不埒に甘くて、あざとくて アラサー女子と年下御曹司

玉紀直

プロローグ




プロローグ




 ──彼は、小さくて細くて、女の子みたいにかわいくて……

 真ん丸な目をキラキラさせながら、いつも私と手をいで歩いていた。

 ……はずだった……

(これ……、誰?)

 松園千鶴は、くっきり二重ましいと同僚に言われる目をぱちくりとさせ、目の前に立つ端整な相貌の青年を凝視する。

 顔合わせの場所として指定されたのは、外資系高級ホテルの一階にあるカフェだった。 外に面した壁は全面がガラス張りで、品のよいシャンデリアが輝く内装は上品な豪華さがある。

 なんとなく自分には場違いだという思いをかかえながらテーブルについていた千鶴は、目の前に現れた青年に声も出ない。

 何センチあるのと聞きたくなる長身、上質なスーツがとてもよく映える体軀を持つ彼は、高雅なこの場の雰囲気にすっかり溶けこんでいる。

 切れ長の目元は涼しげで理知的だが人間的に冷たい印象を与えない。温和怜悧とはこういった人物を言うのだと思わせる美丈夫だ。千鶴が勤める地方銀行の窓口にいたのなら、きっと女性客ばかりが列を作るに違いない。

 冗談ではなくそう思う。実際、遊んでいる女なんだろうと根も葉もない噂をたてられてしまうほど美麗な容姿を持つ千鶴だって、彼女目当ての男性客がわざと窓口にやってくる毎日だ。

 二十九歳の千鶴より大人っぽく見えるが、彼は二つ年下の二十七歳であるはず。

 おまけに……

「お久しぶり。千鶴さん」

 穏やかに微笑む唇から紡がれるその声は、低く男らしく、とても耳当たりがよい。

 彼からそんな呼ばれかたをするのは初めてだ。動揺した千鶴は、なにも考えず彼を呼ぶ。

「お……お久しぶり……。あっくん……」

 直後、隣に座っていた妹の菜摘に腕をぺしっと叩かれた。

「お姉ちゃんっ。いい歳して『あっくん』はないでしょうっ」

「あっ……」

 言われてハッとする。確かに、年上に見えるくらい落ち着いたこの青年を「あっくん」呼ばわりはあまりにも失礼に思える。

 しかし彼──須賀沼篤志は座ろうとしていた向かい側の席からわざわざ千鶴の横へ来ると、身を屈めてちょっと子どもっぽくふわりと微笑んだ。

「会いたかったよ。『ちーちゃん』」

 ──記憶がよみがえってくる……

 千鶴の中で、忘れようと必死になって、心の奥に閉じこめていた小さな男の子の思い出が。

 いつもかわいい笑顔で「ちーちゃん」、そう言ってついてきた男の子だった。

 声が変わっても、背が伸びても、表情が大人びても、彼は潜在的な面影を千鶴にくれる。

「あっくん……」

 宝物のような想いが戻ってきたような気がして、千鶴は感動のあまりもう一度篤志をそう呼ぶ。

 十七年ぶりの再会に見つめ合う二人を微笑ましく、また照れくさく感じたのか、菜摘はおもむろに立ち上がった。

「じゃあ、あたし行くわ。息子もお母さんに預けたままだし。あとはお二人でどーぞ」

「なっ、なつみちゃんっ」

 助け舟がいなくなってしまう気配に、千鶴は眉を寄せてオロオロする。

「なーに情けない声出してんのよ、お姉ちゃんは。久々に弟分と再会したんじゃない。……まあ、もっとも……」

 弱気な姉をす妹は強気だ。威勢のよさそのままに篤志へ顔を向け、冷やかすようにニヤリとする。

「今回は、〝弟分〟として、じゃないけど」

「気に入ってもらえるように、頑張るよ」

 さほど対抗するわけでもなく、篤志はサラリと返す。年齢的に菜摘は篤志より一つ年下だが、幼いころは対等に遊んだ記憶があるせいか久々の再会であるにもかかわらず同学年の友だちのように砕けた雰囲気があった。

