玉の輿婚! 腹黒な御曹司と結婚したら愛されすぎて困っています

希彗まゆ

第一章 めちゃくちゃすぎるプロポーズ (2)

 ちいさなころは、ファーストキスをされた直後から緑里さんと口をきかなかったりできたけれど、それも一年ほど。ちいさなころだからこそ、できたこと。おとなになり、はっきりとした主従関係ができてからは、わたしからわがままを言うことはできなくなっていた。

 緑里さんは遅くまで仕事をがんばっているらしく、敏則おじさんより帰りが遅い。午前〇時をすぎるなんて当たり前で、敏則おじさんや奥さまである雪子おばさんと一緒にお夕飯ということもなくなった。

 夕食を運んでこようとしても、「いらない、食べてきたから」と言われてしまう。

「ほんとに食べてきたんですか?」

 緑里さんのことだから、強がっているだけなのかもしれない。

 そう疑って尋ねると、

「少しでも痩せたら兄貴がいきなり復帰してくれたときとか、入れ替わるとき困るでしょ? 昨日俺が影武者として出社した『飛鳥井蒼馬』が今日になって健康的な体格に戻ってたとか、おまえ一晩でどれだけ食ったんだよって話だしね」

 まあそれも面白そうだけど、と、疲れたように笑う。

 ──こんなの、ほんとの緑里さんじゃない。緑里さんの笑顔は、もっと屈託がないのに。悪戯っぽく笑ったりもするのに。

 いまの緑里さんには、そのどちらもない。いまの緑里さんには、きっと「自分に戻る」余裕もないんだ。

 そう気がついてしまうと、胸がぎゅうっと締めつけられた。

 今日は緑里さんが帰ってくる前に、改めて鏡を見た。

 わたしは小柄なほうで、身長も高いとは言えない。双子が背が高いほうだから、並ぶとなおさらちいさく見える。わたしの頭が双子たちの肩のあたりにくるほど身長差がある。

 黒い髪はの下あたりまでで、あちこちくるくるっと変なふうにくせっ毛がある。両親ともストレートの髪なのにどうしてだろうと悩んだ時期もあった。お母さんが言うには、「わたしのお母さん、あなたのおばあちゃんが天然パーマだからね。中途半端に受け継いでしまったのね」ということらしい。

 くせっ毛もかわいいわよ? とお母さんは言ってくれる、けれど。

 ストレートならストレート、天然パーマなら天然パーマのほうが、髪をかわいくセットしやすい。ちょっとだけ、わたしのコンプレックスだった。

 視力もあまりよくないから、わたしは常に眼鏡をかけている。黒い縁取りの、なんのかわいげもない眼鏡だ。

 裸眼でも見えないことはないけれど、視界はどうしてもちょっとだけぼんやりとしてしまう。それがもどかしくて、眼鏡を愛用していた。

 見た目だけでも、双子とは違う。

 だけど、わたしにできるだけのことはしたい。

 ぱん、と両手で頰を叩き、気合を入れた。

 そしていつものように、緑里さんの部屋の掃除をしたり、洗濯をしたりした。

「あかり。まだいたの?」

 今日もぼんやりウッドチェアにもたれかかっていた緑里さんは、わたしの存在にようやく気づいた。

 今日こそは少しでも元気を出してもらおうと、少しでもよく眠ってもらおうと、わたしは部屋に残らせてもらっていた。

 気がついてもらったのをいいことに、用意していたものをローテーブルの上からとり、歩み寄る。そばに立って、そのふたつを差し出した。

「あの、これ……よかったらもらってください。初めてだったので、うまくできませんでしたけど。いらなかったら適当に誰かにあげてもいいし、捨てちゃってもいいです。こっちはホットミルクです。いま作ったばかりなので、まだあたたかいと思います」

 緑里さんのお部屋は相当に広い。ちゃんと測ったことはないけれど二十畳くらいはあるんじゃないだろうか。簡易ながらもわりとしっかりしたキッチンや冷蔵庫などもそろっていて、この部屋だけでも生活しようとすればできると思う。

 だけどそれも、形だけ。

 それらが実際に使われているところを、わたしは見たことがない。

 緑里さんの部屋の掃除ももちろんわたしの仕事のひとつだったから、キッチンも冷蔵庫もきちんと手入れもチェックもしている。だから衛生的には大丈夫で、いつでも使える状態ではあった。

 冷蔵庫の中になにも入っていないのを知っていたので、お邸の厨房から専用コックさんに許可をもらい、わけてもらった牛乳を入れさせてもらっていた。一緒にもらってきたはちみつは、キッチンに置いておいた。

 ホットミルクはできたてがいいと思ったから、緑里さんが帰ってきてお風呂から上がってから作ったのだ。

 緑里さんは、わたしが差し出したものとホットミルクとを交互に見て、少し驚いたようだった。

 薄茶色のストレートの髪はさらさらで、少しだけ見開いている目もきれいな薄茶色。

 最近はっているように見えたその瞳に、ほんの少し光が灯っている。それを確認して、ほっとした。

 よかった。まだ緑里さんの中には、光がある。もしかしたら元気になってくれるかもしれない。

「そういえば、いい香りがしてた。夢だと思ってた」

「ちゃんと現実です。ほんとに疲れてるんですね」

 はい、とホットミルクと袋状のあるものを、半ば強引に押しつけた。

 緑里さんはホットミルクをひと口、飲んでくれた。ちょっとだけ微笑んでくれる。まだ力のない、疲れたような微笑だったけれど、それでもわたしはまた安堵した。

「少し、甘いね」

「はい。はちみつをちょっとだけ混ぜているので。甘いのも、大丈夫でしたよね?」

「うん。けっこう好きだよ。さすがあかりはわかってるね。……すごくおいしい」

 緑里さんは、ホットミルクをゆっくり、ゆっくりと、味わうようにすべて飲み干してくれた。はあ、と息をついた彼は、マグカップを近くのウッドテーブルの上に置く。

 そしてもう片方の手に受け取っていたものを、改めて見下ろした。

「これ、サシェだよね? におい袋。あかりが作ってくれたの?」

「はい。中島さんに教わって……慣れた人ならそんなにかからないらしいんですけど、わたしは三日間もかかってしまって、その……ほんとにへたで申し訳ないんですけど……」

 あまりにも緑里さんがまじまじと見つめてくれているから、ちょっと気が引けてしまう。

 早く緑里さんに元気になってもらいたかった。だから、急いで作った。

 だけどそれにしても初めて作ってみたサシェはどう見ても見栄えがいいとは言い難くて、いまさらになって申し訳なくなってきてしまう。

 すると緑里さんは唐突に、クッとおかしそうに吹き出した。ククク、と喉の奥でこらえたように笑い出す。

「ど、どうしたんですか?」

「だってこれ、刺繡だよね? もしかして、俺の似顔絵? っていうか俺を刺繡してくれたんだよね?」

「あ、は、はい……一応」

「すっごいヘタ!」

「うっ……す、すみません」

 軽快に笑いながら突っ込まれて、しおしおと謝る。ああ、穴があったら入りたい。

 サシェがひどい出来だというのは、自覚していた。

 中島さんというのは古株のメイドさんで、なにをやらせても一番うまい。お裁縫も例外ではなく、お母さんもあいた時間に習いに行っているほど。

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