誰にもナイショ・ヒミツの極甘寮生活

伽月るーこ

第一話 不思議の国は全寮制の女学院 (3)

 そして、彼女は落ちたみちるの荷物をさりげなく手にして、校舎へと歩き出す。みちるは頰に残る熱をとるようにふるふると首を横に振ってから、彼女の背中を追いかけた。

 正直、そこから先はあまり覚えていなかった。

 恥ずかしさのあまりずっと下を見ていたせいで、自分がどこに連れて来られたのかなんて知る由もない。気づいたときには、くみちるの後ろでドアの閉まる音がした。

「──卯野原みちるさん、ようこそ神楽坂桜華学院へ」

 よく通る凛とした声で、みちるは重厚なビロードの絨毯から顔を上げる。

 目の前にあるやわらかなこげ茶色の応接セット、その向かって左の長椅子に白衣の男性と、先ほどみちるを迎えにきてくれた彼女が腰をかけている。正面奥には執務机があり、眼鏡をかけた黒髪の男性と、髪をまとめたパンツスーツの女性が控えるように立っていた。

「久しぶりだね、みちるちゃん」

 眼鏡をかけた男性が、冷たい雰囲気とは正反対の優しい笑顔を向ける。ふんわり、あたたかいひだまりのような声に、みちるはとても懐かしい気持ちになった。

「……しーくん?」

 勝手に動いた唇がなぞったのは、かつて桜舞う祖母の庭で遊んでくれた男の子の呼び名だ。それをきっかけにして、閉じていた記憶の扉が開かれる。小さいころ、彼の声がみちるをあたたかく包んでくれたことを思い出した。

「しーくん……なの?」

 もしかして、もしかしなくとも。

 そう期待をこめた眼差しで見つめると、彼は微笑みを返してくれた。

 その笑顔に、みちるの顔が綻ぶ。

 どうして考えつかなかったのだろう。如月家と神楽坂家は昔から懇意にしており、その縁で神楽坂の孫息子たちが如月の家に遊びにきていた。祖母の言う〝懇意にしている方〟というのが神楽坂家であることに、今のいままで気づきもしなかった。

 緊張の糸が切れたせいか、一瞬にして安心感に包まれる。嬉しさに心が躍り、ひとりではないのだという勇気を彼の存在が教えてくれた。

「すっかりお嬢さんになって、見違えたよ」

 さらりとすごいことを言われて、一気に頰が熱くなる。そんなこと誰にも言われたことがない。社交辞令とはいえ思わぬお世辞に、みちるの心臓がさらにうるさくなった。

「でも、さすがに〝しーくん〟っていう年齢じゃないから、恥ずかしいかな」

 苦笑して立ち上がった彼が、執務机を回りこんで近くまでやってくる。考えてみればそのとおりだ。あれから十年は経っているのに、子どものような呼び方をしては彼に失礼だ。みちるは背筋を伸ばし、一度深呼吸をしてから頭を下げた。

「配慮が足りなくてごめんなさい!」

「ああ、俺は大丈夫だから、みちるちゃん顔上げて」

 促されるままに顔を上げると、彼はみちるの頭を昔のように撫でてくれた。

「恥ずかしかったけど、昔のように呼んでくれて嬉しかったよ」

 そう言って微笑んだ彼は、姿勢を正してみちるに向き直った。

「それじゃ、改めて」

 彼の声が合図になったのか、座っていたふたりが立ち上がる。

「神楽坂桜華学院理事長の神楽坂志岐です。彼女は、秘書の

 後ろで控えているパンツスーツの女性が、会釈した。

「橘と申します」

 美しい黒髪を後ろでまとめ上げた彼女は、少したれた目尻を細めて柔和に微笑む。きりっとしたイメージの第一印象が、その笑顔でかわいいという印象に変わった。

「それから我が校の養護教諭」

「神楽坂朔夜です」

 こげ茶の髪をふわりと揺らした白衣の彼は、人懐こい笑顔をみちるに向ける。その笑顔が、再び過去への扉を開いた。かすかに残る記憶の中で、志岐と一緒にいたうちのひとりによく似ている。人見知りをしていたみちるに、その子が人懐こい笑顔で場を和ませてくれたことを思い出した。

「……さく……ちゃん?」

 またしても子どものような呼び名をつぶやいてしまい、みちるは咄嗟に自分の口を手でった。しかし、相手は全然気にした様子もなく、そのままの笑顔で続ける。

「そうだよー。神楽坂家次男さくちゃんこと、朔夜だよ。みちるちゃんの記憶に残っているなんて、光栄だなぁ。今日からみちるちゃんの保健医だからよろしく──うん、痛い」

 笑顔の朔夜が、突然動きを止めた。まばたきを繰り返して何があったのだろうかと様子をうみちるの前で、朔夜の隣にいる美少女が口を開く。

「先生。みちるちゃんの保健医、ではなく、我が校の養護教諭です。お間違えなく」

「……うん、うん。わかったから、その足どけてくれる? あと、踵でぐりぐりするのもやめてほしいな……、地味に痛いから」

 涙目で訴える朔夜に満足したのか、彼女はひとつ息を吐いてその場に居直った。それを見ていた志岐が少し楽しげに彼女を紹介する。

「そして彼女が、みちるちゃんのルームメイトでサポートをしてくれる──」

 彼女の美しいまいから凛とした瞳を向けられ──、思わず息を呑んだ。

「二年撫子組、睦月伊織です」

 何度見ても見惚れてしまう。こんなに素敵な人に子どもっぽい下着を見られていたのだと思うと、恥ずかしくて目を合わせることができない。失礼のないよう曖昧に笑ったあと、すぐに視線を逸らして頭を下げる。

「卯野原みちるです。これから、よろしくお願いします!」

 今日からここで生活をしていくのだという気合をこめて、周囲に挨拶をした。顔を上げると、肩まであるみちるのふんわりとした明るい栗色の髪が揺れる。

「よし、それじゃあ本題に入ろうか。みちるちゃんは、ここに座って」

 空いているソファに腰をかけた志岐が、隣に座るよう促す。絢を見たが、彼女は大丈夫だから、というように微笑んでくれた。みちるは遠慮しながらもソファに腰を下ろした。

「まずはみちるちゃん。絹江さんから何か聞いてる?」

「……いいえ」

 祖母からは『困っている人の力になってほしい』とだけで、具体的にどう力になるのかなど一切聞かされていなかった。みちるの返答を聞いた志岐は、うん、とひとつ頷いた。

「じゃあみちるちゃんは、話を聞いてから自分がどうしたいのかを決めてほしい。絹江さんが何も言わなかったのは、みちるちゃんに決めさせたかったからだと思う。……だから協力するにしろ、しないにしろ、俺は君にできるかぎりのフォローをするし、こうなった以上はちゃんと責任をとるつもりだ」

 その真剣な眼差しに、思わず引き込まれそうになる。自分も覚悟が必要になるのかもしれない。彼の話しぶりから、思った以上に深刻な内容であることを察した。

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