ハツコイ婚 幼なじみの御曹司社長に熱烈プロポーズされました。

御堂志生

第一章 社長、出奔!? (3)

 アッシュベージュのセミロング、ふわりとしたワンカールを揺らし、フェミニンな色合いのファッションを好んで着ている。

 そんな朱音は見るからに可愛らしい雰囲気の女性だ。バリバリと仕事のできるタイプではないが、人当たりがいいので女性社員の評判もいい。

「お、おはよう。ごめんなさい。ちょっと考えごとをしていて」

「やだ、もう、しっかりしてくださいよ! でも、今日のファッションは気合い入ってますよねぇ。大事な日ですもんね。バッチリ決まってますよ!」

 六歳も年下の彼女に感心するように言われては、なんと答えたらいいのかわからない。一応、めてくれているのだろうとは思うが……。

「それは、どうも、ありがとう。ちょっと、社長の出社が遅れそうなのよ。そのことが気にかかっているだけだから」

 藤花がよけいな心配をかけないように答えると、朱音はさも可笑しそうに笑った。

「は? 冗談はやめてくださいよ、朝海さん。社長だったら、もう社長室にいらっしゃいましたよ」

「……!?

 朱音の返答に、藤花は息を呑んで固まった。



   ☆ ☆ ☆



 ノックもせずに、藤花は社長室に飛び込んだ。

「社長! エイプリルフールには一ヶ月も早いですよ! それも、こんな大事な日にふざけるなんて、社長らしくありません!」

 朱音の言ったとおり、湊人は社長室にいた。

 都内を見下ろすように窓辺に立っている。ダークグレーのスーツに包まれた広い背中が見えた瞬間、藤花はわけもなく違和感を覚えた。

 だが彼らしくない行動に対するりが先に立ち、違和感は棚上げして、怒鳴りつけてしまう。

「社長──いえ、湊人! いったい何を考えているの!? この五年間、対外的な実績を重ねて、ようやく会長に一矢報いるチャンスなんじゃない。それなのに、しばらく戻らない、捜さないでくれ、なんて、冗談でも言うべきことじゃないわ」

 藤花が何を言っても、湊人は言い返すどころか振り向く気配もない。彼女の中で、最初の違和感がどんどん大きくなっていく。

「それとも何か問題でも起こった? だったら説明してくれてもいいんじゃない? ねえ、湊人……湊人?」

 社長室を横切り、名前を呼びながら腕を摑んだ。

 すると、彼はゆっくりと振り向き、

「……藤花」

 れた声で藤花の名前をいた。

 耳に滑り込んでくる聞き慣れた声──だが、すぐさま、それが〝いつも聞いている声〟のほうではなく、〝遥か昔に聞いていた声〟のほうであることに気づく。




 藤花は慌てて彼の顔を正面からみつめる。

 黒曜石をはめ込んだような瞳が、思わせぶりにこちらを見下ろしていた。

 心臓がトクンと弾け、たちまち息苦しくなる。

「あなた……湊人じゃなくて、隼人でしょう? どうして、あなたがここにいるの?」

 胸の奥から息を吐き出すようにして尋ねた直後、目の前の男性は相好を崩し、声を立てて笑い始めたのだ。

「受付からここまで、重役も秘書も、みんなコロッとされてくれたんだけどなぁ。さすがに、おまえだけは騙せないか」

 不覚にもその笑顔に見惚れそうになり、藤花は急いで隼人から手を放した。

「あ、当たり前じゃない。わたしが、あなたと湊人を間違えたことがある?」

「──一度だけあるじゃないか」

 その返事に藤花の鼓動は早鐘のように打ち始める。

「覚えてない」

「俺は覚えてる。──黙ってキスされたのは、湊人と間違えたからだって、おまえが言ったんだ」

「そんな……高校生のときの話じゃない。いつまで言ってるのよ」

「しっかり覚えてるじゃないか」

 的を射た指摘に、藤花は十代の少女のように赤面して口を閉じた。

「どうしても覚えてないと言い張るなら、ここで思い出させてやろうか?」

 そんな軽口をきながら、彼はスーツのボタンを外しつつ、一歩、また一歩と藤花に近づいてくる。

「こっ、ここは、仕事場なんだからっ! 妙なこと、か、考えないで」

「堅苦しいこと言うなよ。湊人と付き合って何年目だ? ガキじゃあるまいし、このオフィスでもそれなりに楽しんでるんだろ?」

「それは……」

 社長の湊人と秘書の藤花は恋人同士──それは社内外で公然のことになっていた。

 その原因を作ったのは湊人だ。

 彼が社長に就任した直後、一気に縁談が増えた。会長の東三郎も、織方家の嫁にふさわしい女性を、と次々に連れてきたのである。

『父さんが……社長が急死したんだ。会社が落ちつくまで、新社長が結婚なんか考えてる場合じゃないだろう? 頼むから、仕事に集中させてくれ』

 そう言って湊人は断り続けた。

 だが、洋之が結婚するときに思いどおりにならず、不仲のままひとり息子をった東三郎は、なに引き下がろうとしなかった。

 それにりかねた湊人は、縁談を断るためにとんでもないことを口にした。

『実は、藤花と付き合ってるんだ。仕事に慣れるまで、ふたりとも結婚は考えてない。でも、何がなんでも結婚しろと言うなら、僕は藤花と結婚する』

 藤花は織方家の後継者である湊人の妻にふさわしくない。東三郎がそう思っているであろうことを、周囲の誰もが知っていた。

 湊人もそれを承知で、わざと藤花の名前を挙げたらしい。

 すると思惑どおり、東三郎は藤花との仲に反対し、しばらくの間、結婚はかさないことを約束してくれたのである。

(隼人は誰かから、わたしたちが付き合ってるって話を聞いたんだわ。でも……)

 昔から、隼人も含めて三人は仲がよかった。よく、『どっちが本命?』と聞かれたものだ。隼人がいなくなり、ふたりきりでいることが多くなると当然、誤解された。

 だが、湊人との仲が友だち以上に進展したことは……いや、進展しかかったことすら一度もない。

 事実とはかけ離れているのにもかかわらず、藤花は湊人の勝手な恋人宣言を否定しなかった。

 理由は、恋愛感情とは遠いところにある。

 かつて、朝海家は織方家と対等な立場にあるお隣さんだった。台所事情は、高級住宅地に住むセレブというには厳しかったが、それでも、父は三代続く保険会社、朝海生命の社長をしていた。

 しかし、藤花が大学在学中、大手の保険会社同士の合併や、外資系保険会社の参入で朝海生命は経営不振に陥り、倒産に追い込まれたのだ。

 会社が潰れ、先祖代々の土地家屋まで手放さざるを得なくなる。

 そんなとき、湊人たちの父、洋之が朝海家の土地家屋を購入し、朝海家に管理を任せる形にして、そのまま住めるようにしてくれたのだった。

 藤花の両親は洋之に対して大きな借りがある。

 その思いは、洋之の息子である湊人に対しても同じだった。

『結婚なんてことは、会長がお許しにならないだろう。でも、湊人くんが望んでいて、おまえも納得しているなら、彼の力になってあげればいい』

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