 そうすると、緊張して今日に臨んだのは自分だけなのだろうか。千鶴は少し情けなく思いながらも、それをなんとか顔に出さないよう努め、席を離れる菜摘を見送った。

(それにしても、あっくん……本当に男らしくなったなぁ……)

 自分の横に立ったままで同じように菜摘を見送っている篤志をチラリと横目で探り、千鶴は彼の横顔から目が離せなくなる。

 目はあんなに切れ長だっただろうか。鼻はあんなに高かっただろうか。髪もしっかり整えていて、表面上は幼なじみだった小さなころの面影などないような気がする。

「……ちーちゃん」

 そんなことを考えていた矢先、男性っぽい引き締まった唇から出た声に、千鶴はドキリとする。

 先程呼ばれたときより、少し甘えたかわいらしさを含んだ声だったからだ。

(あっくんだ……)

 再確認すると、千鶴に幼いころの温かく柔らかな気持ちがよみがえる。──小さな男の子。千鶴にべったりで甘えん坊で。弟というより、って守ってあげなくちゃと思わせるかわいい存在だった。

 そんな篤志はテーブルの上にあった千鶴の手を取ると、柔らかな視線を向ける。

「じゃあ、せっかくだし、ゆっくり話でもしようか」

「え……ええ……、久しぶりだものね。あっ、あっくん、コーヒーかなにか……」

 取られた手の大きさにドキドキする。男性に手を触られて、こんな気持ちになるのは初めてだ。

 オーダーをするためにカフェの従業員を呼ぼうと手を上げかかった千鶴だが、それを篤志が制した。

「いや、いいんだ。ここじゃゆっくり話もできない。部屋を取ってあるから」

「……え?」

 目をぱちくりとさせる一瞬のあいだに、篤志が伝票を取る。握られていた手を引かれ、そのまま立ち上がってしまった。

「……へ……や?」

 まさかの言葉に、笑んだ唇を戻せない。千鶴の反応を見た篤志は一瞬不思議そうにするが、さほど気にする様子もなく微笑んだ。

「十七年ぶりだよ。それも、今回は幼なじみとしてじゃなく、婚約者としての再会だ。お互い大人なんだし、立場を考えても当然だろう?」

 千鶴は口元の笑みが固まるのを感じる。これは、女性としての危機感が生じた際に起こる反応だ。

(ま……さか……、大人だし当然、っていうのは……、もしかして……)

 これから起こるのかもしれない出来事を想像しようにも、恥ずかしくてできない。動揺する千鶴に、篤志は彼女にとって意識が吹っ飛んでしまいそうな爆弾を落とす。

「正式に婚約するにしても、身体の相性、っていうか、セックスの相性っていうのは物凄く大切だから。確かめておかないと」

「セッ……!」

 頭のてっぺんでバンっと風船が弾けたかと感じる衝撃に続き、千鶴はいきなり熱湯を浴びせられたかのような熱に襲われる。

 突然、なんてことを言ってくれるのだろう。

 泣き虫で、いつもくっついてきていたかわいいかわいい〝あっくん〟が。

 まさかこんな、千鶴が苦手な言葉ばかりを使って男女の関係を迫るとは。

「そうだろう? 千鶴さん?」

 顔を近づけ口角を上げるその表情は、しさとっぽさが漂う大人の男そのもの。

(あ……あっくん……?)

 顔どころか、身体中が恥ずかしさで熱い。

 篤志に握られている手の先まで熱くなって、おまけに小刻みに震えだした。

 そして千鶴は、ハッと気づく。

 目の前にいるのは、あの、かわいい〝あっくん〟ではない。

 千鶴が太刀打ちなどできなくなった、大人の男性だ。

 ──松園千鶴。二十九歳。……まだ、処女。

 なんたることか、「お見合い」から数分で、貞操の危機──

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