玉の輿婚! 腹黒な御曹司と結婚したら愛されすぎて困っています

希彗まゆ

プロローグ




プロローグ




 彼は、泣かない人だった。

 いつもやんちゃで明るくて、周囲の人間の気持ちを盛り立ててくれる。

 ちいさなころから、そんな人だった。

 わたし、塩谷あかりは彼──飛鳥井緑里さんの双子の兄、蒼馬さんのことが好きだったのだけれど、なんとなく緑里さんのことも気にかけてしまっていたのは、だからなのだと思う。


 それは、わたしが五歳の誕生日を迎えた夏の、よく晴れた昼下がりだった。

 飛鳥井家でかわいがっていたゴールデンレトリーバーのユエが、寿命で亡くなってしまった。十四歳の、大往生だった。

 緑里さん兄弟は、わたしよりふたつ年上の七歳で。兄の蒼馬さんは、ユエの亡骸を見て、真っ先に泣いた。普段は穏やかなのに、蒼馬さんは泣くときはいつも声を上げてわんわん泣く。このときも、そうだった。

 わたしの両親は、緑里さん兄弟の親御さんが雇い主。住み込みの使用人で、だからわたしも、それこそ生まれたときから緑里さん兄弟と幼なじみとして育った。

 わたしもユエのことがとても大好きだったから、蒼馬さんと一緒に泣いてしまっていた。

 蒼馬さん家族や、都合のつく使用人たち、わたしの両親も一緒に、犬の葬儀屋さんに頼んでお葬式をした。

 ユエのお墓は、蒼馬さんがどうしてもと言って、お邸の敷地内のお庭、その片隅に建てられた。わたしと蒼馬さんは日が暮れるまで、ユエのお墓の前で、ユエって元気いっぱいだったよね、ユエはこんなとき俺を慰めてくれた、最後ちょっと苦しそうだったね、泣きながらそんな話をした。

 夜になってお風呂に入ろうというとき、髪飾りがなくなっていることに気がついた。前日の夜、双子たちと一緒にいった花火大会の夜店で、蒼馬さんが買ってプレゼントしてくれた大事なものだ。

 たぶん、ユエのお墓で落としたんだ。あのとき蒼馬さんは、泣いているわたしの頭を撫でてくれていたから。

 かわいいマーガレットをった、ひらひらとした造花がついたヘアピン。自分でつけたからちゃんとしっかりとまっていなかったのかもしれないし、泣くことにいっぱいいっぱいできっと落としたことに気がつかなかったんだ。

 そう気がついて、ユエのお墓まで探しに行った。

 ユエのお墓は、大きな桜の木の下にあった。まだ名前は彫られていない。だけど、ちいさいけれどきれいで立派な墓石だ。

 飛鳥井家はたいそうなお邸で、お庭のあちこちにもライトが灯されている。だから、夜でも懐中電灯などがなくても、じゅうぶんに歩けるし見渡せる。

 ユエのお墓に歩み寄ったとき、だから、わたしは早い段階で、そこに誰かが立っていることに気がついた。

「緑里さん……?」

 それは確かに緑里さんだった。パジャマにも着替えず、さわさわと夜風を浴びながらしずかに立っていた。

 そういえばわたし、今日は蒼馬さんと一緒に泣くことでせいいっぱいだった。緑里さんがどうしていたか、気がついていなかった。

 ずっとそばにいたことは、なんとなく覚えている。

 でも、彼はずっとしずかだった。ご両親も、「蒼馬、もう泣くんじゃない」とか、蒼馬さんにばかり声をかけていた気がする。それは、蒼馬さんがあまりにも哀しんで泣いていたからだったからだと思うけれど。

 もしかして緑里さんも、泣いているんだろうか。

 緑里さんはわたしの声にはっと気がつき、こちらを向いた。

 その薄茶色の瞳は濡れて潤んでいるようだったけれど、予想に反して泣いてはいなかった。

 そして彼は、にこっと笑った。いつものように、やんちゃな笑顔だった。

「いまさ、ユエと話してたんだ」

「えっ?」

 わたしは、驚いて緑里さんに駆け寄った。

「緑里さん、ユエと話せるんですか? わたしも話したい!」

 けれど緑里さんは、さらりとかぶりを振った。

「それはだーめ。っていうか、むり。ユエが俺だけにこっそり内緒話してくれたんだからね。泣かなかった俺だけにって」

「えーっ!」

 わたしは泣いていたからだめだったの? 蒼馬さんも泣いてたし、だから蒼馬さんにも聞こえなかったの?

