くて、わたしは叔父の足もとにすり寄った。
「三枝先生のお子さん……じゃありませんよね」
彼の声は、見た目の印象よりも大人びて聞こえた。今、彼の声を聞けばきっと、「落ち着いた」とか「甘い」と形容するのだろう。
「ああ、違うよ」
叔父は、まとわりつくわたしの頭をぽんと撫でる。
「詩織、ごあいさつしなさい」
「……はじめまして。さえぐさ、しおりです」
「兄の子なんだけどね。暇さえあればうちの書庫に籠もりに来るんだよ」
言葉とは反対に、叔父の声はうれしそうだ。
「先生に似たんですね。詩織ちゃん、本が好きなんだ?」
甘やかに低い声が、はっきりとわたしの名を呼んだ。
まなざしを向けられて、どきんと心臓が跳ね上がる。本が好きなのは本当だから、こくりと首を縦に振った。
「そうか。僕と同じだ」
彼は大きくうなずいて、わたしと目の高さを合わせるように身をかがめる。
「はじめまして、詩織ちゃん。よろしく」
薄氷のように張り詰めていた彼の美貌が、ふ、と春の陽にゆるむように解ける。しなる弓のように弧を描く目もとに、わたしの視線は吸い寄せられた。
──きれい……。
わたしはそれで、すっかりぽうっとなってしまったようだ。
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