ハツコイ婚 幼なじみの御曹司社長に熱烈プロポーズされました。

御堂志生

第一章 社長、出奔!? (2)

 そして三人が二十歳になったころ、藤花は湊人から相談された。

『会社経営に興味はあるけど、じいさんの操り人形にはなれそうにない。大学を卒業したら、家を出ようと思っている。隼人にすべてを任せたい。でも、押しつけられたと思って、僕のことを恨むだろうか?』

 見た目はそっくりで能力も均等だが、隼人と湊人は少しだけ性格が違う。

 相手のことを気遣い、立ち止まることができるのが湊人だ。隼人のほうは、相手を気遣いながらも、自分の思うとおりに走って行ってしまう。

(そうよ。隼人のことを気にして湊人は悩んでいたのに、そんな気持ちも完全に無視するんだもの! とんでもない奴だわ)

 九年前、湊人から相談を受けた直後、隼人は大学も卒業せずに家どころか日本まで飛び出して行った。

 数年後、アメリカの大学を卒業したと聞くが、今はどこに住み、どんな仕事をしているのか、さっぱりわからない。

(べつに、わたしに連絡を寄越せってわけじゃないけど……。湊人も話題にしないってことは、あの隼人のことだから、家族にも連絡を取ってないんでしょうね)

 自分勝手としか思えない隼人を責めることもせず、湊人は兄弟揃って家を出るわけにはいかないと言い、大学卒業後は織方製菓に入社した。

 同じ年に女子大を卒業して藤花も織方製菓に入ったのだが、それにはまた、別の事情があり……。

 そんな藤花が隼人と最後に会ったのは五年前のことだった。

 ふたりの父親、洋之の葬儀が行われた数日後、隼人は帰国した。洋之の死は突然のことで、隼人が訃報を受け取ったのは葬儀のあとだったという。

 手伝いのため、織方邸に出入りしていた藤花は、四年ぶりに隼人の顔を見た。

 彼は想像どおりの男性になっていた。遠く離れているうえ、全く違う生活を送っているはずなのに、彼女が一緒に働いている湊人と同じ、凛とした空気を身にっていたのだ。

 ただ、双眸に宿る力だけは、湊人とは違って揺るぎない強さを感じた。

 そんな隼人だったが、『父親の葬儀にも戻ってこない親不孝者』──東三郎から心無い言葉でられ、彼はとくに言い返すこともせず、翌日には姿を消していた。

 そのときの経緯から、東三郎も完全に隼人のことは諦めたようだった。

 東三郎は洋之の後任に湊人を指名。しかも、最初は取締役からという周囲を説き伏せ、いきなり社長に推したのである。

 だがそういった状況を、湊人が歓迎していたかどうかは……。

 彼はわずか二十四歳で百年近く続いた会社と、千人を超える社員とその家族の生活を背負った。そして泣き言のひとつも言わず、黙々と業績を伸ばしてきた。

 この五年間、湊人と東三郎との関係が良好だったとは言いがたい。

 一番は、会長として最前線からは身を引きながら、経営権を盾に、いまだに経営方針に口を出してくる東三郎に責任があるように思う。

 海外の企業との提携といった企画が上がるたび、東三郎は自分の経営方針とは違うと言い、強硬に反対を繰り返すのだ。

 重役陣は全員が高齢で、しかも東三郎のシンパばかり残っていた。そのせいで、社長でありながら、湊人にとってはストレスの溜まる日々だっただろう。

 だが今回ばかりは違った。水面下での交渉を含む五年の月日をかけ、やっと今日の仮契約までぎつけたのである。

 直営店での販売しかせず、ヨーロッパ以外には出店しないと宣言していたイタリアの高級チョコレートブランド〝アマーティ〟。そのアマーティ社から、次期社長の呼び声が高い副社長のラウロ・スカルラッティがこの仮契約にやって来る。

 その席にこの業務提携の最高責任者である湊人が出席しないわけにはいかない。

(十時には来られるのよね? 一時間くらいなら……最悪、午前中いっぱいならどうにかできる、かも……。でも、それ以上になったら、どうやってごまかすの?)

 スマートフォンから湊人に電話をかけるが、何度かけても留守番電話の無機的な応答メッセージが流れてくるだけだ。

 藤花がその虚しい行為を繰り返しているうちに、エレベーターは二十四階建てビルの二十四階に到着してしまう。

 扉が開いた瞬間、彼女の目の前に開放的な空間が広がった。

 最上階には社長室をはじめとした社長専用の応接室、秘書室などがある。そして重役室の並ぶ二十三階が重役階と呼ばれていた。

 その重役階の中央フロアは最上階までの吹き抜けだ。天井部分には天窓が取り付けられ、今朝のような晴天に恵まれるとふんだんに光が射し込んできて、いばかりだった。

 そんな朝の陽射しに包まれながら、藤花は途方に暮れる。

 とりあえず、直接話を聞くことを諦め、こちらの問いかけに答えやすいように、とメールに切り替えた。

【しばらくとはいつまでですか? 午後には戻っていただけますか?】

【今日は仮契約の日です。至急ご連絡ください】

【休暇を取られるなら、仮契約を済ませたあと、スケジュールを調整させていただきます。どうか、今日だけはお戻りください】

 思いつくままに打ち込み、とりあえず送信する。

 スマートフォンから視線を上げると、いつもより視界が広がって見えた。ほんの少し考え、足元の真新しいハイヒールに目を向ける。

 今日の藤花は社長の第一秘書として、イタリアの一流ブランドに身を包んでいた。

 上半身の凹凸をなぞるようなラインを描くテーラードジャケット。ジャケットが黒なので、重くならないように膝上のタイトスカートとインナーはグレーだった。腰まである長い黒髪はアップにして、隙のないヘアスタイルを作っている。

 そして、仕上げに八センチもあるハイヒールを履いていた。

 もともと一六八センチもある藤花の場合、普段は五センチ以下のヒールしか履かないことにしている。なぜなら、年配の男性は若い女性に見下ろされることは好まないからだ。取引先の重役は年配の男性が多く、そのほとんどが藤花より低い。当然、いつもは可能な限り小さく見せようと努力していた。

 だが今回ばかりはわけが違う。

 相手は長身のイタリア人男性ばかり、見た目で対等に渡り合えるのは、我が社では湊人だけだ。

 その湊人を少しでもバックアップできるよう、藤花も長身を活かしたファッションに決めてきたのだが……。

 全く返信のないスマートフォンの画面に視線を落とし、さらにメールを打ち込もうとしたとき、ふいに声が聞こえた。

「朝海さんっ!」

 大声で名前を呼ばれ、ハッとして振り返る。

 そこには、昨春入社した秘書課の新人、村雨朱音が立っていた。

「あ、えーっと、村雨さん、どうしたの?」

「どうしたじゃありませんよ。さっきから、おはようございますって言ってるのに……朝海さんたら、朝からどうなさったんですか?」

 今日の藤花より十センチほど低い位置から、こちらを見上げながら言う。

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