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恋獣。 パーフェクト弁護士に愛されまくりの毎日

麻生ミカリ

第一章 突発的事態に、彼女は弱い (2)

 三名の弁護士の紅一点、羽柴美奈はお昼の情報番組に出演するため、事務所には来ない予定らしい。彼女は三十代半ばとは思えない美貌と、強気な物言いがテレビで人気となり、月に数回ほどコメンテーターとしての出演を依頼されている。

 そして、最後のひとりであり、雛里がひそかに苦手とする事務所のエース、碓氷は──

「おはよう。……朝からずいぶん暇そうだな」

 いつの間に出社してきたのか、ホワイトボードの真横の従業員入り口に立つ男性こそ、司当人である。

「お、おはようございます。あの、今日の皆さんの予定を確認していて……」

 すらりと背が高い彼は、長い手足に細身のスーツ、ネクタイの結び目も美しく、磨き抜かれた靴もセットされた黒髪も、一分の隙のない完璧な立ち姿だ。

 司を前に、雛里は思わず後ずさりしたくなった。無論、椅子に座ったままじりじり下がっていくわけにはいかないので、心もち上半身をそらす程度である。

 何より雛里が苦手としているのは、司の整いすぎた顔だった。

 左右対称の形良い目は、少し目尻が下がっている。それなのに、甘さはまったく感じられず、細い黒ぶちのメガネがいっそうクールさを印象づける。いわゆる、デキる男の代表格とも言えそうな美貌なのである。

 聡明そうな秀でた額に、すっとまっすぐ通った細い鼻梁、いつも真一文字に引き結んだ唇、線の細い輪郭はわずかばかりの神経質さも感じさせた。

 ひとを外見で判断するのは愚かなことだとわかっていても、司の前に出るとどうにも畏縮してしまうのだ。

「何度見たところで、ホワイトボードの文字が変化するわけでもないと思うが、眺めていたいなら好きなだけどうぞ」

 右手の甲で軽くホワイトボードを叩き、彼はさっさと自分の席へ歩いていく。

 ──そっちこそ、朝から嫌みばかり言ってないで大事な大事なお仕事をすればいいじゃないですかっ!

 なんてことは、当然言えない雛里である。

 雛里の身長は、一五五センチ。同年代の女性の平均身長と比較して、そこまで背が低いわけでもないのだが、一八〇センチを超える司に見下ろされると、自分がしゅるしゅると小さくなった気がする。蛇にまれた蛙とは、まさに司に睨まれた雛里のことだ。

 もとより小心者のせいもあり、まだ勤務時間前だと言い返すこともできないまま、雛里は起動したパソコンにログインパスワードを入力する。

 真新しいチャコールグレーの夏物スーツは、軽量が売りだとショップで言われたはずなのに、今は肩が重い。

 業務上、碓氷司と直接やり取りをすることはほとんどないものの、彼はことあるごとに雛里に突っかかってくる──と思うのは、自分の被害妄想だろうか。

 ──ほかのひとには、あそこまで冷たくないというか、そもそも話しかけている姿もあまり見ないかな。

 碓氷司という人物は、先に述べたとおりこの事務所のエースである。それというのも、彼は三十三歳の若さで、いくつもの企業の委託を受けているのだ。

 弁護士には、それぞれ得意分野があり、司の場合は、知的財産戦略や訴訟対策を主として引き受けている。実際に法廷に立つことはあまりない。それどころか法廷まで持ち込まれずに事態を収拾することを得手とし、その分野で非常に有能だというのだから引く手あまただ。特に、急成長を遂げている企業からの指名が多く、彼はいつでも忙しい。

 実務の面では、最も多忙な司ではあるが、冷静沈着な態度とまっすぐに伸びた背筋は、いっそ優雅にすら見える。午後の光が差し込む事務所で、コーヒーカップを片手にパソコンの液晶を眺める姿など、まるでドラマのワンシーンだ。

 ──まあ、今は朝だけど。

 と、そのとき。

「高橋さん」

「はいっ」

 突然、司に名を呼ばれて、雛里は椅子から飛び上がるほど驚いた。考えが筒抜けだったはずはない。だが、もしかしたら何か口に出していたのでは──

 にもにも、半ば駆け足で司の席へ向かう。もしかしたら、司のパラリーガルから提出された支出書類の処理を間違えたのか。それとも、先日頼まれて準備しておいた印紙の金額が違ったのか。

「なんでしょうか?」

 彼の机の前に立つと、まるで先生に叱られる覚悟の小学生のように、雛里は直立不動で顎を引く。

「これ」

「……は」

 はい? と疑問形で返事をしそうになって、さすがにそれはまずいと口をつぐんだ。

 司は、ろくに説明もしないまま、小さな紙袋らしきものを差し出している。よく見れば、それは市販の花の種だ。

「ベゴニア……ですね」

 パッケージには、真っ赤なベゴニアの写真が印刷されている。

 雛里のひそかな趣味は、アパートの小さなベランダでプランター栽培をすることだが、それを職場で言ったことはない。絶対とは言い切れないが、少なくとも司とその手の話題に花を咲かせたことはなかったはずだ。

「先日、加羅久楽産業でもらったものだ。別にきみのためにわざわざ買ってきたわけでもないから、もらっておけばいい」

「はい。では遠慮なく」

 両手でしく受け取って、さらに複雑な気持ちが募る。

 高橋雛里は、碓氷司が少し苦手である。

 けれど、ときどき思い出したように優しい素振りを見せる彼のことを、もしかしたらいいひとなのかもしれないと思う瞬間もあって。

「両手で温めたからといって、芽吹くとは思えないけど。それとも、卵と勘違いでもしているのか? それは花の種だぞ」

 美しい眉間にきゅっと縦皺を二本刻んで、司は怪訝そうな顔でこちらを見つめている。

「わ、わかってます。ありがとうございましたっ」

 雛里は、彼の視線から逃れるようにして自席へ戻った。

 だから、彼女は知らない。

 彼女が背を向けたとたん、司がもとより下がり気味の目尻を下げていたことなど、知る由もない。



 それは、昨冬のことだった。

 高校を卒業し、東京都国分寺市にある情報経理専門学校に進学した雛里は、内気な自分をよく知っていたため、一年目の秋からインターンシップの申し込みを始めた。就職活動には、少しでも早めの取り組みが大事だと入学時に教わっていたからだ。

 けれど、結局二年の冬になっても内定は決まらず、その日も面接の帰りにしゅんと肩を落として歩いていた。

 折しも街はクリスマス一色。

 新宿駅へと向かう道すがら、楽しそうな人々の姿を目にするたび、雛里の心はのように重くなっていく。

 このまま、卒業するまで就職先が見つからなかったらどうしよう。実家に帰ったところで、少し経理ができる程度ではそうそう仕事など見つかるまい。

 雛里を心配する母が、数日に一度は電話をしてきて、「あんだ、面接どうだの?」と尋ねてくる。最初は励ましてくれる母に元気よく答えることができたものの、秋が過ぎ、冬がやってきてからは、電話に出ることがつらい。

「まだ決まんない。んだっけ、面接は毎日行ってるっちゃ」

 山形県と宮城県の県境に育ち、山形出身の父と秋田出身の母、そして宮城出身の祖母と暮らしてきた雛里は、東北三県のトリリンガルである。実家の母と電話で話すときは、つい方言が出るのだ。

 ──……ほんとうに、このまま決まらなかったらどうすればいいんだろう。就職浪人したところで、今より条件がよくなるとも考えにくい。

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