 すごく残念で、わたしはさらに食いついた。

「ユエ、なんていってたんですか?」

 すると、緑里さんはちょっとだけ泣き笑いのような表情になった。くしゃりと顔を歪ませて、それこそ泣き出してしまったのかと思うくらいで。どきりとした。

 だけど、緑里さんはやっぱり泣いてはいなかった。

 泣いてはいない。けれど。

「みんなぼくのために泣いてくれて、ごめんね。哀しませてごめんね。でも、ありがとう。いままでたくさん幸せだったよ。いまは苦しくなくて、いっぱいごはんも食べられる。とっても楽だよ。だから、もうあんまり哀しまないでね。みんなの涙は、見たくないから。これからもずっとずっと、みんなのこと、みんなの寿命まで、ちゃんと見守っているからね」

 緑里さんの声は、震えていた。

 緑里さんはそして、ふうっと深呼吸した。そして、またにっこり笑った。それはもう、緑里さんのいつもの笑顔だった。さっきのように。

「ユエは、そう言ってた」

「……ほんと? ユエはもう、苦しんでないの? 見ていてくれてるの?」

「うん。だから、あかり。おまえも、もう泣くなよ。あんまり泣くと、ユエまで泣いちゃうからな」

「わかりました!」

 ユエがそう言ってるなら、もう泣かない!

 勢いよくうなずいたあと、わたしはふと尋ねていた。

「緑里さんは、いま、……泣いてた? 緑里さんだって哀しんでたから、ユエが話しかけてきてくれたんじゃないの?」

「うん。哀しいよ。哀しいけど、泣いてない。だからユエは俺だけに、こっそり内緒話してくれたんだ。さっきも言ったでしょ?」

 そう言う緑里さんの表情は、変わらず笑顔だったけれど。だけど、いつもよりも元気がなさそうだった。

 わたしがあまりに見つめすぎていたからか、緑里さんは、はぁっとため息をついた。

「あのさ、俺のこと心配してくれるなら、ひとつお願いがあるんだけど」

「え……なんですか?」

「元気の出るおまじない。してくれる?」

「元気の出るおまじない? そんなのがあるの?」

「うん」

 わたしはまた、勢いよくうなずいた。

「わかった! おまじないの仕方、教えてください!」

 すると緑里さんは、ふっとわたしに顔を近づけた。

 きょとんとしていたわたしは、あっという間に唇を奪われていた。

 触れるだけの、優しいキス。

 それがわたしの、ファーストキスだった。

 数秒経ってから、ようやく顔を離した緑里さんは、くしゃくしゃとわたしの頭を撫でた。




「よし、ごちそうさま! 元気出た! あかり、ありがとね!」

「う、あ、は、はい……」

「ユエとの話も終わったし眠くなったし、そろそろ部屋に戻る」

「は、はい」

 ほら、と今度は手を引かれて、「ひゃっ!?」と声が上がる。

 緑里さんは、くすりと笑った。

「ほら、おまえも一緒に帰んの。いくら夏だからって、こんな夜中にいつまでもこんなところにいたら、身体壊すでしょ?」

 な、と言われて、放心状態のまま、わたしは緑里さんに送ってもらった。

 使用人専用の建物というか大きな離れが飛鳥井家の敷地内にあり、そこのわたしの家族が住んでいる区画、さらにわたし専用の部屋の前まで。

 そこで緑里さんは、

「おやすみ!」

 と明るく言って、本宅のほうに帰って行った。

 わたしは機械的な動きで部屋の中に入り、ぽすんとベッドに座る。

 まだ唇に、感触が残っている。

 あたたかくてやわらかくて、ほんのり甘くて……。

 わたし、……わたし、緑里さんとキス、しちゃったんだ。これってファーストキスとかいうやつ、だよね? おとなの恋人同士がするものだっていうのは知っている。

 わたしのファーストキス、緑里さんにあげてしまったんだ。

 大好きな蒼馬さんとキスをすることだって、考えたこともなかったのに!

「~~~!!!

 恥ずかしいやら悔しいやらで、わたしはその夜、悶えに悶えた。

 それからかなりの期間、わたしは緑里さんと口もきこうとしなかった。

 毎晩のように、緑里さんとのキスを夢に見てしまうから。

 絶対、絶対、許してやらない……!!

 そういう意味で緑里さんは、わたしにとって「特別」な人になった。なってしまった。

 それまでよりもさらに気になる存在になったのは、言うまでもなく。

 そして、──。

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